「ネットの怖さを痛感した」蓮舫氏「二重国籍」騒動を語る 【UPDATE】

ネットの怖さを直接的に痛感して、正直、すごく悲しかったですね。(蓮舫氏)

【UPDATE】蓮舫氏は9月13日に記者会見を開き、離脱したと当初説明していた台湾籍について、昨夕、台北駐日経済文化代表処から現存していたとの連絡があったことを明らかにした。「記憶の不正確さで様々な混乱を招いたことをおわび申し上げたいと思います」と話している。(2016/09/13 10:51)

民進党の蓮舫代表代行に対して、台湾(中華民国)との「二重国籍」の可能性が指摘されている問題で、蓮舫氏が9月12日、ハフポスト日本版の取材に応じた。この問題に関連して今も寄せられているバッシングについて、「正直すごく悲しかったですね」と話した。

——「二重国籍」騒動をどう受け止めていますか

うーん。私個人に責めるべき点があるとしたら、自分で防戦をしないといけないし、対応すべきであると思います。ですが、今回の場合は愛する父の否定であったり、あるいは私の双子の息子・娘に直接的な攻撃的な言葉がネットの書き込みにあったものですから。ネットの怖さを直接的に痛感して、正直、すごく悲しかったですね。

——今回批判が寄せられたのは、主にネット上でですか?

そうです。Twitterとか、匿名性の高いSNSです。

——一方で自らも「日本人です」と発言された。これが、純血主義や排外主義の人々の言動に乗ってしまう行為ではとの批判もありますが

日本で生まれて育って、それこそ「我が国のために働きたい」と思って、3回、国政選挙で手を挙げて。そこにおいてなお「日本人である」と言わざるを得ない環境が、正直「あ、これが今の日本の環境なのかな」と思っています。私が「日本人です」というのは、私の思いです。それは何と言われても言います。

私に台湾の血が流れていることは、とても大切なこと。そのこと自身は前向きに捉えて、「日台友好」という仕事は、これからもやっていきたいと思っています。

他方で、我が国で、我が国のために働いている参議院議員としての私は日本人です。そのことに「何の矛盾もないな」と自分の中では、思っています。そう言うことで、(私の思いを)分かってくれる人はいると思いますので。

——人種・国籍等が異なる両親から生まれた、いわゆる「ハーフ」が「日本国民と見なされない」などと言われる現象もあります。最近では、ミス・ワールドで日本代表になった吉川プリアンカさんが、インタビューで、いじめを受けた過去についてもお話されました

見た目が違うとか、名前が違うから「区別をする」という、ある意味、風潮があるのは承知しています。一方で、ヒト・モノ・カネが簡単に国境を超える時代です。その中で、こういう日本の風潮で、海外の人が日本に住みたくなるか、来たくなるかというのを考えた時に、こういう風潮が是なのかそうじゃないのかというのは、私自身もう一回考えたいと思います。

私の件も、ミス・ワールドの件も、我が国の「ダブル」の方たちが置かれている状況について、海外の報道は、日本とは違う角度ですよね。国籍とか、自分のアイデンティティというよりも、何かもう、日本の純血主義とは違う文化という風に捉えています。(「ダブル」の)ミスの方が話題になってしまうとか、辛い過去を告白することが「あ、日本て開かれていないのかな」って、海外に勘違いされてしまう文化があるとしたら、それはないに越したことがないと思います。

——現在の日本の国籍法では、外国籍を取得した日本人は一定の時点までに日本と外国籍のいずれかを選択する必要があり、外国籍の離脱に努めなければならないとされています。この国籍選択制度に対して、2009年の民主党の政策集では制度を見直し「重国籍容認」を目指すという政策がありました

我々の党の綱領自体が「多様性を認め合い、共生社会を作る」というのが、最も強く重きを置いているところです。その部分において、多様な人材が、日本のために活き活きと生活ができ、仕事ができる環境を整えるというのは大切なことだと思っています。

——民進党としても政策は継続される?

一度我々が政権公約で掲げたことですから、これを修正することはないです。

——国籍騒動に関連した意見で、「本名を使うべき」という意見もありました

私は17歳まで「謝蓮舫」で、その後、日本国籍を選択して、母の姓の「斉藤蓮舫」になりました。その後、結婚して「村田蓮舫」になって、この間ずっと変わっていないのは「蓮舫」という名前でした。かつ、芸能時代からニュースキャスターとしても蓮舫でずっと通してきていますので、これは私の中では全くぶれていない、皆さんに定着している名前で仕事をさせていただいている。

今の女性閣僚の中にもテレビでの仕事時代と同じ名字で夫婦別姓を通している方がおられるのと同じように、私には違和感はないのですけれども。そのことについて私に言ってこられる方がおられるのであれば、その方のお気持ちがどのようなものなのかも少しは考えてみたいなと思っています。

——ツイッターのアカウント名が@renho_shaとなっていることを問題視するような意見もあります

2009年のアカウント開設時、蓮舫(renho)というアカウントがもう使えなかったんです。他でも試してみて、難しくて、謝を付けて試したらアカウントが取れたんで、という流れです。

——村田とか斉藤で試されたのですか

試してないです。いくつかやって、早い段階で謝が取れたんで。深い思いは特段ないです。Instagramも蓮舫(renho)では取れなくて、なので悩んで、インスタは@renho.jp にしているんです。

——それはjpに何か特段の思いが...

私のホームページがrenho.jpなので。一番最初にヒットしたものでやっているんですよ。

——アカウント名にアイデンティティの表明があるんじゃないかという声もあるのですが

あ、ない。(笑)

——全国紙でおそらく最初に報じた産経ニュースで、記者の国籍についての質問に「質問の意味が分かりません」と切り捨てた局面もあった。過去のインタビューで国籍について不正確な部分もあり、政治家の危機管理対応として、まずかったという指摘もあります

一連の、この皆様方にご関心持っていただいていることで、17歳の時の私の記憶に頼っている部分が随分あやふやで、発言について一貫性が問題視されているのであれば、それは本当に申し訳ない。記憶に頼っているところが大きい。お詫びはしてきている。

一方で、これを報じられた時の記者の質問は、「最近、ネットで、ブログで、読みましたか?」と言われたところから始まったんですね。で、「ごめんなさい、読んでないんでわからないんです」って言ったら「いやネットで言われてますよ?」っていうような質問の投げ方だったので、「仰っている意味がわからないんで質問をちゃんとしてください」っていう意味で言ったんですよ。そこが使われているんですよね、あれは。記者であればちゃんと質問を投げかけてほしいなというやり取りをしました。

——ここ数日のアゴラではさらに、朝日新聞の93年のインタビューで蓮舫氏の発言として「在日中国国籍の者として」と書かれていることや、2010年の中国国内線の機内誌で「中華民国国籍を持っている」という記載があるとも報道されています

台湾では、かなり私のことが報道されているんですよ。その中には、取材を受けているもの、受けていないものがあるので。ちょっとこの雑誌はわからないです、出どころが。取材を受けたかどうかもわからないです。

朝日の方は、私は確かに17歳までは「中国」という在留許可証を持っていましたから、確かに中国の国籍だったと思うんですが。「だった」という話をしたと思います。過去形で。

——普通に暮らしている人にとっては、出す必要のないプライバシーに関する資料を公開しています

公人として求められれば、ちゃんと説明を尽くさなければならないとは思っています。ただ、他方で極めてプライベートなことをズケズケと土足で、かつ本人に確認をしないで書き込みが連鎖で進んでいくような環境があることは本当に本当に悲しいなあ、悲しいの一言につきます。

——ネットの怖さも感じられたということですが

成熟してきている部分もあると思うんです。Yahoo! Japan ニュースの記事で風向きが変わった部分も大いにありました。テレビや新聞だとほんの一言ぐらいしか使われないので、あのようなロングインタビューを掲載していただけると訴求力があります。

希望もあります。ある意味インターネットの中では健全な議論と言いますか、「それは区別的ではないか」とか「もっと開かれた日本にするべきじゃないか」という論を展開される方もおられ、一方で「純血主義を貫くべき」という多様な声が、このことをきっかけに出ているのはある意味健全だと思う。これが、感情論だけでやり合いにならないように見守りたいなとは思いますが。他方で、共生社会をこの国でどう認めていくのかは政治課題として考えていかなければいけないなと思います。

——現在、重国籍者が国会議員になることは禁止されていないが、これを問題視して、禁じる法案提出の動きもあります

いろんな声が出てきてもいいと思うんですよ。国民の声がどこにあるのかなというのは丁寧に耳を傾けたいと思います。

——現時点でご判断されることは

できないです。それは。国民の声を聞いてから。

蓮舫氏は、9月15日に投開票される民進党代表選に出馬している。代表選に立候補しているのは、他に前原誠司元外相、玉木雄一郎国対副委員長。

■蓮舫氏の国籍について

なお、これまでの説明で、蓮舫氏は自身の国籍について以下のことを明らかにしている。

・1967年に台湾籍の父(故人)と日本人の母の長女として、日本で生まれた。

・出生時点の日本では父親の国籍しか取得できなかったため台湾籍として日本で暮らした。

・日本と台湾が断交した1972年以降は中国籍の表記となった。

・日本の国籍法改正により1985年1月21日、17歳の時に日本国籍を取得した。

・同時期に父と台北駐日経済文化代表処を訪れて台湾国籍放棄の手続きをしたと記憶し、過去にそう説明してきた。

・しかし「代表処での父親の台湾語がわからなかったので、実際どういう作業が行われていたかわからなかった」(9月6日の記者会見)

・指摘を受けて国籍について台湾側に問い合わせたが、回答に時間がかかる

・念のため、9月6日に再度、国籍放棄の書類を提出した

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