「FAKE」佐村河内守氏をなぜ映画に? 森達也監督が訴える「二分化への警告」

「A」の続編「A2」以来、単独で作品を世に送り出すのは15年ぶりとなる。

「ゴーストライター」騒動で話題になった作曲家の佐村河内守さんのドキュメンタリー映画『FAKE』が、6月4日から東京・渋谷のユーロスペースなどで公開されている。

佐村河内夫妻に密着して撮影したのは、監督の森達也さん。オウム真理教の信者を描いた「A」の続編「A2」以来、単独で作品を世に送り出すのは15年ぶりとなる。

2014年2月、『週刊文春』の取材に、作曲家の新垣隆さんが「ゴーストライターだった」と告白して以来、佐村河内さんは「耳が聞こえているのに、聞こえないふりをして、障害者を装っている」などの猛烈な批判にさらされてきた。映画では、取材や出演依頼に訪れるメディア関係者とのやりとりや、新垣さんが出演するテレビを見つめる佐村河内夫妻の姿などがそのまま映し出される。佐村河内さんや妻の視点から、現在もくすぶり続ける騒動を見つめる映画となっている。

作品について、森さんに聞いた。

――森さんが単独でメガホンを握ったのは『A2』以来ですね。しばらく遠ざかっていたのはなぜですか。

東日本大震災の被災地で撮影した『311』という共同監督作品はあったけど、「ドキュメンタリーでは生活できない」という経済的な理由もありました。それ以上に、A2が自分で思っていた以上に興行成績がよくなくて、落胆が大きかった。それに加えて、ドキュメンタリー映画は被写体への加害性も強い。人を加害するということは自分もダメージを受けることなので、撮影を通じて精神的にボロボロになってしまったというのもありました。

――なぜ佐村河内さんを?

一連の騒動や記者会見を「こんな人がいたのか」と思って見ていましたけど、関心はそれ以上でもそれ以下でもなかった。しばらく経って、知り合いの編集者から「彼について本を書かないか」という熱心な依頼の電話がありました。それでも興味が湧かなかったけど、「とにかく、メディアが言っていることとは全然違うので、森さんに書いてほしい」と何度も言われ、一回会うだけ会ってみようと、2014年8月に2人で会いに行ったんです。

しばらく話をして、「この人は映画だな」と思いました。薄暗い空間に、彼がいて、奥さんが手話通訳をやっていて、猫がいて、窓の外は電車が走っている。あの状況が映像的だと思ったんです。撮るんだったら密室劇になるなとも思った。話が終わった段階で「あなたを被写体にしたい」と言いました。彼の映画を撮りたい、そして奥さんも撮ると言ったんです。彼は面食らっていたようです。奥さんは最初から「私は絶対出ません」と言っていた。でもいつかOKしてもらえるという自信はありました。

――森さんがよく言われる、世間からバッシングされた少数派というテーマに合っているような気がします。

どちらかというと「絵になるな」という気持ちが勝ったような気がするけど、強いて言えば、世間の多数派に対する抗いというんですか、後付けですが、そういう気持ちが、きっとあったんだろうと思う。

この映画の撮影期間は、特定秘密保護法が施行されたり、安保法制が閣議決定されたり、この国がターニングポイントを迎えていた時期に重なります。そしてこうした動きの原点には、1995年のオウム真理教事件があったと思っている。地下鉄サリン事件によって刺激された危機意識が集団化を誘発し、過剰なセキュリティ意識が異物を排除し、さらに敵を作り、マッチョな政治家を求める傾向に繋がっている。どうやったらその思いを映像に出来るんだろうと考えていたことは確かです。その意味で『Fake』は、実は『A3』であるといえるかもしれない。佐村河内さんを撮ることで、今の社会に対しての違和感を表明できると、意識のどこかで思っていたかもしれません。

――2014年は、STAP細胞など、そうした現象がたくさん起きました。

大手ホテルや百貨店での食材偽装が問題になり、小保方さんの問題も起きました。そして朝日新聞の従軍慰安婦報道謝罪から始まった大きな騒動。朝日以外のほぼすべてのメディアが、「朝日は事実を捏造した」とか「売国メディア」「反日」などと激しく批判したけれど、でも他のメディアの多くも、吉田証言に依拠した記事を何度も掲載していました。それこそ産経新聞や読売も。それなのに、なぜここまで朝日を無邪気に叩けるのか。この背景にも、真実VS偽りという二分化が働いています。佐村河内騒動やSTAP細胞も同じです。真実と噓、正義と悪。特に9・11(2011年アメリカ同時多発テロ)以降、日本ではオウム以降だけど、「テロ」をキーワードにした「敵と味方」という二分化に、とても強く違和感を抱いてきました。

――映画では森さんが新垣隆さんを直撃する場面も出てきます。テレビでも、新垣さんはよく登場しますけど、佐村河内さんはほとんど登場しませんね。

ずっと取材依頼のほとんどを断っているようですね。

――だからこそ、佐村河内さんの言い分や姿が取り上げられるのは貴重ではあります。豆乳を毎食2リットル飲んだり、チャーミングな一面もあるという印象を受けました。

表現者としてのあくの強さはある。でも同時に茶目っ気もある。人間にはいろんな面がある。でもテレビに代表されるメディアは、それをわかりやすく一つの形に整理整頓してしまう。

最も象徴的と思ったのは聴覚です。彼の場合、感音性難聴といって、音によって聞こえたり聞こえなかったり、体調によっても変わる。波があるわけです。そして彼は手話だけでなく口話ができる。だから口の動きだけで相手の話が分かるけど、その口話も、親しい人ほどよく分かるので、初対面の人はほとんど分からない。これ、全部グラデーションなんです。白黒なんて本来は決められないんだけど、決めないことにはメディアは商売にならないんでしょうね。

聴覚障害だけでなく、いろんな現象でもそうだと思います。それをとても安易に四捨五入してしまうメディア状況には強い違和感があるし、世界が矮小化されてつまらなくなってしまう。1か0かの世界なんて嫌ですしね。

――ラストに関する話ですが、「でも、やっぱりなぜなんだ」というのが、私の感想です。

それは僕にもわかりません。彼は譜面を書けないから、それを誰かに依頼しないといけない。本来、自分で譜面を書く勉強をすればよかった、とも思うけど。先日も、クラシック音楽業界の人から「あの程度の分担は僕らもよくやっている」と聞きました。「自分もゴーストで作曲をやったこともあるし、巨匠と呼ばれる人は主旋律しか書かずに、全部できあがったらその人の曲になる」。

まあこれは補助線です。わからなくていい。世界はわからないことだらけです。正解なんて誰もわからない。わかったような気分になっているだけです。わからないことがわかる。それはそれで大事なことなのでは、と思います。

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6月4日(土)より、渋谷・ユーロスペース、横浜シネマジャック&ベティにてロードショー、ほか全国順次公開。

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