難民のなかには、たった一人で海を渡った子供が何千人もいる

「状況が昔のままだったら、誰も国を出ようと思わなかったはずです」。あるシリアの若者はこう言った。

[ギリシャ・レスボス島] 2015年、中東の戦争状態にある国々から大勢の移民や難民がギリシャにやって来た。その中には、保護者のいない子供のたちが何千人もいた。

戦争で、あるいはヨーロッパへ来る途中で家族を亡くした子。親戚の助けを受けて、旅を続けている子。家族全員分の料金を密入国斡旋業者に払えない家は、子供(ほとんどが最年長の子か一人息子)だけで、辛い旅に出させることもある。

ヨーロッパで待っている親族の所へ行こうとしている子もいれば、働いて家族に仕送りしなければならない子もいる。

もちろんこれは、子供たちの肉体にも精神にも危険が大きい。地中海を渡らなければならないし、か弱い子供たちを気に掛けることなどない斡旋業者とも、うまくやっていかなければならない。

支援団体METActionはギリシャ当局と協力し、国内各地の難民受け入れセンターに難民の子供たちを送り届けている。(HUFFPOST GREECE)

保護者のいない子供の難民は、ギリシャに到達すると難民受け入れセンターで生活できる権利が得られる。強制ではないが、そこへ行けば、すでにヨーロッパで生活する家族と再会するための手続きも可能だ。しかし、手続きには数カ月もかかるため、旅を続けて自力で親族を探すことを選ぶ子供のほうが多い。

2011年以来、支援団体「METAction」はギリシャ政府と協力し、国内各地の難民受け入れセンターに難民の子供たちを送り届けている。 このNGOは、2015年だけで735人もの子供たちの移住をサポートした。

「保護者のいない子供の難民は、拘置所で何カ月も生活しなければならないという状況が20年間続いてきました。そこでMETActionはある危険な方法に賭けることにしました。そして2011年から現在まで、2672人の子供たちを、センターに送り届けています」とMETActionの代表ローラ・パッパはハフポストギリシャ版に語った。彼女は、拘置所では子供たちが密入国斡旋業者ネットワークの餌食になってしまうと説明した。

ギリシャ人が集まって難民を助ける。その方法は変わってきている、とパッパは語った。「人々は手助けをしたがっていました。そして実行したのです」。

METActionは通訳サービスも提供していて、国連の難民事務局と共同で、難民や移民が当局と連絡を取るためのサポートをし、また彼らが享受できる権利について教えている。パッパによれば、METActionは4カ月前に約100人の通訳を用意したが、難民危機のために現在は180人まで増やしているという。

2015年11月、ハフポストギリシャ版はMETActionチームの旅に加わった。トルコという遠い地から旅を始め、ギリシャにたどり着いた11人の子供たちを、さらに国内の別の場所に移住させるための旅だった。子供たちはレスボス島からピレウスの港町にある宿泊施設へ移された。

ハフポストギリシャ版は、NPOのMETActionチームによる、ギリシャのレスボス島に辿り着いた11人の子供たちをさらに別の場所に移住させる旅に参加した。(HUFFPOST GREECE)

レスボスの港までの車中、子供たちは嬉しそうだった。当然だろう、移民や難民をギリシャの島から国内の別の場所へ移す定期船に、彼らはまさに乗らんとしていたのだから。

数百人の最近ギリシャに到着したばかりの難民たちを乗せたその船に乗ると、子供たちはカードゲームやお絵描きに熱中した。食事の時間になっても、遊びを止めたがらない子もいた。

METActionチームリーダーのクリスティーナは、通訳の力を借りながら、子供たちにいまどこへ向かっているのか説明した。そしてクリスティーナは子供たちと話すことで、これまでの生活や家族についてもっと知ろうとした。

そこには少年が8人と少女が3人いた。アーメッド、オマル、アナス、モハメド、そしてフセインの5人はレスボスの収容施設で出会った。5人はみんなイラクやシリアの出身で、すぐに友達になった。

オマルは最年長。ギリシャ当局には17歳だと言っていたが、後に本当は19歳だと認めている。アナスは最年少の14歳だが、もっと幼く見える。ラヘル、ビレン、アヤナはエリトリア出身。アミール、エーサン、アリはアフガニスタン出身だ。

(子供たちの名前はすべて仮名)

アーメッド(左)とアナスは移動中に一休み。(HUFFPOST GREECE)

アナス

アナスは礼儀正しく、優しい子だ。薄い茶色の髪に、栗色の眼をしている。シリアで育ったが、ここ3年は家族と共にイラクで生活していた。てんかん持ちで、イラクでは適切な治療が受けられなかったので国を出ることにしたという。

オマルはアナスを守るように「これから行く場所で治療してもらえるのかい?」とチームに尋ねた。「心配しないで、治療は受けられるから」とクリスティーナはオマルに約束した。

アナスの叔母は現在北欧に住んでいて、アナスの旅費を出してくれた。アナスは近所の数人と一緒に出発したが、ギリシャではぐれてしまい、一人になった。新しい友達と出会うまでは。

クリスティーナは、ギリシャに着いたら叔母と連絡を取るようアナスに言った。アナスは、叔母を探しに急いで一人で出て行くことはしないと約束した。待つことにしたのだ。パリのテロ攻撃やそのあとすぐに国境が封鎖されてからは、よりその思いを強くした。

アナスの話を聞いている間、何人かの子は眠っていた。少女たちはお絵描きをしていた。少年たちのうち2~3人は、通訳とクリスティーナと一緒にシリアのカードゲームで遊んでいた。だがオマルはその輪に加わらなかった。

「どうしたの?」とクリスティーナが尋ねた。オマルは知っている英語でこう答えた。「ずっと母のことが心配なんだ。頭がおかしくなりそうだよ」。

辛い経験をしてきたにもかかわらず、子供たちは将来に向けて大きな夢を持っている。(HUFFPOST GREECE)

オマル

オマルのこれまでの人生は、困難に満ちていた。彼はシリアの都市アレッポで育った。そこでは親戚がみんな隣近所に住んでいた。しかし今では5つの大陸に散らばってしまった。

シリアに残っている叔父もいるし、北欧にいる人も、同じく北欧へ行く途中の人もいる。両親はここ3年間トルコで足止めされている。2人は若く、父親は42歳で母親はまだ35歳だ。オマルには2人の弟たちもいる。

オマルは、家族がシリアを発つ前、政府に拘束されたと言った。その理由は言わなかったが、6日間拷問を受けたと言う。 なんとかそこから逃げることができたあと、両親から偽造パスポートを渡された。そこでは実際の年齢よりも2歳若いことになっていたので、シリアでの徴兵は免れた。

10代をともに過ごしたガールフレンドはアレッポに残してきた、とオマルは言った。1年前、彼女が空爆で亡くなったと聞いたそうだ。

「何ができるっていうのさ?これが戦争というものなんだ」。

辛いことばかり経験してきたが、オマルは将来の夢がある。無事に北欧にたどり着き、そこで叔父と再会したい。そして卒業したらエンジニアの勉強をしたいと考えている。

「異国の土地は、父親が他の女性と結婚するようなものだ。その女性が母親になることは絶対にない」とフセインは語った。(HUFFPOST GREECE)

フセイン

16歳のフセインは大きくなったら通訳者になりたいという。

両親だけは、祖国シリアに残っている。親族はみんな北欧にいる。

フセインは斡旋業者に800ドルを支払ってギリシャに着いた。 料金は固定されておらず、さまざまな要因で変わる。例えば悪天候の場合、料金は半額になる。

「異国の土地は、父親が他の女性と結婚するようなものだ。その女性が母親になることは絶対にない」とフセインは語った。

「誰もあんなところには住めないよ」。自分の祖国シリアについて、フセインはそう言った。(HUFFPOST GREECE)

モハメド

モハメドの左目の下にはあざがあり、彼が左のほうを見る時、目の中に血が見える。何が起きたのかは言わなかった。

モハメドはいつも冗談を言っていた。とても早口だったので、通訳の人でも聞き取れなかった。そしてモハメドはいつも笑顔だった。シリアの話をし始めるまでは。

「みんな自分以外の全員に警戒してる。夜出かけたとしても、車の一台でも近づいて来たら身を隠す。もしISIS(イスラム国)の誰かと出くわして、その時に半袖を着ていたら、大変なことになります。いとこの一人が養鶏農場で働いていたけれど、ISISに爆弾を落とされて殺されたんだ。誰もあんなところには住めないよ」とフセインは言った。

モハメドが口を挟んだ。「状況が昔のままだったら、誰も国を出ようと思わなかったはずだ。5年前までは良かったんだよ」。

両親はモハメドがギリシャにいることを知らなかった。トルコにいると思っていたのだ。しかしモハメドは北欧に行きたがっている。

「僕はあと100ユーロ持っている。これで行くのに足りるかな?」と少年は尋ねた。「僕の知っているある人が、120ユーロかかったって言ってたから」。

モハメドはギリシャに来るため、もう既に斡旋業者に1200ユーロを支払っていた。

ラヘルとビレンはカードで遊んでいる。(HUFFPOST GREECE)

ラヘルとビレン

いとこ同士のラヘル(16)とビレン(17)はエリトリア出身だ。旅のあいだ、2人は多くを語らなかったが、少なくともビレンは非常に用心深い子だということはわかった。

アミール、エーサン、アリ

夜も更けて、子供たちは眠ってしまった。ただ一人、14歳のアミールだけが起きていた。

他の子たちと違い、アミールには北欧に親族もいないし、行く場所もなかった。ただ職に就いて、アフガニスタンに残してきた両親に仕送りしたいと考えていた。しかし、14歳の子供に仕事をくれる人がいるのか、またやれる仕事があるのか、その両方ともわからないようだった。

同じく14歳のもう2人、エーサンとアリはアフガニスタンで近所に住んでいたので、旅の初めから一緒だった。

「この子たちがどうなるのかは分かりません。これからすべてがうまくいくと信じたいと思います」とMETActionのメンバーは語った。(HUFFPOST GREECE)

到着

船は早朝にピレウスに到着した。アフガニスタンから来た3人の少年はチームメンバーの一人と通訳の後について宿泊施設に入った。

私たちは残りの子たちと新しい家に入った。そこは古いホテルだったが、保護者のいない子供の難民用シェルターに変わった。子供たちは朝食を食べ、そこでの決まり事の説明を受け、登録手続きを済ませた。家族と連絡が取れて、再会する手続きが取れるまでは、そこが一番いい場所だと念を押されていた。

私たちが帰る時、子供たちはさよならを言ってくれた。少し悲しそうにしている子もいた。

「この仕事のつらいところは、そういうところです。決められた役割を果たすだけのお役所気質のために、私たちは子供たちと連絡先を交換することを許可されていないんです」メンバーの一人アンナは、旅のはじめに私たちにそう語った。

「この子たちがどうなるのかは分かりません。これからすべてがうまくいくと信じたいと思います」。

この記事のオリジナルはハフポストギリシャ版US版に掲載されたものを翻訳・編集しました。

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