平尾誠二さん死去 53歳、元ラグビー日本代表の司令塔

ラグビー日本代表の司令塔として活躍し、代表監督も務めた平尾誠二さんが20日、死去した。53歳の若さだった。
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ラグビー日本代表の司令塔として活躍し、代表監督も務めた平尾誠二さんが10月20日、京都市内で死去した。闘病生活をしていた。53歳の若さだった。朝日新聞デジタルなどが報じた。

平尾さんは1963年生まれ、京都市出身。京都・伏見工高では山口良治監督のもとで3年時に全国高校ラグビー大会で初優勝を果たした。同志社大に進んでからは、当時史上最年少の19歳4カ月で日本代表に選ばれ、史上初の大学選手権3連覇も達成した。

神戸製鋼ラグビー部では主将も務め、88年度から日本選手権で7連覇し、黄金期を築いた。日本代表ではワールドカップ(W杯)に3回出場し、91年には日本の初勝利にも貢献した。現役時代は主にSO(スタンドオフ)としてゲームを組み立てる役割を担った。99年のW杯では日本代表監督も務めた。

 

平尾誠二さん死去 53歳、ラグビー日本代表の司令塔:朝日新聞デジタルより 2016/10/20 13:30)

端正な顔立ちで口ひげがトレードマーク。日本代表監督を退いた後は、神戸製鋼のゼネラルマネジャーとしてチームを支えた。日本ラグビー協会では評議員、理事などを歴任。2019年W杯日本大会組織委員会の事務総長特別補佐となり、広報活動などに力を尽くした

平尾さんは伏見工、同志社大、神戸製鋼とラグビーの表舞台を歩き続けた。神戸製鋼ではSO(スタンドオフ)やCTB(左センター)を務めた。高校、大学、社会人で共にプレーした大八木淳史さん(55)は毎日新聞に対し「日本代表監督時代も、外国選手の起用で当時はたたかれもしたが、今では当たり前になっている。ラグビー界の発想が彼に追いついてきた今、平尾の思考、考え、存在がないのは大きい」と残念がった。

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