フィリピンのドゥテルテ大統領が10月25日、羽田空港に到着した。3日間の日程で、就任後としては初訪日となる。「犯罪者は射殺する」「アメリカと決別する」などと過激な発言が目立つドゥテルテ大統領だが、「日本との関係を発展させたい」と述べるなど親日家の側面もある。一部報道では「暴言大統領」とのニックネームすらついた彼はいかなる人物なのか。彼の横顔を追ってみよう。
10月25日、羽田空港に到着したフィリピンのドゥテルテ大統領 REUTERS/Issei Kato
■「フィリピンのトランプ」の異名も
ドゥテルテ氏は71歳。太平洋戦争末期の1945年3月に、日米が激戦を繰り広げていたレイテ島で生まれた。日本経済研究センターの泉宣道・研究主幹のレポートによると、1948年には両親とともにミンダナオ島に移住。父親はダバオ州知事、母親は教師だった。
退学するなど紆余曲折を経て、1968年に大学を卒業。1972年に難関の司法試験に合格。ダバオ地検の検事として経験を積み、地方政界入り、ダバオの副市長から1988年に市長となった。その後、下院議員(1期3年)も務めたが、通算20年以上、ダバオ市長として君臨したという。
選挙戦では、治安回復と汚職撲滅などを掲げ、強い指導者像をアピールした。一方で、東南アジア諸国連合(ASEAN)内でも屈指の成長率を実現したにもかかわらず、貧困層の生活は向上しなかったとしてアキノ政権を批判。既存の政治に不満を持つ有権者から幅広い支持を集めた。
ドゥテルテ氏は「犯罪者は射殺する」「水上バイクで中国の人工島に行って旗を立てる」といった過激な発言でも知られ、アメリカ大統領選の共和党候補ドナルド・トランプ氏になぞらえて「フィリピンのドナルド・トランプ」とも呼ばれている。
■大統領就任後も数々の暴言
ドゥテルテ大統領は6月30日に第16代大統領に就任した。「麻薬を半年でなくす」という公約を実現するために、大規模な麻薬犯罪の摘発を行った。就任以降、10月4日までにフィリピン全土で1375人の麻薬犯罪の容疑者が警官に殺害された。こうした強行策は国民の支持を受け、調査会社による7月初旬のドゥテルテ氏の支持率は91%に上る。
その一方で、数々の暴言を繰り返したことで世界的に注目されることになった。
9月5日には、ラオスのASEAN首脳会議でアメリカのオバマ大統領との首脳会談が予定されていたが、オバマ大統領がフィリピンの超法規的殺害に対して異議を申し立てた場合には騒ぎを起こす、と挑発的な発言を繰り返したため、首脳会談が中止になった。ドゥテルテ大統領はオバマ氏を「このくそったれが。ののしってやる」と恫喝していたのが原因とみられている。
同月9日には、フィリピンの人権問題を批判した国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長に対して「こいつもバカ野郎だ」と罵倒した。
■親日家の一面
このように粗暴な振る舞いばかりがクローズアップされるが、ドゥテルテ大統領には親日家の側面もある。
産経ニュースによると、彼が長年市長を務めていたダバオは太平洋戦争の激戦地で、旧日本軍の爪痕も残る。だがドゥテルテ大統領は市長時代に、戦後日本の経済協力やイスラム武装勢力との和平協議支援などを高く評価していた。東日本大震災では、海外の自治体の中でいち早く被災者受け入れを表明。日本の戦没者供養などにもよく顔を出し、2013年には日本人墓地に記念碑を建立。家族旅行で来日している。
訪日前にインタビューをしたTBSによると、ドゥテルテ大統領は「日本はこれまでもビジネスなどにおいて重要なパートナーであり、関係を発展させたい」などと述べ、日本への期待を語っていたという。
■「まさか、そういうことはしないと思うが…」
自民党の小野寺五典政調会長代理は10月23日にフジテレビ系で放送された「新報道2001」で、ドゥテルテ大統領が中国の習近平国家主席と会ったときにガムをかむしぐさをしていたことに関して聞かれ、以下のように懸念を示していた。
「(来日の際に)天皇陛下との謁見もある。その時のしぐさで大きな影響も出る。まさか、そういうことはしないと思うが、しっかりフィリピン側も伝えてほしい。皇室に対しての畏敬の念は持っていると思う。親日家だ。そのような振る舞いは決してないと思う」
■ドゥテルテ氏 発言集