天安門事件から27年 民主化運動を武力弾圧、あの悲劇を振り返る(画像・動画)

事件はなぜおこったのか。「血の日曜日」を画像や動画とともに振り返る。

1989年6月に中国で起こった「天安門事件」から、今年で27年を迎える。民主化を求めた学生や市民らが武力によって弾圧された歴史的悲劇を、写真や動画とともに振り返る。

※一部、負傷者や遺体が写った写真があります。閲覧にはご注意ください。



1989年4月、民主化に理解を示していた前総書記の胡耀邦(こようほう)氏が死去すると、北京・天安門広場には哀悼の意を示す人々が集結し、追悼デモがおこった。当初は学生たちが中心だったが、やがて労働者や市民らも参加する民主化デモに発展。政府機関の役人、マスコミ、軍人なども参加する数万人規模のデモとなった。参加者らは天安門広場を占拠し、民主化を求め、ストライキを実施し、改革や当局の腐敗を糾弾した。

デモの背景には、独裁的支配を強める最高指導者・鄧小平(とうしょうへい)氏らへの不満や、「改革開放路線」の影響による物価高騰への反発があった。また、当時のポーランドやチェコなど、東欧諸国で進んでいた民主化運動(「東欧革命」)の影響もあった。

しかし民主化運動の拡大で、共産党の支配体制が崩壊することを恐れた鄧小平氏ら共産党指導部は、デモを武力弾圧する方針を決定。6月4日、動員された人民解放軍は、デモ参加者に対し無差別に発砲。戦車や装甲車も投入され、多数の死傷者が出たことから「血の日曜日事件」とも呼ばれた。中国当局は、事件による死者を319人と発表したが、実際の犠牲者ははるかに多かったとされ、正確な死傷者数はわかっていない。

事件の様子はメディアによって世界中に伝えられ、中国政府は強い非難を浴び、国際的に孤立した。外交問題にも発展し、経済制裁も課せられた。また事件後、民主化運動に同情的だった趙紫陽(ちょうしよう)総書記は解任され、新たに江沢民(こうたくみん)氏が総書記に選出された。

■事件から27年、いま中国は

6月4日を前に、中国当局は神経をとがらせて警戒を強めているようだ。時事ドットコムニュースによると、事件犠牲者の遺族が自宅で軟禁され、事件を風刺したデザインの酒瓶を作った男性が「国家政権転覆扇動」の容疑で逮捕されたと伝えられているという。

香港では5月29日、事件があった6月4日を前に、犠牲者らの名誉回復や中国の民主化を求めるデモがあった。民主派団体の呼びかけで市民ら約1500人(主催者発表)が参加した。朝日新聞デジタルなどが報じた。

産経新聞によると、香港では共産党体制を批判する書籍を出版、販売した書店の関係者が連続失踪する事件が起きるなど、中国当局が関与したと思われる政治的圧力や言論への統制が強まっているという。また香港空港では、中国から来る観光客が利用していた書店が相次いで閉店しており、言論の自由の後退を懸念する声もあがっているという。

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