中村勝広さん、ホテルで急死 阪神GM、亀山・新庄を抜擢し優勝争い(画像集)

この日の正午前、東京都内のホテルで心肺停止状態で発見された。病死とみられるという。

プロ野球・阪神タイガースのゼネラルマネジャー(GM)で元監督の中村勝広(なかむら・かつひろ)さんが9月23日、死去した。66歳。

スポニチによると、この日の正午前、東京都内のホテルで心肺停止状態で発見された。病死とみられるという。

中村さんは千葉県出身。早稲田大学から1971年秋のドラフト2位で阪神に入団。主に二塁手として活躍した

阪神・中村勝広のバッティング=愛知・中日球場 撮影日:1975年05月29日

1982年を最後に現役引退。1983~1987年に阪神の二軍監督を務め、1990年から一軍の監督を務めた。「暗黒時代」と呼ばれた低迷期で、90、91年は最下位に終わるが、92年に亀山努、新庄剛志ら若手戦力を起用。ヤクルトとシーズン終盤まで優勝を争い、最終的に2位になった。

阪神の亀山努選手、対ヤクルト戦、(甲子園で) 撮影日:1992年04月30日

阪神がサヨナラ勝ち、本塁にサヨナラホームインし、喜ぶ新庄剛志外野手(中央)(兵庫・甲子園) 撮影日:1992年09月13日

しかし、翌93年以降は再びBクラスに沈み、95年のシーズン途中で休養。シーズン終了後に辞任した。

その後は解説者を経て、2004~2005年にオリックスの常務取締役球団本部長GMとして、近鉄との球団統合を経験する。

オリックスの入団会見で、ユニホームを着て中村勝広監督(右)と笑顔で握手する清原和博(大阪市内のホテル) 撮影日:2005年12月26日

2006年はオリックスの監督として指揮を執るが、5位に低迷した責任を取って1年で辞任した。2007年にシニアアドバイザー、08年には球団本部長に復帰し、09年まで務めた。2012年9月から古巣・阪神の取締役とGMを務めていた。

入団記者会見に臨み、阪神の中村勝広ゼネラルマネジャー(GM)(左)と握手を交わすマリオ・サンティアゴ投手=16日、兵庫県西宮市 撮影日:2015年03月16日

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