※画像の一部を加工しています。
7月25日の昼下がり、東京の下町にあるターミナル駅。約50~60人の聴衆の前で、31日投開票の東京都知事選に立候補している男性の演説が始まった。サングラスやマスクで顔を覆った人に加え、車いすの高齢の女性から若い男女まで年齢層は様々だ。
歴史的に在日コリアンの住民が多く、朝鮮学校もあるこの街で、この候補は30分弱の演説のうち25分近くを、朝鮮学校の話に費やした。
演説では終戦直後に朝鮮学校が設立され、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が閉鎖命令を出して在日朝鮮人らが抗議した歴史を語り始めた。「講義」の間、聴衆は静まりかえる。やがて、テンションが上がってきた。
「大阪で朝鮮人たちが大暴れしたんです。この事件がきっかけで日本の制服警官は拳銃を持つようになりました。いかに朝鮮人が大暴れして危険かということがこの時点で分かるでしょう。そうやって朝鮮学校が我々のすぐそこにあるんですよ」
「キンショウオン(金正恩)、あのブタが、テロブタが、朝鮮学校の校長を決めると言ってるんですよ」
この候補がかつて会長を務めていた団体は、在日コリアンの多く住む地区で「叩き殺せ」などの言葉でデモ行進を繰り広げていたことが社会問題化した。2009年から10年ごろには、京都の朝鮮学校前で「朝鮮学校を日本からたたき出せ」「朝鮮人を保健所で処分しろ」などと拡声機で発言したとして、刑事ではメンバー4人の有罪判決が確定。民事でも約1200万円の損害賠償を命じられた。しかしこの日の演説では「間違ったことをやったとは、これっぽっちも思っておりません」と述べ「日本から朝鮮学校、このテロ組織をたたきつぶす必要があるんです」と叫んだ。
最前列の聴衆から「そうだー」と野太い声が上がり、他の聴衆が拍手する。
「どうしても民族教育をしたいのであれば、祖国に帰って存分にやっていただきたい。我々日本人が、他国の民族教育のために、我々が働いて収めた税金が使われる。こんなことは認められないんですよ」
「あなたたちの暮らしている所は朝鮮でも支那でもない。それが日本に反日行為を続けるのであれば、批判されて当然なんですよ」
演説を終え、候補者は聴衆と記念撮影や、著書のサインに応じていた。
※画像の一部を加工しています。
少し離れたところで遠巻きに演説を見つめながら、小さく拍手をしていた男性がいた。都内に住む19歳の専門学校生で、すでに期日前投票でこの候補に投票したという。「まったく知らなかった。あ、こういう学校だったんだって分かった。朝鮮の方がいろいろ言ってるので批判はあると思うんですけど、負けないような強い覚悟を持って選挙に出ているんだと思った」
候補者や団体がヘイトスピーチで社会問題になったことをどう思うかと尋ねると「よくない、みたいには聞いてたんですけど、これからよく勉強したい」と答えた。
朝鮮学校の校長を務めたこともある男性は、この候補の主張を後で聞いてあきれかえった。「校長人事なんて、一つ上の上司の胸先三寸だよ。奴の主張は8割方うそっぱちだし、万が一にも当選することはない。相手にするようなことでもない」と、表面上は静観の構えを見せる。
しかし「一国の代表にブタやら何やら、都知事になろうとする人の言動か。選挙運動が格好のパフォーマンスになってしまっている。何とかならないのか」とまゆをしかめた。
■選管は対策を盛り込めるのか
2016年5月の衆院本会議で、民族差別などを街頭で煽る「ヘイトスピーチ」の対策法が成立した。「不当な差別的言動は許されないことを宣言」し、解消に取り組むと定めた理念法で、罰則はないが、国や地方自治体が教育や啓発活動などに取り組むよう義務づけている。
しかし、選挙演説を規制する具体的な根拠はない。総務省選挙課は「ここはヘイトスピーチ対策の所管官庁ではない。違法行為は警察が取り締まり、裁判所の判断で各選管が判断すること」。東京都選挙管理委員会も「選管に違法行為の調査、取り締まり権限はない。言論の自由、表現の自由の中で何を述べるのかに踏み込むことで、言論弾圧の懸念もある。演説の中身は有権者が判断すること」と、対策法と公選法は無関係との立場を取る。
■政見放送は局の判断で削除例も
政見放送はどうか。公選法には「放送局は録音、録画した政見をそのまま放送しなければならない」と定められているが、7月25日のNHKテレビの政見放送では、ある候補者の音声が一部削除されて放送した。卑猥な用語を連呼した部分をカットしたとみられる。
過去には、放送局側が「差別的だ」と独自に判断して音声をカットした例がある。NHKは1983年の参院選で、東京選挙区から立候補した故・東郷健氏(雑民党)が政見放送で「めかんち」「ちんば」と発言した音声を消して放送した。東郷氏は提訴したが、90年に最高裁で敗訴が確定した。
2016年、冒頭の候補はNHKの政見放送で、外国人生活保護の廃止を訴えた。団体会長時代に連呼していた「死ね」「殺せ」などの表現は影を潜め、いわゆる差別用語も使わなかったが、今後、ヘイトスピーチ対策法の趣旨をふまえて判断することはあるのか。NHKに問い合わせたところ「仮定の話には答えられない」との回答が帰って来た。
関連記事