6月20日は、世界難民の日。いまなお内戦の続くシリアでは、2016年5月までに、480万人を超える人々が故郷を離れることを余儀なくされ、難民となっている。シリアはいま、どうなっているのか。
そんなシリアの人たちの現実を伝えるドキュメンタリー映画「シリア・モナムール」が6月18日、シアター・イメージフォーラム(東京・渋谷)などで公開された。
2015の年山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞を受賞した同作は、フランス・パリに亡命しているシリア出身のオサーマ・モハンメド監督が、シリア国内で市民らによって撮影されYouTubeなどに投稿された動画素材を編集した、シリアのドキュメンタリーだ。
デモ中に襲撃される人々、父を失った息子、苦悩する兵士、戦場で傷つく猫……。映画の冒頭に「撮影したのは、1001人の男性と女性と私」とあるように、多くの人々によって記録された、凄惨なシリアの日々が浮かび上がる。ある日、監督が西部ホムスに暮らすクルド人女性シマヴからメッセージを受け取ったのを機に、ふたりの往復書簡が始まる。
なぜ、この作品は誕生したのか。現地に生きる人々、女性や子供たち、そして兵士の思いは? ハフポスト日本版は、モハンメド監督にメールで聞いた。公式インタビューと合わせて紹介する。
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■2011年、シリアの人々は「多様性・シリア国」として立ち上がった
——2011年、カンヌで政権批判のプレゼンをしたことで、シリア政府に脅迫をされてフランスに亡命したと聞きました。シリアの内戦を、パリでどう思いましたか?
悲劇は、シリアの人々が民主化への希望と国に対する美意識を抱いたときに起こりました。シリア人にとっての最大の悲劇は、私たちの未来が破壊されたことでした。政権は、長年シリアの人々が思い描いてきた理想的な未来絵図を、誰にも知られないように破壊して、対外的にたった一つだけの国のイメージを作ろうとしたのです。
しかし、2011年に私たちシリア人は立ち上がりました。シリアとは、「多様性・シリア国」であると気がついたのです。私たちの国は、人種や宗教や政治信条などが同時に平和的に共存し、正義と自由が根底にあると再認識したのです。シリアのファシストたちは「自由と多様性」を嫌うのです。
■シリアの現実は、人類が共有する“同じ世界”で起きていること
——シリアの現実を映像で伝えることに責任を感じましたか?
その通りです。責務とは「多様性・シリア国」の一員であり続けることでした。遠く離れたパリにいても、その責務を全うしたかった。
世界はシリアで起きていることを知るべきです。これは、シリアだけで起きている現実ではありません。全人類が共有する“たった一つの世界”で起きている現実なのです。人々が平和に暮らせる国もあれば、人々が無残にも殺され国を追い出される現実もある。人類が共有する“唯一の時”に全てが起きているのです。
告白します。多くの同胞が殺されていく現実を、私は遠く離れた安全なパリで見ながら、惨めで空虚な「時」をさまよっていました。そして自分自身を、その空虚さから救い出したかったのです。
■ホムスのクルド人女性、シマヴの存在
——映画に登場するクルド人女性、シマヴとの出会いは? 現地ホムスから、彼女が内戦に怯える日々や、子供たちと触れ合う様子が投稿されています。どのように共同で映画作りをしたのでしょうか。
2011年のシリア革命は、映像革命でもありました。YouTubeに投稿された最初の動画を見て、私は映画を作ろうと決意をしました。それは、トラックの荷台に積まれたまま死んでいる父親に抱きつき、空を見上げ身体を震わせながら泣いている少年の映像でした。
映画を作るために、私は匿名の人々によるオンライン上の映像群から、ひとつの強いイメージを構成することを考えました。
闇に葬られようとするシリアの記憶を、命がけで記録しつづける名もない映像作家たちは、一体誰なのか?「時」のヒーロー = 匿名 = 新たなるイメージ・メーカー……。
そんなときに(シマヴがメールをくれて)私の前にシマヴが登場し、これまでずっと匿名だったイメージ・メーカーのひとりが、ついに扉を叩いてくれたと思いました。1000からなるイメージ・メーカーのひとりとして。
ホムスに住むクルド人女性シマヴは、撃たれたときの様子も撮影した
彼女は私を祖国シリアへ再度導いてくれたのです。シマヴと出会い、私は勇気づけられました。母なる自然ともいうべきなのでしょうか。匿名の人々による1000もの映像を象徴するのは、知性と威厳のある女性だったのです。
シマヴとは女性であり、真実のメタファーなのです。私はシマヴを追いかけるようになりました。そしてシマヴも、私、つまり映画を追いかけるようになりました。
■破壊され尽くした街にも、美は存在する
——作品では、いままでの映画では描かれなかった凄惨な映像が描かれています。同時に、男女の詩的な会話によって、それら映像は美学や哲学を可視化したように思えました。
美を持って暴力に対抗したかったのです。芸術とは、美であり正義であり、希望の創造ともいえます。そして、自由である私たちの最大の防御でもあります。
映画には、スナイパーによって撃ち殺され放置された遺体を、命がけで安全な場所に移動させるシリア人の人々がいます。彼らはその後、遺体を静かな墓に埋葬したのです。死に対する尊厳とは、生命に対する尊厳です。
映画に登場する、小さなオマールも父親を失い、包囲攻撃されている街で生活を送っていました。しかし、彼は美しい薔薇の花を探していました。破壊され尽くした街にも、美は存在するのです。
■紛争地にいる兵士は、皆「待機中の殺人者」
——政権側の兵士が、苦悩を語る映像が印象的でした。どのようにこの映像を入手したのでしょうか?
すべての映像は、YouTubeやその他のオンライン上で見つけました。世界中の紛争地にいる兵士は、皆「待機中の殺人者」です。人を殺すことを命令される者なのです。それは悲惨なことです。
私は映画で(苦悩を)告白をする兵士に、共和制ローマの剣闘士「スパルカタス」の名をつけました。彼は市民を殺せ、という政府の命令に背き自由を勝ち取ったのです。
しかし、多くの兵士には同じことができません。兵士が政府に背くことは死に値します。しかも想像できないような残酷な殺され方をするのです。
多くの兵士は自分の想像力をごまかし、即興的に暴力を振るうのです。その暴力は人々のサディズムを呼び起こし、撮影された映像は、彼らの上に立つ者のサディズムを満足させるものなのです。そのような映像も、オンライン上には溢れていました。
■国際社会は、シリアで希望を持つ人々と連帯を
——現在のシリアについてどう思いますか? またシリアの未来とは? 混迷を極めていくのか、それとも希望はあるのか? 何が希望でしょか?
現シリア政府とイスラム過激派には何の未来もありません。断言します。しかし、私たちシリア人は別です。私たちは決して希望を諦めません。
2016年3月に停戦が合意されたとき、多勢のシリア人は、再び街に出て破壊され尽くされた街中をデモ行進しました。自由と正義を民主的に訴えたのです。それこそがシリア人が希望を捨てていない証です。しかし残念ながら、その姿は世界に向けて大きくニュースとして取り上げられませんでした。
今後、シリアで重要なことは連帯をすることです。小さいグループであっても強固な連帯が重要です。国際社会は、国際政治アナリストと話をするよりも、シリアで希望を持つ人々と連帯することが急務なのです。
——いつか、シリアに戻りたいですか?
パリに亡命した時から毎日シリアのことを想っています。もちろん、シリアには帰りたいです。
シリアの地にいる自分を想像したいです。自分の中でいまだに止まっている、ある「時」を解放したいです。
そして、シリアでもう一度泣きたいです。シリアで、素晴らしいシリアの人々についての映画が作りたいです。シリアにある母の墓参りがしたいです。
オサーマ・モハンメド