あなたは、大企業で全国トップの営業になる「のび太くん」を想像できるだろうか。
メガネやその雰囲気で周りから「のび太くん」という愛称で親しまれている酒井晃士さんは、柔らかい物腰にニコニコ笑顔で話し始めた。「初めは電話もできないし、アポイントメントも取れないし、自分は人としてダメなんじゃないかと思っていました」——大変失礼だが、バリバリ仕事をこなすタイプ……には見えない。
そんな酒井さんは、実は通信業界最大手企業の営業成績で全国トップ、20代で社長賞を3度も受賞するなど、華々しい実績の持ち主だ。どうやって「のび太くん」は、営業として開花し、これほどまでの成果を収められたのだろうか。
<酒井晃士氏 プロフィール>
1982生まれ。青山学院大学理工学部卒業。
2006年に株式会社NTTドコモに入社。法人営業部署に配属後、10人分の組織目標を1人で達成し、5期連続で売上目標300%超の成績を挙げる。社員2万5000人の中から20代で3度の社長賞(ビジネス表彰)を受賞。2015年に自身の営業術を紹介した著書『のび太でも売れます。』を出版。
■「営業らしくない」のび太の秘密はパワーダウン
――一体、どんなひみつ道具を使ったんですか?
ひみつ道具みたいなものはありません(笑)。でも、重視していることが2つあって、それが「パワーダウン」と「アナログコミュニケーション」です。
パワーダウンというのは、あえて自分のパワーを抑えることです。例えば、松岡修造さんみたいな元気一杯の営業は、好きな人は好きだけど、好きじゃない人も当然いると思うんです。だから、お客さまが僕に何を求めているかを察知して、その相手に合わせてパワーを調整するんです。
僕はよく「営業らしくない」「隙がある」と言われます。完璧な装いをして、完璧な資料を持ってきて、完璧なセールストークをする営業の人は、それなりの数いると思うんです。一方、僕のように隙があることで、お客さまから「これはどう?あれは?」と質問してもらえるような営業は、あまりいません。こちらがガツガツしていない分、お客さまには「本当にいいものを勧めてくれている」と思ってもらえるんです。
もちろん「一度の失敗も許さない」という、完璧主義タイプのお客さまもいます。でも、営業とお客さまというのは、本来はどちらが上も下もない対等な関係だと思うんです。だから、できないことはできないとはっきり言います。ご要望がある限りは完璧を目指そうとしますが、そうすると人間は何かを隠したり、嘘をついたりしてしまって、結果的に不誠実になってしまうんです。ありのままを出さないとモノも人も動かない、というのが実感です。
キャリアの途中で気付いたのは、「のび太でも売れます」というより「のび太だから売れます」ということだったんです。そこからは、無理をしない、意識的に完璧を目指さないようになりました。ある意味では「隙がある」という状態を演出していることにもなるのですが、すごく楽です。
■「コミュ障」理系男子が営業に目覚めるまで
――酒井さんはそうやって、目覚ましい営業成績を挙げてきたわけですね。これは最初からできたことなのですか?
いいえ、実は僕、大学は理工学部だったんです。なので、今の通信会社には、「携帯電話という身近なデバイスでサービスを作りたい」という想いで入社したんですが、なんと最初に配属されたのが営業でした。
僕自身あまりにもミスマッチで、初日から辞めようと思っていました(笑)。コミュニケーションが苦手だったんです。お客さまと目を合わせることもできず、どうすれば商品が売れるか分からず、当時はただ必死でしたね。「営業とは」みたいな本もたくさん読んで実践してみましたが、全然うまくいきませんでした。
きっかけはある日、お客さまのオフィスを訪問して、その日も結局自分の話を切り出せずに帰ろうとしたんです。そしたらお客さまが「何しに来たの?」と聞いてくれたんです。「売りに来たんじゃないの?じゃあ売らなきゃダメじゃん」「買うか買わないかは俺が決めることだから、別に資料を出すのを怖がらなくていいよ」と言われて。それで、当たり前なんですけど、「(資料を)渡していいんだ」と思ったんです。営業の話はイヤがられると勝手に思い込んでいましたが、そこから目が覚めました。
そうして手を差し伸べてもらえたことで、お客さまとの自分なりの距離感、方法論をつかめるようになりました。自分は完璧な営業にはなれそうにない。いや、そもそもならなくていいんだ、と気付いてからは仕事が楽しくなりましたね。
もちろん今でも失敗はあります。商品が売れるようになると、どこかで慢心してしまうんですね。例えば、ずっと対面で話し、メールの後にはわざわざ電話までしていたお客さまと、「関係性ができているからもう大丈夫」とメールだけのやりとりにしたら、こちらの意図が伝わっていなくて、現場で大失敗したことがあります。やはりメールだけでは万全にはならないので、状況に応じたコミュニケーションの方法を選ぶことが大切ですね。
■デジタル全盛期だからこそ「アナログ」は絶好のチャンス
――酒井さんは、手紙もよく書かれるそうですね。アナログコミュニケーションについてどう思われますか?
僕はアナログコミュニケーションにはめちゃくちゃ効果があると思っています。今はデジタル全盛期で、みんながやらないからこそ絶対にやったほうがいい。メールやSNSなどはどんどん流れていく情報なので、記憶にも残りにくい。僕はよく付箋を使って、「○○さんから電話かかってきました」や「ありがとうございます」と手書きでメモを書いてます。メールなんかより相手の記憶に残るんですよね。たまに相手からもらうメモにイラストなんかが入っていると、やっぱりうれしい。月に2〜3回は、お客さまに近況報告の手紙を書きます。そうすると、次にお会いしたときにやっぱり喜んでもらえるんです。
とはいえ、いきなり手紙を送るのはハードルが高いですよね。そんな時、この時期には年賀状があります。年賀状というのは、年に1回、気兼ねなく手紙を送れるいい機会ですから、このチャンスを活かさない手はありません。僕は入社の翌年から10年以上、毎年100〜150枚くらいの年賀状を送り続けています。もらった年賀状も、年ごとにファイルして保管しているので、もうすぐ干支が一周してしまいます(笑)。
■ここぞという時こそアナログが活きる
――年賀状は営業にはとても便利なツールなのですね。
そうですね。特に僕のように毎年継続していると、年賀状は長期間残るチャネルになるんです。それに、ストックされた年賀状は、多くの場合3回見られます。届いた時、お年玉くじの当せん番号が発表された時、そして送ってくれた相手に翌年自分から送る時。だから、ツールとして非常に優秀なんです。何より、僕は自分が年賀状をもらうとうれしいので、必ず毎年送るようにしています。
そして年賀状を書く時は、僕なりに少し工夫をしています。まず「お元気ですか」や「またお会いしましょう」など、一筆添える場合には簡単な言葉にします。具体的だったり長く書き過ぎると、自分も相手もハードルが上がってしまいますから。あと「昨年お子さんが生まれたそうですが」など、前年の相手の近況に触れるのもお薦めです。また、「この人は自分だけに書いてくれたんだ」と思ってもらうのが大事なので、例えば「○○さん、お元気ですか?」など、名前を入れて呼びかけるのもいいですね。
よく「アナログかデジタルか」という構図になりますけど、どちらにもメリット・デメリットがあります。確かに、アナログだと手間がかかるので、目先のコストパフォーマンスで考えたらデジタルには敵いません。でも、手間がかかる分、相手により伝わるという効果はアナログの方が絶対に強いと思うんです。瞬発力はないかもしれないけど、相手と長期的な関係性を築けるのは、アナログの強みです。だから、ここぞという時、大事な人には、僕はアナログのコミュニケーションを使います。大事なのは使い分けですね。
■「共生」「シェア」がキーワードになる時代の営業術とは
――最後に、酒井さんの考える営業のコツを教えてください。
「すなお」の3文字は、すぐに自分の営業を改善できる合言葉です。「すごい」「なるほど」「教えてください」の頭文字ですね。これを取り入れるだけでも、コミュニケーションが十分スムーズになるので、営業に苦手意識のある人はぜひ取り入れてみてください。他にも、お客さまを訪問するときに、必ず1点目立つような明るい色を身に着けるのもお薦めです。お客さまからすると、「おっ、赤いね!」なんて突っ込みたくなるし、くだけた会話にテンションも上がります。あとは、プライドは邪魔になることが多いので、僕は持たないように心掛けています。まぁ、僕の場合は勝手に折れるものですが(笑)。
営業というのは、そもそも費用対効果で測れないのかもしれません。人と人との関係性で成り立つものですから、短期間で目覚ましい成果が挙がることは考えにくい。だからこそ、行きつく先は行動量になりがちですし、僕自身もそうなりました。成果が挙がらないと言う人は、意外と行動していないだけのこともあると思います。ただし、量を増やそうとするとき、必ずしも毎日ヘトヘトになるまで働かなければいけないわけじゃない。自分にとってやりやすい方法で、長く続けるという戦略もあり得ますよね。だから、パワーダウンとアナログコミュニケーションがお薦めなんです。
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営業する側とされる側、その関係性はインターネットの普及やコミュニケーションの多様化に伴って、大きく変わってきた。そこには、単に「売る」「買う」という一方通行だけではなく、「共生」や「シェア」などの色々な価値観が存在するようになった。そんな現代社会において、いわゆる「ゴリゴリの」営業は時代にそぐわなくなっていくのかもしれない。
お互いの考えや悩みまでも共有しながら、相手との関係を丁寧に築いていく「のび太くん」こと酒井さんのやさしい営業術は、そんな現代における一つのモデルになるのではないだろうか。
(執筆:朽木誠一郎)