北朝鮮で36年ぶりに開かれている朝鮮労働党大会は5月7日、金正恩第1書記が事業総括報告で、経済発展と核開発を並行させる「新たな並進路線」を提示した。
その一方で「責任ある核保有国」の立場を強調し、不拡散路線への国際協調に協調する姿勢も示した。
国際社会は北朝鮮に対し、6者協議などで核開発の放棄を呼びかけてきたが、そうしたことに応じるつもりがなく、アメリカやロシアなどと並ぶ核保有国としての国際的な地位を改めて求めたとみられる。
朝鮮中央通信は7日に、金正恩氏が大会2日目で報告したとする「事業総括」を配信した。A4判で50ページ以上に及ぶその内容の中で、金正恩第1書記は、朝鮮労働党が「(最近の国際)情勢と革命発展の要求に伴い、経済発展と核兵器開発を並進させる戦略的路線を提示し、その貫徹のため積極的に闘争した」と評価した。
「党の新たな並進路線は、急変する情勢に対処するための一時的な対応策ではなく、我々の革命の最高利益として恒久的に追求すべき戦略的路線であり、核兵器を基軸とする防衛力を鉄壁にして、経済建設にさらに拍車をかけ、繁栄する社会主義強国を一日も早く建設するため、最も正当で革命的な路線」と、核開発が一時的な国際的取引に留まらないと強調した。
さらに核保有による国力強化で「世界社会主義運動が深刻な挫折を経験した暗黒の時期に、チュチェ(主体)の社会主義を高く掲げ、社会主義の真理と優越性を、理論を実践して確証することで、世界社会主義運動の前進を主導した」と、世界の社会主義運動をリードしていると位置づけた。
核開発については「3回の地下核実験と初の水爆実験を成功させ、我が国を世界的な核強国の戦列に堂々と並べ、米帝(アメリカ)の血なまぐさい侵略と核による脅威の歴史に終止符を打たせる誇らしい勝利を成し遂げた」と自画自賛、アメリカに対し「核強国の戦列に並んだ共和国の戦略的地位と、大勢の流れを直視し、時代錯誤的な朝鮮敵視政策を撤回しなければならず、(1953年に結ばれた朝鮮戦争の)休戦協定を平和協定に転換し、南朝鮮(韓国)から侵略軍(在韓米軍)と戦争のための装備を撤収しなければならない」と、「核保有国」として対等の立場で交渉するよう呼びかけた。
一方で「責任ある核保有国として、侵略的な敵対勢力が核で我が国の自主権を侵害しない限り、すでに宣言した通り、先に核兵器を使用せず、国際社会に対して持つ核拡散防止の義務を誠実に履行し、世界の非核化を実現するために努力する」とした。
1950年代の北朝鮮
■「並進路線」とは?
北朝鮮が宣言した「新たな並進路線」は、1962年の故・金日成首相の時代に先例がある。
朝鮮労働党の中央委員会はこの年、全人民の武装化、全国土の要塞化など「4大軍事路線」を決め、武装強化に舵を切った。1962年12月の会議(中央委員会第4期第5次全員会議)で、「人民経済発展の上で一部の制約を受けるにしても、まず国防力を強化しなければならない」とする「国防と経済の並進路線」を採択した。
この年は、キューバ危機でアメリカと旧ソ連の核戦争の危機が高まったが、ソ連のフルシチョフ首相が折れる形でキューバから核兵器の撤去を命じたため、北朝鮮はソ連への失望感を高め「自主国防路線」に舵を切った。
当時の北朝鮮は、朝鮮戦争で荒廃した国土を経済的に再建する途上だった。現在の北朝鮮も、いまだ食糧難から完全に脱出しておらず、「地上の楽園」建設が達成されたとはいえない。その中で、世界情勢の激変を理由に、国家の生き残りのため軍事開発を優先するという姿勢も共通している。
【UPDATE】2016/05/08 18:30
共同通信によると、北朝鮮の朝鮮中央放送は8日午後「特別重大放送」の放送を予告。その後、金正恩第1書記が「事業総括報告」を読み上げる場面を録画放送している。