82歳のアサド氏は、パルミラの貴重な遺品が隠されている場所をISに教えることを拒否したために、数十人の見物人の前で殺害された。血まみれの遺体は、史跡のメイン広場にあるローマ時代の柱の1つに吊されたという。
ガーディアン紙の取材に対して、アラブ・イギリス理解推進協議会(CAABU)の責任者クリス・ドイル氏は、アサド氏は1カ月以上前にISに拘束され、パルミラの古代の文化財について尋問を受けていたが、協力を拒否したために処刑されたという。
約2000年の歴史があるパルミラの遺跡は、シリアを代表する遺跡の一つで、1980年には、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産に登録された。
アサド氏は、2003年に引退するまでの40年間、パルミラの遺跡を管理しており、「ミスター・パルミラ」と呼ばれていた。パルミラは2015年5月にISの支配下に置かれたが、その前に数百個の工芸品や彫像がパルミラ博物館から移された。アサド氏はその移送の中心的な役割を果たしていた、とAP通信が伝えている。
シリアのダマスカス北西部にあるローマ時代の古代都市パルミラの全体像(シリアの国営通信社SANAが2015年5月17日に公開した資料写真より)
厳格なイスラム法の適用を主張するISは「古代遺跡が偶像崇拝を助長している」という理由で遺跡を破壊している。
アサド氏はパルミラの遺跡と深い関わりがあったため、ISから命を狙われていた。アサド氏の友人で古代遺物の専門家、アフマド・フェルザット・タラグジ氏は、2カ月前に町を離れて家族とダマスカスに行くようアサド氏を説得したが、彼はパルミラを離れることを拒否したそうだ。
「彼は、『私はパルミラに生まれ、これからもパルミラにとどまるつもりだ。たとえ血の代償を支払おうとも、私はパルミラを離れない』と話しました」
アサド氏はダマスカス大学で歴史と教育を学び、パルミラに関する数多くの学術論文を残している。シリアの国営通信社SANAによれば、アサド氏は、パルミラ博物館で複数の墓地や地下蔵、それに、ビザンチン時代の共同墓地などを発掘してきた。また、古代アラム語の研究者でもあった。
「彼はまさにミスター・パルミラで、彼なしでパルミラの調査はできませんでした」と、オハイオ州・シャウニー州立大学のアムル・アル・アズム教授は述べている。「これほど長期間にわたって、パルミラの文化遺産に携わって、多くの発見をした人は他にはいません。パルミラにとって、かけがえのない人物でした」
アメリカ国務省のジョン・カービー報道官は8月19日、アサド氏殺害を非難する声明を発表、「アサド氏の人生とすばらしい業績は、野蛮な殺人者たちとは全く対照的だ。シリアの豊かな歴史を破壊しようとする試みは、必ず失敗に終わるだろう」と述べている。
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
[日本語版:佐藤卓/ガリレオ]
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