連続ドラマ化された『東京トイボックス』シリーズなどのヒット作で知られ、現在は『スティーブズ』を連載中の人気漫画家「うめ」。その正体は、小沢高広さん(シナリオ・演出)と妹尾朝子さん(作画・演出)による夫婦ユニットだ。
原作者と作画担当が別の漫画作品は珍しくないが、夫婦の漫画家ユニットという形態は業界でも珍しい。複数の連載を抱えながら、家事や子育てしている2人は、住まいと職場も分けたりしないという。
2人はどうやって漫画家ユニットになったのか? 24時間・全方位でパートナーである2人の自宅兼仕事場を訪ねた。
(左)妹尾朝子さん(右)小沢高広さん
■2人が漫画家ユニットを組んだ理由
――そもそも、お2人が漫画家ユニットを組むことになったきっかけは?
妹尾:もともとは私が一人で漫画家を目指していたんです。大学でみんなが就職活動を始める頃に、「就職かあ……できる気がしないなあ」って(笑)。小学生の頃から漫画は好きでそれらしきものは描いてたんですけど、ちゃんと投稿とかしたことがなかったんですね。それで、一回ちゃんとやってみよう、と始めたのが大学3年生のとき。
小沢:投稿一作目で担当編集者がついたんだよね。
妹尾:ラッキーでしたね。それから「(漫画新人賞の)ちばてつや賞を狙いましょう」ということになって、大学卒業後はアルバイトをしながら描き続けて。それで当時からつきあっていた小沢にも漫画のことを色々相談してたんです。彼は問題解決能力がわりと高いので。
――小沢さんの目から見て、妹尾さんの漫画家としての才能はどう感じていましたか?
小沢:どっちかといえばお話が得意なタイプ。絵は下手くそだったし、パース(モノの遠近感を視覚的に表す)も全然取れないけど、複雑な構造のストーリーをわかりやすく伝えられる能力がある、とは思っていました。ただ、スピードが遅かったんですね。アマチュアとプロの違いってスピードが一番大きいんで、スピードさえつけば何とかなるだろう、と思っていました。
■漫画家デビューするための戦略
――妹尾さんは1998、99年のちばてつや賞に連続入選を果たし、その2年後に「うめ」名義で大賞を受賞してデビュー。空白の2年間に何があったのでしょう?
小沢:妹尾が連続で入選しちゃったものだから、編集部から「もうやめてくれ、賞金稼ぎだと思われる」と言われたんですね。そうなると次は連載企画しか認めてもらえない。でもそう簡単に連載用の企画なんてできない。そうしてだんだん妹尾が担当さんからの電話に出れない状態が続いて、こちらからも連絡をしづらくなって。
妹尾:そんなときに小沢にシナリオの練習につきあわせて、「キーワードを決めて、15分間でプロットを作る」ということをしていたら、小沢が出したアイディアがすごく面白かったんですよ。そのネタを私が漫画に描いて。
小沢:それをどこに投稿するか、という段階になったとき、やっぱりあらゆる条件からちば賞がベストだった。でも妹尾は不義理しているから名前は出したくない。それで当時飼っていた猫の名前をペンネームにしたんです。
――「うめ」は猫の名前だったんですね。そして見事、目論見通りに大賞受賞に至った。
妹尾:私は賞に引っかかるとは思ってましたけど、まさか大賞いけるとは思ってなかったんです。ちょっと毒が多すぎるかなって。
小沢:僕は絶対大賞をとれる自信がありました。当時のちば賞はずーっと「いい話」が続いてたんで、編集部や審査員が飽きてるだろうなと予想したんです。だから毒のある話にちょっといい話を入れれば勝算があると思った。身なりのいい女子がお年寄りに席を譲る話と、ヤンキーが席を譲る話、どっちがドラマがあるかってことじゃないですか。
妹尾:いずれにしろ賞に食い込みさえすれば、「次どうしますか?」と編集者に声をかけられるだろうと。そのときに「ネームができてます」と返せば、絶対に連載をとれるはず。それまでに5本くらいネームを作っておこう、と2人で決めてデビューに繋がりました。
■漫画家を目指したことは1回もない
――小沢さんは「うめ」としてデビューする以前はどんなお仕事を? 漫画家になるとは思っていなかった?
小沢:僕は20代はじめまではデザイン事務所で働いていました。そこを辞めてからはふらふらバックパッカーみたいなことをやったり、大きな会社に潜り込んで、正社員じゃないまま働いたりしてましたね。90年代中頃になってからはHTMLとJavaScriptの簡単なのが書ければ仕事をとれた時代だったので、在宅で1週間くらいそういう仕事をするだけで食っていけたんですね。で、さあ次はどうしようかなーと思っていた頃に、妹尾がうだつがあがらなかったんで、「こいつをモノにして食っていこう!」と思いついた(笑)。それで、なんとか妹尾を漫画家にしようと頑張っていたら、気づいたら自分もモノになっていたという(笑)。
妹尾:彼は漫画家を目指したことは一回もないですからね。「ひょんなことから」って言い回しがあるじゃないですか。小沢はその「ひょん」を地で行った人なんです。腹立たしい(笑)
■漫画家ユニットの役割分担
――「うめ」は現在、小沢さんが原作、妹尾さんが作画という分担ですよね。
小沢:基本はそう。でも原作というよりは演出に近いかな。ネタ出しは2人でやっているので、それをどう効果的に見せるのか、というのが僕の担当ですね。
妹尾:今、連載中の『スティーブズ』は原作者が別にいるので、この作品に関しては担当編集者と原作者、それから私たちの計4人で密にやりとりをしながら作っています。
――ジョブズとウォズニアック、アップルを創業した2人のスティーブの若き日々を描いた『スティーブズ』も好調ですね。一部では「BL視点でも楽しめる」と評判です。
妹尾:私、実はずっとBLが好きだったんです。でもそのことが小沢にバレたら「気持ち悪い、別れよう」って言われるかも、と思っていたのでずっと隠していて。それで一作目の連載が打ち切られた後、ようやく告白したら……。
小沢:「なんで黙ってたんだ! それがわかっていたらもっとBL要素を入れられたのに!」って怒りました(笑)。僕はそういうの、まったくわかっていなかったんですよ。でも世の中には「そうも読める」作品は山のようにあるんですよね。かわぐちかいじさんとか。
妹尾:松本大洋さんの『ピンポン』とか。
小沢:そうそう、中学生のころ『聖闘士星矢』とか『キャプテン翼』にクラスの一部の女子がきゃーきゃー言ってた理由が何十年経ってやっとわかった。そして作り手としてはそういう読者がいることはわかっておいたほうが絶対いい。だから妹尾が隠していたことがもう腹立たしくて(笑)。そっからの僕はいわゆる“BLメガネ”を手に入れるために猛勉強ですよ。妹尾が隠し持ってたBL作品をかたっぱしから読みまくって、「ユリイカ」でBL特集がやったときはアンダーライン引きながら読み込んで。今では街ですれ違った男子高生2人組に一瞬で萌えられるところまできました。
妹尾:最近は私がちょっと引くくらいだよね(笑)。
■デジタルだから魂をこめられるようになった
――これから10年後、20年後も漫画家ユニットとして活動していく気持ちはありますか?
小沢:漫画業界が潰れないうちは。去年くらいから紙と電子の売上の合計が上向いたんですよね。だからもしかしたら最悪の状態は避けられるかもしれない、と思っています。
妹尾 ただ若い世代がまったく取り込めてない。たまに読んでくれてても無料のWEB漫画が多い。そういう先細り感への不安はあります。
――「うめ」は、デジタル作画の導入が早かったのはもちろん、Kindle初の日本語漫画を配信したり、クラウドファンディングで支援者を募集したりと、漫画家として常に時代の先を見据えて行動している印象を受けます。
小沢:10数年前はまだ「原稿用紙にペンで魂こめて描いてこそ漫画だ!」ってノリで、編集部もデジタル化をよしとしていなかった。でもまっすぐな線を引こうと思ったら、魂こめて定規引くより、2点を指定してそこを結ぶほうが確実でしょう? 人間はそういう単純作業とかどうでもいいことのためじゃなく、もっと大事なことに力を使えばいいと僕は思っていて。
僕はデジタル化でやっと、やりたいことがやれるようになった。不自由だったのが自由になったんです。「アナログじゃないと魂をこめられない」という漫画家がいるのと同じように、僕らはデジタルでやっと魂をこめられるし、そのおかげで今やりたいものが作れています。
(後編は8月22日掲載予定です)
うめ
小沢高広(シナリオ・演出)、妹尾朝子(作画・演出)からなる漫画家ユニット代表作は『東京トイボックス』『大東京トイボックス』『南国トムソーヤ』など。2010年に日本人漫画家として始めてAmazon Kindleで『青空ファインダーロック』をリリース。現在、スティーブ・ジョブスの若き日を描いた『スティーブズ』を連載中。
(阿部花恵)
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