「中学時代は、不登校になりました」発達障害の栗原類さんが、子どもの頃に感じていたこと

2015年、ADD(注意欠陥障害)であることをカミングアウトしたモデルで俳優の栗原類さん。

2015年、ADD(注意欠陥障害)であることをカミングアウトしたモデルで俳優の栗原類さんが自伝的エッセイ『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』を発売した。

栗原さんは、ニューヨークに住んでいた8歳のときADDの診断を受ける。小さい頃からADDの特徴である衝動性、知覚過敏、注意力散漫、記憶力の弱さ、こだわりの強さなどさまざまな症状があった栗原さんは、同じ頃に観た映画『ファインディング・ニモ』で何でもすぐ忘れるドリーと自分の共通点に気づき障害を認識。シングルマザーとして子育てしていた母・栗原泉さんと親子で発達障害に向きあう日々がはじまった。

日本に帰国後は、中学でいじめに遭って不登校になり、高校受験も失敗するなど苦難の時代もあったが、10代半ばからモデルとして本格的に活動開始。現在のようにタレントや俳優としても活躍できるようになったのは、コメディに開眼するきっかけを与えてくれた恩師との出会い、母の教育方針、日常生活における訓練などさまざまな理由があった。

ADDの特性とは何か。発達障害は病気ではなく「脳のクセ」。「早期に気がつき、環境を整え、正しく対処をすれば、ある程度の訓練で変わることができる」という栗原さんに、これまでの具体的な体験談について話を聞いた。

■ADD(注意欠陥障害)、栗原さんの毎日

——ADDの特性によってできなかったことも、工夫や訓練で少しずつできるようになって、たとえば靴紐は10代後半で結べるようになったそうですね。現在、朝起きたり身支度したりといった生活習慣はいかがですか。

朝は自分で起きています。早朝で始発の電車に乗らないといけないときも、スマホやタブレットのアラームを3、4つセッティングして、念のためマネージャーさんにも電話で起こしてもらうので、大幅に遅刻することはなくなりました。

時間管理が苦手というのはADDの特徴のひとつでまだまだ苦労することもありますが、音楽ライターをしている母は夜遅くまで仕事することが多くて朝起きられないので、中学生ぐらいから自分で起きるようになりましたね。その頃から身支度もできるだけ自分でやるようにしています。

——小学時代からの主治医である高橋猛先生は、夜9時に寝て3食ちゃんと食べる「生活リズム」を大切にするようにアドバイスしたと本書のインタビューで語っています。発達障害の子は脳が疲れると症状が悪化しやすいので、規則正しい生活習慣が第一だと。

そうですね。子どもの頃から中学時代まではなるべく9時、10時には寝るようにしていました。たまに夜遅くまで母親と映画やドラマを観ることもあったので、毎日というわけではありませんでしたけど。食事も3食ちゃんと食べるようにしています。

ただ規則正しい生活をしていても集中力は長く続かないので、この世界に入ってから仕事のキャパシティーを調整してもらうのはだいぶ苦労しました。仕事のキャパがオーバーしてしまうと周りに迷惑をかけるので、今は事務所にも僕の症状を理解してもらって、できないことはちゃんと伝えて調整していただけるようになりました。

■ニューヨークで発達障害と診断、日本の学校との違いは?

——ニューヨーク在住時に通っていた小学校は、発達障害児の支援に慣れているように感じました。栗原さんの発達障害に最初に気付いたのも、コミュニケーション力を高めるためにコメディを薦めてくれたのも担任の先生です。一方、小5で帰国してから日本の学校の理解のなさに憤りを感じたこともあるのでは?

憤りというよりは、あきらめや慣れのほうが大きかったですね。中学時代にいじめられて2週間不登校になったときも、学校の先生やスクールカウンセラーはこちらが期待するようなサポートをしてもらえなかったので、母や高橋先生に相談してアドバイスを受けながらなんとか学校に通い続けました。でも高校時代は、自分から友だちをつくることもできたので、はじめて自分が否定されることなく受け入れられた楽しい世界でした。

日本の発達障害に関する理解はアメリカより遅れていると思いますが、それよりも教育システムの違いが大きいと思います。みんな同じクラスだから仲良くしようという教育は、僕には理解できませんでした。たまたま同じクラスになっただけなのに、なんで仲良くしないといけないの? と。もちろん本当に友だちと思える人がいたら仲良くしますけど、そうじゃない人と仲良くしなければいけない理由はないですよね。集団でみんな同じことをするのが大事と言いながら、何でもすぐに競争させるやり方も僕にはまったく合いませんでした。

アメリカの学校は生徒の多様性を大事にします。先生がどんなに忙しくても、勉強がわからない子がいるときっちり見てくれましたし、生徒同士の問題が起きたら責任を持って解決しようという熱意がありましたが、日本の場合はそういうことを先生に相談してもまったく何もやってくれなかったので全然信用できませんでしたね。

■「類くんとそっくり!」シングルマザーの母の存在

——お母様が映画や音楽を一緒に楽しんだり、動物園、博物館、旅行にたくさん連れて行ってくれたことも、成長過程でいい影響を与えたように思います。

母が好きな音楽や映画は、結果的に僕も好きになりました。博物館や旅行のことはほとんど覚えてないんですが、今振り返ってみてよかったと思うのは、母は僕との時間を大切にするだけじゃなく、自分の時間も大切にしていたことです。

僕を産む前から自分の趣味を楽しんで、子育てしている間もたまに僕を祖父母に預けてどこかに遊びに行ったりしていました。それによって心の余裕ができたことで、自分が好きなことを僕とも共有できたと思うし、自分から新しいものを発掘する楽しさも教えてくれました。

母がファッションにこだわりがあったこともありがたかったです。服にはなるべくお金を使わないのですが、安くていい物を買うことにこだわって、バンドTシャツとかよく着せてくれました。僕と同世代の人たちはわからなくても、母の友人や仕事仲間から「そのTシャツいいね」「格好いいね」とよく言われました。今も洋服にそこまでお金はかけないけど、自分が納得できるものを選んで身につけるようにしています。そんな風に自分のセンスを磨くきっかけを与えてくれたことにも、とても感謝しています。

——お母様もアメリカでADHD(注意欠陥/多動性障害)と診断されたそうですが、記憶力がいいので、栗原さんの苦手な部分を補っていますね。似ていると感じるところはありますか?

一番よく似ていると言われるのは、しゃべり方です。僕の友だちが母親に会うと「似ているね」とよく言われますし、本の表紙写真を撮影してくれた梅佳代さんにも「類くんにそっくり! しゃべり方もそっくり!」と言われました。

——では、お母様もゆっくり論理立ててお話されるんですね。栗原さんの本を読むと、栗原さんとお母様はどんなことでもお互いが納得するまでよく話し合っています。親子の会話の積み重ねも大きかったのかな、と。

それはあると思います。自分が悩んだことやわからないことはよく母親に相談していましたし、母親がわからなければ高橋先生に相談していました。2人のアドバイスを聞きつつ、じゃあこうすればいいだろうと解決策を考える習慣は身につきましたね。その繰り返しによって、自分の気持ちや思いを人に伝えることができるようになったように思います。

(取材・文 樺山美夏

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