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動画の総再生回数、4億5000万回以上(10月27日時点)。
パンチパーマにマジックで書いたヒゲ。ヒョウ柄の衣装にサングラス。見るからに怪しい「ピコ太郎」(自称53歳)が、1980年代のテレビゲームのようなピコピコサウンドに乗って踊る「ペンパイナッポーアッポーペン」は、ネットにのって世界的なヒットになった。
「正直言うと僕自身はよくわからないです。ただ古坂さんが分析するには、まずはパピプペポ。People、Post、Pineapple、Pantsっていう破裂音が気持ちいい。そして英語である。くだらねえのを思い切りやってる。この3つだと思うんですね」
10月27日、東京・六本木で、ハフポスト日本版の単独インタビューに答えた「ピコ太郎」は、ヒットの理由を、「プロデューサー」だという同じ芸能事務所のお笑い芸人、古坂大魔王(43)の言葉を借りて真面目に分析した。「世界は全然意識してなかったんですけども、なぜか世界の方にこうして受け入れてもらったことは本当に驚いてます」
2人は本当に別人なのだろうか。何度聞いても「本当にプロデューサーとアーティストの関係」「別人なので、ラーメンのことチャーハンだとは言えないんですよね」という答えが返ってきた。
ただ、古坂のルーツをたどると、ピコ太郎のプロフィールに重なるものが浮かんでくる。
古坂大魔王は青森県出身。お笑いグループ「底抜けAIR-LINE」として活動していた1998年、写真週刊誌で、シンセサイザーを操る姿を公開している。1990年代前半にテクノロックバンド「The Prodigy」を聞いてはまったといい「うまくテクノを生かして、自分たちの芸と融合させていきたい」「〝お笑い〟というのを捨てて新しいエンタテインメントに進んでいるんですよ」と語っていた(『FLASH』1998年7月7日号)。
1990年代のフジテレビ系の人気番組「ボキャブラ天国」などに出演していたが、3人組で結成した「底抜け」は2人になり、1人になった。30歳だった2003年のテレビ番組で、バンドでロンドンデビューしたいと訴え「世界をビックリさせたい」と野望を語ったこともある。
その後、古坂は1人で、音楽やお笑い芸人としての活動を続けていた。
2015年3月18日、福島県いわき市のショッピングモールで、古坂大魔王として出演したイベント。現在の「ピコ太郎」とそっくりな風貌でそっくりな曲を披露している。
3年前からあったのかよ(笑)
衝撃のエブリアで#PPAP pic.twitter.com/vYdDD8ALJk
— まゆっぴ (@ma___pi02) 2016年10月23日
この動画についてピコ太郎に尋ねた。
「見ました。絶対CGです。影がなかったですよ」
一方のピコ太郎としても、一人の時期が長かったのは一緒だ。「一人で歌い始めてもうかれこれ25~30年ぐらい」。
「私、どうも楽器が苦手でして。あんまり人が来ない公園とかで、フリーライブ中心にやっていたら犬ばっかり来まして」という孤独な生活だったが、ある日「あまりにも恥ずかしかったんで、壁に向かってライブやってたら、古坂さんに声をかけられまして」。
PPAPの曲ができたのは、本人によると2年前、偶然の産物だった。「リンゴ食べながら曲を作ってて、古坂さんがパソコンでちょっと軽快なリズムマシーンの音を流して『パンパンポンポポン、ポン』。ペン持ってたので、ポンが(頭の中で)ペンになって、I have a pen。ちょうど、前の日に食べたパイナップルの空き缶もあったから、パイナップルペン」
My favorite video on the internet ???????????????? https://t.co/oJOqMMyNvw
— Justin Bieber (@justinbieber) 2016年9月27日
2016年8月から本格的にTwitterやYouTubeを立ち上げ、9月初旬までにYouTubeでPPAPなどの曲を3本アップロードした。その2~3週間後、日本の中高生から「PPAPを真似しました」という報告が相次いで喜んでいると、ネタサイトの「9GAG」が取り上げ「その瞬間に動画が1日1000万回」。そして、世界的アイドル、ジャスティン・ビーバーが「お気に入り」とTwitterで紹介したことで「インパクトがドーン! 世の中がダダダダダダダッ!って動きまして、そこからツイッター、フェイスブック、インスタグラムに、何語かもわからない言葉がバババッと来た。うちのパソコン古いから文字化けしたのかなって思った」。
10月28日の記者会見には国内外の記者が約150人集まり、ピコ太郎は「もう本当、ネットってスゲ―!」と叫んだ。真似して動画をアップした世界各国の人たちに「盛り上げてくれた。あの方々がいなかったらこの広がりはなかった」としみじみ感謝する。
同時に「何が面白いのか分からない」という感想も「すごくありがたい」という。
「子供のころ、ドリフの『生麦生米生卵、イェーイ!』で、僕らはめちゃめちゃ笑っていた。でも大人たちは『何なのこれ。見るの止めなさい』と言って、子供に見せたくない番組ナンバーワンになってましたよね。わかんない人はわかんない、面白い人は面白い、ああ、すごく純粋な反応だな、と。いちばん悲しいのは無視ですから」
10月にビルボードの全米ヒットチャート「HOT 100」入りを果たし、11月には世界的な大手レコードレーベルとの契約、12月にはフルアルバムの発売が決まった。どんどんステージが上がっていく今、夢を語る。
「やっぱり年末は渋谷近辺(のNHK)にいたいですね。僕の夢はずっとサマソニと紅白、最近はグラミー賞も増えましたけども、行けるもんなら行ってみたいですよね。行ければ、次がどうこう言う前に『今すごくね?』ということをさらに大きく言えそうな気がするので。どんどんどんどん、夢を目標に変えて、目標を現実に変えていけるように頑張りたいですね」
世界的に話題になってから「まだ給料日が来ていないので、一銭ももらっていない」というピコ太郎。「バースデーケーキに刺す、数字のろうそくを作るアルバイトをしています」。年末は「とても大きな仕事が入ってます。杉の木の剪定」だが、12月31日の「アルバイトは空けている」という。
自称53歳で大ブレークをつかんだピコ太郎。古坂大魔王も43歳。迷える夢追い人を大いに勇気づける話だ。そんな話をしている中で、古坂大魔王がピコ太郎に乗り移った瞬間があった。
「頑張ってる段階でもう、頑張ったという結果ですから。古坂さん、昔から知ってますけど、まあ数は打ってます。打率としては0割0分2厘ぐらい。ダメな助っ人外人ですね。そのうち1個がはまったら、この頑張った結果たちがあとから一気についてくるだけの話。『あきらめないで』とか、真矢みきさん言いますけど、頑張ってやってる段階でまず失敗はない。なので頑張っておけば、いつか何かあったら行くんじゃないのかな」
誰もが「次は何をやるんだろう」と期待する。早くも「一発屋」と揶揄する声もある。そんな声を、ピコ太郎は自然体で受け流す。
「みんな言うんですよ、さあこの次はどうだって。いやいや、ないって。狙ってないんだから」。
「次の一手は注目されますけど、次の三十手まで行くとどうでもいいと思うんです。だから僕はどんどん出していきます。ただ単に私が好きなものを出した。それをたくさんの人が聞いてくれた。なので次も、今私が好きだと思うものを出す。ということにしないとドキドキして寝られないですね。明日、急にラピュタが落ちるかもしれない。でっかい鳥が急にあなたをついばむかもしれません。だから本当に、楽しい曲をやるだけ」
ちなみに次は「フルーツ系の歌、今ある歌を英語にしてみたもの、どこの言葉でもない言葉の歌」だそうだ。