山口敏夫氏、どんな人? 「政界の牛若丸」が都知事選に立候補表明

「政界の牛若丸」との異名で知られ、背任・詐欺などの罪で実刑判決を受けて政界を去っていました。

7月31日投開票の東京都知事選をめぐり、元労働大臣の山口敏夫氏(75)が5日記者会見を開いて立候補する意向を表明した。派手なパフォーマンスにより「政界の牛若丸」との異名で知られ、背任・詐欺などの罪で実刑判決を受けて政界を去った山口氏。事件以前はテレビ出演も多く、TBS系テレビ番組「オールスター感謝祭」にも数度、解答者として出演したことも。どんな人物なのだろうか?

過去の朝日新聞の報道やコトバンクなどによると、以下のような経歴だという。

■父の後を継ぎ、最年少代議士に

山口氏は衆議院議員山口六郎次氏の3男として、1940年8月29日に埼玉県で生まれる。家は裕福ではなく、中学生時代には新聞配達をし、ヤギやニワトリを飼っていたという。長男と次男は若くして亡くなった。明治大学在学中、山口氏が21歳の頃に、父親が亡くなった。すぐには被選挙権がなかったため、石田博英代議士の秘書を経てから1967年の衆院選で当選。26歳の若さで当時最年少の代議士になる。以来10回連続で当選を果たし、トップ当選の経験も8回あった。

■新自由クラブを結成、政党を渡りあるき「きわどい政治ゲームが得意」

1976年にはロッキード事件を機に、河野洋平氏らと自民を離党し、新自由クラブを旗揚げした。1980年に幹事長となり、83年には自民党と統一会派を結成する。この頃から「急に金集めを始めた」と囁かれ、「きわどい政治ゲームが得意」とのイメージが定着。「政界の牛若丸」のニックネームが付けられたという。1984年、第2次中曾根連立内閣で労働大臣に就任、衆参同日選で自民党が圧勝した1986年に新自由クラブは解党、山口氏も自民党に復党した。この時には多額の借金を抱えたという。その後、宮沢喜一内閣の不信任案に賛成して再び自民を離党し、1993年に新生党入り、1994年には新進党に加入する。

■「すき間政治家」の評

竹下登元首相は山口氏を「すき間政治家」と評したという。自民党内では異端児でありながら、安倍晋三首相の父である安倍晋太郎氏や金丸信氏ら実力者の周辺に身を置き、立ち回ることで存在感を発揮したからだという。派閥の違う安倍晋太郎氏の元には日参し、背任容疑で逮捕される前日には安倍氏の自宅に立ち寄り線香をあげたという。

■旧2信用組合の不正融資事件で実刑判決

山口氏が政治の世界を去った理由は、かつて存在した、東京協和信用組合と安全信用組合という二つの信用組合の元理事長らが、背任容疑などで逮捕された事件。1995年、事件に関わった疑いで、山口氏は衆議院で証人喚問を受け、その後逮捕された。元理事長らは高い金利で集めた預金を、自分たちが関係するリゾート開発などの関連会社に「自己貸し」。不良債権化させて回収が不能になった。十分な担保などを取っておらず、自分たちの利益のための融資だったと判断された。

捜査の過程で、山口氏の親族の会社にも不正な貸付があったことが判明し、山口氏は背任や業務上横領容疑などの共犯として逮捕、起訴され懲役3年6カ月の実刑判決が2006年に確定した。

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