完成披露試写会に出席した(左から)片渕須直監督、主人公の声を演じたのんさん、漫画家のこうの史代さん=2016年9月9日、東京都港区で撮影
戦時中の広島県呉市を舞台にしたアニメ映画『この世界の片隅に』が11月12日からテアトル新宿など全国でロードショー公開される。戦時下で、たくましくも「普通に」生きた主人公「すず」の声を女優・のんさん(能年玲奈から改名)が務めたことでも話題の同作品は、公開前にもかかわらず既にネット上で熱い支持を集めることに成功している。大人にアニメを届けたいと、Twitterなどを駆使して「双方向通信」に取り組んできた片渕監督に話を聞いた。
——原作となった同名の漫画の作者・こうの史代さんに映画化を打診されたということなのですが、どういう点に惚れ込んでのことでしょうか。
アニメーションって想像力の産物なので、一般的にファンタジーや現実にありえないものを描く時にすごく力を発揮するように思われています。しかしその一方で、ごく普通のことをアニメーションで描くと、実はすごく魅力的に見えたりするんですよ。例えば、ご飯を作るとか食べるとか。そういうのをものすごく真正面から取り組んでらっしゃるのが「この世界の片隅に」の原作だと思いました。それで、是非アニメーションとして、自分で手がけてみたいなと思ったんですよね。
もうひとつは、そのご飯を作ったり暮らしを営む人である、こうの史代さんが描く主人公のすずさんがすごく魅力的に思えて。どんな時でもニコニコ笑っていて、いじめられても笑っているくらいの人ですから、すごく愛おしくって。そういう愛おしい人の存在感みたいなのを、映画の上で作り上げていきたいなと思って。
——登場人物がとても「普通」で、ただの善人ではなく弱い部分もあり、そこが魅力的です
僕自身、映画を作りながら、すずさんっていう人が本当にいるような気がしてきてしまう瞬間がありました。なんだか、本当にいる人だと思ってドキュメンタリーのような気分で捉まえていきたいなとも思ったりしたわけですよ。あんまり作為的に伏線張り巡らしたりする感じじゃないようにして彼女を描いていこうと。それでも魅力を発揮する主人公だなと思ったんですよ。
——すずさんの人物像や感覚をどう作り上げましたか。
背景になる風景を当時実在した家ばかりで構成してみたり、彼女が過ごした毎日の一日一日のお天気を調べて、ああ、こんな場所を歩き、こんな日々を過ごしてたんだなあ、と想像して、そんな中にいる彼女だからこんな場合こういうことにはこんなふうに反応するだろうなって思って作りあげて行きました。
そして、(主演の)のんちゃんが声を入れる作業が近づいて、のんちゃんとしては役作りするために「すずさんのことを理解したい」って言って次々質問を送ってきたんです、それに一つ一つ答えて「すずさんってこういう人なんだよ」って説明してゆく作業は僕にとっても有益で、彼女が「わかりました。こういうことなんですね」って言ってもらえるように説明する中で、もう一度作品全体を捉まえなおして、この物語のあちこちですずさんはどう変化していくべきかを考え直すよい機会になりました。
実際、すずさんが涙を流す場面など、どういう感情で涙を流しているのかが自分でも明確になって、描き直すにしてもどう描けばよいのかが明らかになった気がしてきたんですね。声を入れるという最後に近い局面に至って、よりすずさんが生身の人として捉えられるようになっていったみたいなところがあります。
——2015年3月から始められたクラウドファンディングで制作費の一部を集められたということです。まず、何故活用を目指されたのでしょうか。
「日常生活の中でご飯を炊くところを魅力的に描きたい。それで映画にしました」って言って、どれくらいお客さんがくるでしょう?
それってとても難しいじゃないですか。そこに「戦争」が絡んでるのだから日々の暮らしの細々したことが輝くのだ、と言ってみたところで、それはみんなに面白がってもらえるのか。僕は「面白がってもらえる」と思うのだけど、映画ってやっぱりそれなりのお金を費やして作るものだから、予めこのぐらいの動員が予想できますと提示できないと難しいんですよ。つまり、この映画が目指すのは、アニメーションの新しい方向性だったから未知数の部分がたくさんあったんです。
原作者のこうの史代さんが作った作品や原作を知っている方、あるいは、僕が今までに作った作品を知っていてこの人ならうまく映画化できると思ってくださるというような方、そうした方々がどのぐらいの数で存在するのかを可視化する必要がありました。それが一番の目的だったんです。
——お金以上に「見たい」という声が重要だったということですね
実際のお金の出資はいただくんですけど、とはいえ、それが映画の制作資金の全額にはならないです。でも、この企画を通じて色んな熱意みたいなものが示された時に、出資金以上に提示された一人ひとりのお名前の集まった数が非常に重要でした。観客は確かにいるのだと。それが、スポンサーの方たちが、制作・公開に向けて、踏ん切りをつけてくださる材料になった。得難い根拠になったということですね。今回の場合はこの声が、非常にパンチ力があったんです。
——過去最高額の4000万円近くを集められたと大変話題になりました。
はい、目標額の2000万円を8日間で達成しました。ものすごく速かった。人数も額もスピードも、日本記録ということでした。
——それは片渕監督、あるいはこうの先生の熱狂的なファンというのがすでに育っていたということなのでしょうか?
熱狂的なファンというだけではなく、実は内心こういう類いのカテゴリーの映画を見たいって思う人が多かったんじゃないかな、って気がするんですね。
前に「マイマイ新子と千年の魔法」という映画を作った時に、うちの弟から、なぜかすごく感謝されまして。
うちの弟は、1963年生まれなんですよ。日本で初めてのテレビアニメ「鉄腕アトム」が登場した年に生まれたんですね。その年に生まれた人間が、その時点で40代になっていました。ずっとアニメーションが普通にあるっていう風に育ってきて。でも「最近はもうあんまり見るものがなくなってきたところだったから、こういう作品を作ってくれてありがとう」って。兄弟でそんな「ありがとう」なんて初めて言われたので、ちょっと面食らっちゃったんですけどね。だからそれがなんかすごく…。
うちの弟だけに限らず、多くの人のそういう欲求があるんじゃないのかなと思うんですよ。
——アニメ産業の発展でも一般向け大人のアニメは取り残されていた。
日本のアニメーションが、そういう方々に向けて語りかけ始めてるんだということを、肝心の「そういう方々」が知る機会が限られてしまってる。一般の人がそういうアンテナを得られる機会って、少ないと思うんですよ。例えば、テレビで放映されるかでもしないかぎり、ですね。
それ以外では、多くの場合は一般向け映画として存在するアニメーション映画があるのかってこと自体分からないんですよ。つまりアニメーションっていうのは、まず子供向けとして始まって、今は「若い人向け」っていうところに落ち着いてしまっている。おそらく世間の大多数の認識は、その辺から動いてないんじゃないかと思うんですよね。
——大人向けであっても、オタク向けというイメージがありますね
まあ、そうですね。アニメーションはいわゆるところのオタク向けっていう認識が大きくあって。でも、漫画は違いますよね。漫画はもっと本当に大人向けなところにまでエリアを広げて、まるで純文学みたいな領域にまで入り込んでいますよね。
アニメーションもいろんな可能性に向かおうとしているのに、世の中の大多数にはまだ気付いていただけてないんですよ。気づいてもらえる手段が限られてるんです。
——片渕監督はTwitterなどで積極的に、制作中の映画についても発信しておられますね。
僕はTwitterみたいなSNSは、規模は小さいにしても直接発信できる手段としては非常に重要だと思っています。「マイマイ新子と千年の魔法」の劇場公開当所の初動では、お客さんが全然入らなかったんですね。子供が主人公だけど原作は児童雑誌じゃなくて、芥川賞作家の高樹のぶ子さんが雑誌の「クロワッサン」に連載していた小説なんですね。もちろん僕もまず大人の人から観てもらえればと思って作りました。
でも、なぜかボタンの掛け違いがあって、肝心の大人が見に来る夜間の時間帯に上映が設定されてなかったんですよ。
そういうときにTwitterで、「こういう作品があるのですが」って言って呼びかけてみました。そしたら、アニメーションの研究家とか評論をされてる方々がまず支持してくださって。それが口コミの核になって、どんどんお客さんが入るようになってきて。3週間目で、新宿の映画館では9割くらいの席が、埋まってたんですね。しかも、お客さんが皆ネクタイ締めてるんですよ。昼の上映時間帯に、仕事どうしたんだろう(笑)
でも、それくらいTwitterとかインターネットって威力があって、僕は最近は、映画っていうものが既に、インターネットとかTwitterと併用すれば、双方向通信になっていると思ってるんですよ。
一方的に、僕らが映画やその情報を発信してるだけじゃなくて、ちゃんとお客さんからの反応も得られるし、「どういう期待がされてるのか」とか、「どういう風にお客さんが実際の映画を見たか」とか直接的に伝わってきます。こちらからも、「こういうところも見てくださいね」ってことをもう1回伝えることもできるしっていうような、そういうようなとろこまで来てると思うんですね。
——クラウドファンディングもその一種かもしれないですね。
そうしたことの結果としてのクラウドファンディングだと思うんですね。ある種、一方通行じゃないっていうことが明かされた。
『この世界の片隅に』のマスコミ向けの試写会なんかでも最初に反応されたのが作家の方で、とても盛り上がっておられた。その方が新聞みたいな媒体に書くことは大きな広がりを生むけれど、Twitterで語ってもらえれば速報性がある。速報が中継されて広がってゆく。そうすると、「こんなふうに語る人がいて、やっぱりこの映画は信用できるのだ」という理解が、Twitterユーザーのあいだで広まってゆく。
それから、映画をご覧いただいた方のリアクションを僕らが得るっていうことも非常に大事だと思うんですよ。それは、僕らとしてはものすごく得難く後ろから背中を支えてもらうことになるんですね。そのことを僕がもう1回お客さんの大多数の前に投げ戻すことによって、「こういう風に言われてるのだ」っていう1つの判断材料になっていくかもしれない。その繰り返しみたいなことが相互効果を生むんじゃないか、なんて思うんですよね。あくまで一方通行でなくてね。
——制作途中からそれは始めていたんですか。
もちろん、制作途中も双方向通信をしていたつもりです。
今回、僕らは作り始める前からもう、ただ「映画作りますよ」ってだけ言うのではなく、盛んにイベントもやってたんです。「こういうように作りますよ」「こういうのもの調べしてしますよ」「ここまで調べた」ってことを伝えるイベントをやっていたんですね。時代背景や舞台となった広島市や呉市での調査をかなり長期間していましたので。ときどき、自分たちでは調べがつかない、舞台の土地のきわめてローカルなことを教えてもらえたりもしました。
こちらからも、映画の中では描ききれない副次的な話を伝えることもできます。そうやって色んなものを提供し合うと、ひとつの状況というか場が生まれてくるような気がして。ういう意味合いもあるんじゃないかなと思うんですよね。何にもせずにただ待っていてもだめだということだけはよく分かりました。
——制作に生かされた部分もありましたか?
「原作に出てくる具体的な場所なんだけど、どこだかわからない」っていう場所がありました。呉の町のある特定の建物なんですけど。
原作のこうのさんは、ご自身の個人的な写真を基に漫画にコマにその建物を描かれたそうなんですが、探してもらってもその写真が見つからなかった。見つからないとこちらは描けない。そういう情報をTwitterで書いたら、ある方が「これうちの近所だと思います」って言って写真を送ってきてくださった。それで場所がわかり、芋づる式に建物の全体像がわかった、ということがありました。
いえね、自分たちも、その場所の近くをかつてロケハンで歩いて写真撮りまくっていたんですよ。おおよその場所がわかるようになって、手元の写真をもう1回見直したら、画面の隅っこにその建物がちゃんと写ってたんです。
——ネット上だけでなく、呉市には「支援する会」が設立されて、当時の話なんかも聞かれたそうですね。
広島の中島本町っていう町があって、これは今、平和記念公園になっている場所なんですけど。映画の冒頭で、まだ普通の街としてそこにあった頃の姿が出てくるんですね。ちゃんとその町並みを再現しようと思った時に、分からない部分が多かったんですね。
そしたら、たまたま知り合いになった方が広島の消えた街、特に中島本町の元の住人から聞き取り調査をするヒロシマ・フィールドワークという活動をされている方だったんですね。そこでこの町に元々住んでいた方を紹介していただきました。
そのおひとりが、生まれ育った家の写真が、載っているアルバムごとが荷物疎開されて無事で、今でも持っているというのです。戦前の写真がまだあるよ、ということで、見せていただいて、そのあたりの町並みを絵に描くことが出来ました。
アルバムには、原爆でいなくなってしまったこの方のご家族の写真もあって。街っていうのはただ建物があるだけじゃなく、住んでらっしゃる方も含めての町だから。そこに住んでらっしゃった人の姿もわかるならばそれも描くべきだろうなと思って。それを画面に描いたりしています。
——映画で描いた戦争と平和についてどう捉えていますか。
「平和って何なのか」とか「平和の反対にあるものって何なのか」っていうのは、言葉の上での理念としてはすぐに伝わるんですよ。でもその内実というか、本当にリアルなところはなかなか一言で言いにくいなと思います。さらにいえば、伝える側がそれをリアルに捉えることも難しいことでもあるとそもそも思うんですね。
先ほど、「普通にご飯を食べるっていうのがすごく魅力的に描けるんじゃないか」って言いましたけど、そういうことが普通に営み続けられるのが平和だと思うんです。つまり、全く普通に平凡なことをし続けられるのが平和だと思うんですよ。
加えて、「自分にはこういうことできるんだろうな」とか才能の種みたいなものを体の中に持っている人がいるならば、それが発揮できるってことが平和かもしれない。あるいはそんなの発揮もせずにただただ平凡に暮らすっていう平和もあるかもしれない。その辺まで行けば個人の問題として色々あっていいです。
だけど、その反対にあるものを描いた時にその平凡で何気ないものが全て意味を持つような気がするんですよね。そこが大事かなと思って。なので、反対に戦争があるっていうことが「この世界の片隅に」っていう作品の前提であるわけなんで、じゃあ戦争のほうもちゃんと描くべきだ。理念とか観念に陥らないように、戦争を描くべきだと思ったわけです。
ご飯を炊くときは、こういう手順で、こうしてこうして炊きますよっていうことを描くように、全く同じ次元で同じように力を注いで、爆弾が落ちてくる時はこういう手順で、こうなってこうなってこういうふうに落ちるんですよっていうふうに。ご飯炊くときには米何合、水これくらい入れて。それと同じように、爆弾が落っこってくる時はB29の爆弾槽が開いたらどこに爆弾が何発入っててどういう順番に落っこってくるっていうのを、その両方同じように等しく描けば、「戦争ってこわい」とか「いけない」とかことさらに言わなくても、自然とこれはだめでしょってわかると思うんですよ。
僕は原作を読んで、時々夜中に一人で布団の中で読んでて、泣けて泣けて仕方がなかったことがあるんですよ。それは、本当にごく普通の存在であるすずさんの上に、爆弾が落っこちてくるんだっていう、そのことがなんだか悔しくて。
そのとき、爆弾の落ち方も含めて、全部ちゃんと、ただ装置的に克明にとか緻密にとかにとどまらず、その日のお天気とかまで含めて本当にこうだったっていう通りに描こうと思ったんですよ。すると、僕らが図らずも自然と、そこであっただろう戦争の姿がみえてきて、それが日常を脅かす姿もみえてくるはず。いや、でも、正直言って出来上がったものを観てこんなに見えるとは思わなかった。自分たちですら描いた時に怖くなってしまったっていうことがありますね。でもその下で、すずさんが懸命に生きているんです。
■片渕須直監督のプロフィール
かたぶち・すなお。アニメーション映画監督。1960年生まれ。日大芸術学部映画学科在学中から宮崎駿監督作品『名探偵ホームズ』に脚本家として参加。『魔女の宅急便』(89年、宮崎駿監督)では演出補を務めた。TVシリーズ『名犬ラッシー』(96年)で監督デビュー。その後、長編『アリーテ姫』(01年)を監督。TVシリーズ『BLACK LAGOON』(06年)の監督・シリーズ構成・脚本。2009年には昭和30年代の山口県防府市に暮らす少女・新子の物語を描いた『マイマイ新子と千年の魔法』を監督。口コミで評判が広がり、異例のロングラン上映とアンコール上映を達成した。またNHKの復興支援ソング『花は咲く』のアニメ版(13年、キャラクターデザイン:こうの史代)の監督も務めている。
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