東大→リーマン・ショック→香川で起業 なぜポン真鍋さんは人生を「食」に賭けたのか

ポン真鍋さんは、なぜ「食」にまつわるプロジェクトに情熱を注いでいるのか。「『食』にはすごく可能性がある」と語る真鍋さんに、地方での起業について話を聞いた。

現在、食べもの付きの情報誌『四国食べる通信』の編集長として、四国の各地に足を運び、さらにPRや講演活動などで全国を飛び回る、ポン真鍋さん、こと眞鍋邦大(まなべ・くにひろ)さん。通称である「ポン」は、以前小豆島でポン菓子を作っていたことから、そう呼ばれているとか。

東京大学卒、リーマン・ブラザーズ勤務など、華やかな経歴を持ちながら、2012年に小豆島へ移住。現在は、故郷の香川県高松市を拠点に活動している。

『四国食べる通信』の活動のみならず、「食べる商店」などの店舗も構えている。また、2012年以来Facebookで毎朝欠かさず投稿を続けている「ポン真鍋新聞」では地域に関する発見や意見を発信。多くの人を惹きつけ、地域活性において西日本で注目されている一人だ。

画像集は情報誌と食べものが届く『四国食べる通信』。撮影・坂口祐(以下同)

真鍋さんは、なぜ「食」にまつわるプロジェクトに情熱を注いでいるのか。「『食』にはすごく可能性がある」と語る真鍋さんに、地方での起業について話を聞いた。

■失敗の経験の連続が、自分の礎になっている

――真鍋さんは、東京大学・大学院を卒業後、リーマン・ブラザーズに入社され、2008年の経営破綻まで約3年半勤めていらっしゃいましたよね。

はい。そうした肩書きから「勝ち組ですね」「エリートだね」と言っていただくこともあるんですが、僕のなかでは、実はそんなにそういうことは残っていないんです。「うまくいかないなぁ……」という体験のほうが、今の自分を作っているというか。

というのは、僕の場合、浪人もしていますし、留年もしています。結婚、離婚も、会社の経営破綻も経験していて、30歳の時に住所不定無職にもなりました(笑)。だから、失敗の経験のほうが多いんです。自分では真っすぐに進んで頑張っているつもりでも、うまくいかないことが起こる。

――東大に入れたことも、つまずいたこと……?

確かに入学できたことは「勝ち」というか、成功体験なのですが、僕の場合、東大というより東大野球部に入学したんです。で、その瞬間から4年間「負け」続けたんですよ、弱いチームだから。自分を否定されるような環境になって、失敗の連続になったんです。

――それでも副主将を務めていたそうですね。

野球が上手い人のポイントは、一つが自分のイメージ通りにすぐ体を動かせるなど、野球のセンスがいいこと。もう一つが、もともとの運動能力が高いこと。最後に、努力です。僕は前の2つをそんなに持っていなかったから、上手くなりたいならば努力するしかなかった。「継続は力なり」じゃなくて「継続こそ」「継続しか」なんですよね。よく「ストイックだな」とはいわれますけど(笑)。

でも、そういう失敗体験から学んだものが、自分の礎になっています。高い目標をたてて人生を積み上げていくよりも、僕は目の前のことに日々一生懸命取り組むほうが向いているんだと気付かされました。

禅の教えにもありますが、確かなのは「今、ここ」しかないんですよね。確かなのは今この瞬間と、自分がよって立つ「ここ」だけ。そこで全力を尽くしていこうと思っています。

■地域に「いいね!」をもらうための最高のツールが「食」

――2012年に地元の香川県に戻って、食に関するさまざまな活動を始めたのには、どういう思いがあったのですか。

リーマン・ブラザーズの経営破綻後しばらくして渡米するのですが、その間に実家に戻る機会がありました。よく「地方は疲弊している」といわれていますが、個人個人の暮らしを見れば、都会の人より笑顔が多く、決して疲弊しているようには見えなかったんです。それでも、全体として見れば人口減少などの問題は抱えていました。

地域を元気にするという視点から入って、食をテーマにしました。ちなみに、「地域おこし」という言葉はあまり好きではないんです、それは結果でしかないから。各々に与えられた持ち回りで努力して、外から見た時に盛り上がっているのが活性化であって、はじめから「地域おこしやるぞ!」とそれを目的するのは好きではない。

では「地域おこし」のゴールは何かといえば、最終的に地域の人がその地域に誇りを持てるようになることだと思うんです。

それはどういうプロセスかというと、単純にその地域が人からFacebookといったSNSなどを通じて「いいね!」っていわれることから始まります。それがいい循環を生み、「いいね!」の数をさらに増やしていくんです。そのツールとして「食」にはすごく可能性があります。

理由は三つあって、一つが、食事は赤ちゃんから高齢者まで世界中のみんなが毎日行うもので、可能性のパイが大きいこと。二つ目が、食は感覚的に「おいしい」「いいね!」とすぐに表現できること。三つ目が、食と地域は必ず紐づいていること。例えばおいしいものを食べた時に「これおいしいね、どこの?」という会話が生まれやすいんです。

少しでも多く「いいね!」をもらおうと思ったら、食が最も可能性が高い。そう考えて、小豆島のカタログギフトの制作や物産市を手掛けてきました。そんな活動をしている時に、友人から『食べる通信』を四国で創刊しないかという話があったんです。

■リアリティを取り戻すための舞台を作る

――それで2014年5月、『四国食べる通信』を創刊されたのですね。

生産者と消費者をつなぐために生まれた会員制の定期購読誌で、『四国食べる通信』では瀬戸内海、四国山地、太平洋の食材を隔月でお届けしています。今『食べる通信』の発行は全国に広がりつつありますが、発行月や金額、情報誌のデザインや届ける食べものは、それぞれが自由に決めているんです。

『四国食べる通信』の誌面。特集の取材・執筆は真鍋さん自身が行う。

『四国食べる通信』は、3,980円(隔月発行。税・送料込み)で毎回2〜3種類の食材を箱詰めしてお送りしていることが特徴の一つです。読者は、約510人で(2015年8月現在)、関東に住んでいる人が約40%、四国が約20%強、関西が約20%弱、残りが他県。全国から申し込んでいただいています。

編集長として取材をし、制作活動を通じて改めて四国を見た時、四国では本当にいろいろな食材が作られているんだなと驚きました。もともと耕地面積が狭いので、生産量が日本一のものは少なく、産地としてはあまり目立たないんですが、気候がいいからこそ多種多様なものが作られている。その彩りはすごいと感じています。

2015年5月号の特集で紹介されたトコブシ、スマガツオ、ミニトマト。

――情報誌の制作にとどまらず、「食べる商店」や「食べる食堂」など、空間づくりもしていますね。

リアリティを取り戻したいんです。今僕たちは、むちゃくちゃリアリティを失っているから。コンビニのご飯をずっと食べていたら、弁当の作り方がわからなくなるでしょう。なんとなくネットで見て、知った気になっていることが多いんですよ。

リアリティと妄想の世界の乖離や、想像力の欠如が問題で、それをちょっとでもいいから取り戻していかないといけない。食は、それらを取り戻すツールになる。取り戻すための舞台をたくさん作ろうと思いました。

2015年4月、事務所に併設されたスペースに、四国産のしょうゆなどの加工品や生産物を売る「食べる商店」をオープンしました。その隣のスペースもリノベーションして、飲食店営業の許可を取り「食べる食堂」を作りました。ここは週末、「食べる酒場」としてバーにもなります。建物の向かいに耕作放棄地があったので「食べる農園」も作りました。ここで野菜を作っています。

自分たちでリノベーションした「食べる商店」と「食べる食堂」。

■主体的に生きる人たちを仲間にしたい

――真鍋さんは、人々がリアリティを取り戻していく先に、どんな世界を見ているのですか。

主体的に生きる人、主体的な選択ができる人が増えたらいいですね。そういう人たちと仲間としてやっていきたいです。主体的に生きるというのは、例えば地方暮らしをしたい人は世の中にたくさんいますけれど、「田舎には仕事がない」ということで、一歩踏み出せない自分を正当化している人もけっこういるのではないかと。

僕はこういう活動をしていますけど、「地方がすばらしい」などと声高にいいたいわけではないんです。自分で望んで選んでこそ、意味がある。「東京こそ自分の生きる場所だ」とハッピーに暮らしているならいいんだけれども、何となく暮らして閉塞感を感じている人がけっこういる。

もし閉塞感を感じているなら、もう少し視野を広げてみて欲しいんです。世の中には実は多様な選択肢が存在するし、僕はそういった人たちに一つのケースを示せればと思っています。

とはいえ、エネルギー問題やゴミ問題も東京への一極集中がその根源にあると思うので、僕は地方にもっと人が移り住むべきだと考えています。一人でも地方に移り住む人が増えれば、都市と地方の人口のバランスがもう少しとれるし、地域を未来につなぐことにもなります。それが多様性を担保しますから。

――場づくりについては、今後も予定があるのですか?

やりたいことはまだあります(笑)。半径10キロくらいにいる農家さんとつながって、近くの駅で、野菜のスムージーやスープを提供する「食べるスタンド」を作りたいです。キオスクのように、電車に乗る前にちょっと立ち寄るようなところです。どうせコンビニの野菜ジュースを飲むなら、地元の野菜を摂ろうよと。

朝は「スタンド」で通勤中の人たちに振る舞って、昼は「食べる食堂」で食材を利用し、余ったらお惣菜にして夕方に帰宅する人たちに向けて再び「スタンド」で販売する。そうすれば、いい循環ができるんじゃないかな。地域の人の暮らしの質がちょっとだけ上がることを目指したいです。

過去とのギャップが大きいだけに「つらいことはないですか?」とよく聞かれますが、逆に言うとこんなに自由に活動していて「つらい」なんていったら、罰が当たると思ってます(笑)。何の後ろ盾のないローカルベンチャーですから、日々、請求書と預金残高のヒリヒリする戦いですが、良いも悪いもひっくるめて楽しもうと思っています。「スタンド」はもうちょっと先になるでしょうけど、これが「四国食べるプロジェクト」。一つのモデルとして完成させたいです。

ポン真鍋(ぽん・まなべ)

本名・眞鍋邦大。1978年、香川県高松市生まれ。2003年、東京大学経済学部卒業。学部時代は硬式野球部に所属し副将を務める。05年、東京大学大学院新領域創成科 学研究科修了後に、リーマン・ブラザーズ証券入社。同社の経営破綻後、米マイナーリーグでのインターン等を経験。12年、小豆島へ“ほぼUターン”し、株式会社459を創業。14年、食べる情報誌『四国食べる通信』を創刊。

(文:小久保よしの

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