2015年9月10日、堤防が決壊した鬼怒川(左)。茨城県常総市の住宅地に濁流が流れ込んだ
2015年9月10日、北関東や東北を豪雨が襲い、宮城、茨城、栃木の3県で計7人が死亡し、多くの家屋が浸水した。鬼怒川の決壊で死者2人、3000戸以上が浸水した茨城県常総市では、住民が屋根からヘリコプターで救助される様子などが注目を集めた。
2015年9月10日、ベランダや屋根の上で救助を待つ逃げ遅れた人たち
浸水被害からの収束が一段落し、「常総」の地名を聞くことは少なくなった。しかし、まだ約60人がつくば市の公営住宅で避難生活を続けている。公的支援の手薄さなどから家屋や事業の再建をあきらめる人もおり、常住人口は被災前より約1000人減少した。
(C)Yoshihiro Yokota
あれから1年。常総市を拠点に空き家の補修や住民のつながりの再構築など、地域社会の再生に向けて模索を続けている「茨城NPOセンター・コモンズ」代表理事の横田能洋さん(48)は2016年7月、クラウドファンディングを呼びかける文章で、被災がもたらす「心の崩壊」を、こう表現した。
「自分ではもう直せないから、長年住んだ家だけど壊すしかない」、
「街を出て、家族のところに行くしかない」、
そう言って街を去っていく近所の人がいました。
そういうことが寂しいのです。
それを、どうすることもできないと感じる時、悲しいのです。
そんな辛いことが続いているのに「気にもかけてもらえていない」と感じる時、心が重くなるのです。
私たちは取り残されていると感じるのです。
水害から1年を経た常総市で、見えてきた復興への課題は何だったのか。横田さんに聞いた。
■失われたつながり、生きがい
(C)Yoshihiro Yokota
11月末に社会福祉協議会がボランティアセンターを閉めて、泥出しのニーズは一見、表面から見えなくなりました。しかし、ここからが本当の復興の始まりでした。
この建物の隣にある広い空き地も、水害の前はレストランでした。集まって話す場がなくなり、つながりや生きがいといった、普通にあったものが失われていきました。
常総水害では、全壊家屋が53戸と比較的少なかったことから、仮設住宅が造られませんでした。これが孤立化に拍車をかけたと思います。被害が一段落して、中心部の避難所が徐々に閉鎖されていくと、被災者は自宅に戻って、誰とつながるでもなく、延々と浸水した家の片付けをするだけになる。その結果、引きこもりや認知症が増えつつあります。そうした人たちに、支援の手が届かなくなってしまいました。仮設住宅があれば、少なくとも最低限のコミュニティーは維持できたのではないかと思うのです。
被災者生活再建支援法では、全壊家屋に100万円、大規模半壊で50万円を支援すると定められている。茨城県には約20億円、常総市には約8億8000万円の義援金が全国から寄せられたが、常総市内の建物は全壊から半壊までだけで5000軒を超えたため、支給される義援金は県、市ともそれぞれ全壊20数万円、半壊で十数万円だった。
住宅の保険に入っていないと、床上浸水した住宅の修理に1000万円単位の自己負担が発生します。同じ地域でも住宅を直せる人と直せない人の大きな格差が生じてしまいました。被災者からの聞き取りでも「お金など、経済的な損害を何とかしてもらえないか」という声を多く聞きました。
「突然、水害に仕事を奪われた。死ぬまで現役のつもりだったけど……」
製麺所を営んでいた同市水海道橋本町の青柳栄安(しげやす)さん(69)は、解体中の壁がない工場でつぶやいた。創業73年の3代目。妻の京子さん(64)と製麺、配達、店頭販売を手がけ、朝から晩まで働いた。
そんな日々が水害で一変した。店舗兼住宅と倉庫、工場の計6棟が浸水。製麺機や冷蔵庫などの設備も全滅した。数千万円の再建資金のメドが立たず、休業の間に取引先は離れた。「独立した息子2人に負債は残せない」と、年末に2人で廃業を決めた。(中略)工場などの解体には1千万円の費用がかかる見通しで、青柳さんは「貯金を切り崩して少しずつ壊していくしかない」と話す。
(朝日新聞2016年9月8日付茨城版「(被災地は今 鬼怒川水害から1年 商売再開、明暗」より)
(C)Yoshihiro Yokota
義援金の配分に頼って生活再建しなさい、という、国の「自己責任主義」が根本的な問題です。だから中小事業者の廃業が増えたのです。
家を解体して、街を出ざるを得なかった人に戻ってきてもらいたい。手がつけられていない空き家を準公営住宅のように公的支援を入れて、活用できないか。安心でつながりのある住宅を整備しないと人口流出に歯止めがかからない。行政や金融機関、建設業者と、そんな取り組みを進めようと話し合いを続けています。
今、私たちが使っている建物も元は空き家で、修復に800万円かかると見積もりが出ました。「ああ、こうやってみんな再建をあきらめるんだな」と思いましたが、ほぼボランティアの力で、200万円ぐらいの作業代で修復しました。この第2、第3のケースを被災の酷かったところに広げていきたいのです。
■ぬくもりのバトン
水害から1年の2016年9月、横田さんらのグループは、被災者約110世帯の声や、1年間の水害の記録をまとめた冊子を作ることにした。「大勢の方々に助けていただけた事、助け合いの大切さが身にしみました」「ボランティアに参加してくれた事は本当に頭が下がる思いでした。次は私の番だと思います」といった言葉が並ぶ。クラウドファンディングで約100万円の出版資金を集めた。出資者のほか、寄付やボランティアで支援してくれた人に配布する予定だ。
被災者の声を、支援してくれた人に届ける冊子。横田さんはこれを「ぬくもりのバトン」と名付けた。
避難所で不要になった電気毛布や自転車を必要な方に配りながら、一軒一軒、当時の気持ちや行政、市内外の人に望むことなどを記入してもらいました。支援してくれた全国の人に、報告を兼ねて減災に役立つ情報を届けたい、記録して風化を防ぎたいという目的のほかに、市内の「温度差」を埋めたかったんです。
元々、常総市は合併前の自治体で生活圏がまったく違いますし、ちょっと水が来たけどすぐ乾いた高台の地域もあれば、1~2mの浸水が3~4日続いた場所もありました。1日で水が引いた人に、住宅が浸かって人生が狂った人の思いを知ってほしかったんです。同じ市民として、まとまって手を取り合っていかないと、復興への力が出てきません。
■被災した他地域との連携
場所は違っても、同じ被災者だから分かり合え、学べることもある。2015年12月に義援金を持って常総市を訪れた広島のNPOからは、2014年の土石流で74人が死亡した災害を教訓に、民間のマンションなどを「一時退避所」にするという、地域独自で立てた防災対策を教わった。
行政は「なぜ避難指示をもっと早く出さなかった」と叩かれますが、実際に避難指示が出ても、行政が指定した避難所は家から遠かったり、水害時に安心できる場所でなかったりしました。そうしたケースを想定して、広島市内の町内会や地域防災グループは、住民が近隣のマンションなど2~3階建ての建物を選んで、水害時に上階に避難できるような取り組みを進めています。
これをぜひ、常総市の被害が大きかった地域で完成させて、2016年中に避難訓練までやりたい。地区の人が安心感を増すのも、人が戻ってくる要素だと思っていますので。
冠水した水が引き、後片付けをする人たち 撮影日:2015年9月13日
今の常総は、一度にみんな水につかった経験が身にしみていますから、コミュニティーの再建もしやすい。連絡網を配ると悪用されるから嫌だ、という関係ではなく、ある程度お互いが見える関係になって、「自分の家だけ守る」という発想を変えていけば、結果的にお互いを守れます。
災害からは誰も逃げられないから、「自己責任主義」や「うちは関係ない」という意識を変えるきっかけにもなります。転んでもただでは起きないぞ、と、前向きにとらえたいと思います。
北海道や岩手県では、台風による豪雨からの復旧作業が続く。「土砂災害のある地域とは事情が違いますが、やがて水が引いて復興が課題になったとき、僕らが直面した課題が役に立つのなら、ぜひ共有したい」と横田さんは語る。
メディアで大きく注目されなくなっても、住民は被災からの原状回復を続けていくことになる。「孤独な戦い」を強いられる人を増やさないためには、過去の被災地などと連携して情報共有し、行政や世間に理解と支援を訴えていくことが欠かせない。地域のニーズを把握し「地元の課題を最後まで背負い続けるだろう」と語る横田さんら地元の支援団体の取り組みが鍵となる。
関連記事