安倍内閣は8月14日の閣議で、戦後70年の談話を閣議決定した。
中国や韓国などから注目されていた、1995年の戦後50年「村山談話」、2005年の戦後60年「小泉談話」で使われた「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「おわび」というキーワードが、談話にはすべて盛り込まれた。
一方で4つのキーワードは「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました(中略)あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」(村山談話)といった、日本の過去に対する直接の言及ではなく、「事変、侵略、戦争、いかなる武力の威嚇や公使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」「我が国は先の大戦における行いについて、繰り返し痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました。(中略)こうした歴代内閣の立場は、今後もゆるぎない」と、間接的な引用や一般論での言及にとどめている。
14日午後9時からのNHKのニュース番組に出演した安倍首相は、談話で述べた「侵略」が日本の侵略を指すのか、との質問に「21世紀構想懇談会の報告書も『中には侵略と呼べる行為もあった』とした。私もそう思います」「まさに自らのこととして、二度と用いることのない世界を作っていこうという意味」と述べた。
分量は3000字以上と村山談話の3倍以上に及び、「中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦闘のみならず食糧難で多くの無辜の民が苦しみ犠牲となりました」といった表現や、戦後の中国残留孤児の帰国事業、元日本軍捕虜による慰霊訪問などの戦後の歩みについても具体的に言及した。戦時中の女性の人権侵害にも触れるなど、明言はしなかったが旧日本軍の慰安婦問題を念頭に置いたとみられる。
「台湾、韓国、中国など隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫してその平和と繁栄のために力を尽くしてきました」との表現で、戦後の平和国家としての歩みを強調する内容にもなっている。
戦後70年談話を読み上げた安倍晋三首相の記者会見での発言と、質疑応答は以下の通り。
【冒頭発言】
8月は私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去でも、過ぎ去った歴史に思いをいたすことを求めます。政治は歴史から、未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目に当たって、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向け、世界の中で日本がどういう道を進むべきか、深く思索し構想をすべきだと私は考えました。
同時に政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない。このことも私の強い信念であります。ですから談話の作成にあたっては「21世紀構想懇談会」を開いて、有識者の皆様に率直かつ徹底的なご議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は当然ながら異なります。しかしそうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた。私はこの提言を歴史の声として受け止めたい。そして提言の上に立ち、歴史から教訓をくみ取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。
100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が日本にとって近代化の原動力となったことは間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は植民地支配のもとになった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。世界を巻き込んだ第一次大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。
この戦争は1000万人もの戦死者を出す悲惨な戦争でした。人々は平和を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する新たな国際社会の潮流が生まれました。当初は日本も足並みをそろえました。
しかし世界恐慌が発生し欧米諸国が植民地経済を巻き込んだ経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。日本は孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使で解決しようとします。国内の政治システムはその歯止めたり得なかった。こうして日本は世界の大勢を見失っていきました。満州事変、そして国際連盟からの脱退、日本は次第に国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした新しい国際秩序への挑戦者となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んでいきました。そして70年前、日本は敗戦しました。
戦後70年にあたり、国内外に倒れたすべての人々の命の前に深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では300万の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら戦陣に散った方々に、終戦後、極寒、灼熱の遠い地に、餓えや病に苦しみ亡くなられた方々、広島や長崎での原爆投下、東京を始め各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによってたくさんの市井の人々が無残にも犠牲となりました。戦火を交えた国々でも、将来ある若者の命が数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦闘のみならず食糧難で多くの無辜の民が苦しみ犠牲となりました。
戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも忘れてはなりません。何の罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた事実、歴史とは実に取り返しのつかない苛烈なものです。一人一人にそれぞれの人生があり、夢があり、愛する家族がいます。当然の事実をかみしめるとき、今なお言葉を失い、ただただ断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの貴い犠牲の上に現代の平和がある。これが戦後日本の原点であります。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争、いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念とともに、我が国はそう誓いました。自由で民主的な国を作り上げ、法の支配を重んじ、誓いを堅持して参りました。70年間に及ぶ平和国家の歩みに、私たちは静かな誇りを抱きながら、この方針をこれからも貫いて参ります。
我が国は先の大戦における行いについて、繰り返し痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫してその平和と繁栄のために力を尽くしてきました。こうした歴代内閣の立場は、今後もゆるぎないものであります。
ただ、私たちが如何なる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦火によって塗炭の苦しみを味わった方々の辛い記憶は、これからも決して癒えることはないでしょう。ですから私たちは心にとどめなければなりません。戦後600万人を越える引き揚げ者が太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた3000人近い日本人の子供たちが無事成長し、さらに祖国の土を踏むことができた事実を。米英オランダ豪州の元捕虜の皆さんが長年にわたり日本を訪れ、互いの戦死者の慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛をなめ尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐えがたい苦痛を受けた元捕虜の皆さんがそれほど寛容であるためには、どれほどの葛藤が必要であったか。そのことに私たちは思いをいたさなければなりません。寛容の心によって日本は戦後、国際社会に復帰することが出来ました。我が国は和解のために力を尽くして下さったすべての国々に、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では戦後生まれの世代が今や人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちを、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかしそれでもなお私たち日本人は、世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして現在の私たちの世代、そして次の世代へと未来をつないでいくことができる。それは先人たちのたゆまぬ努力とともに、敵として熾烈に戦った米国、豪州、欧州、本当にたくさんの国々から恩讐を超えて、善意と支援の手がさしのべられたおかげであります。そのことを私たちは未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、よりよい未来を切り開いて、アジアの世界の平和と繁栄に大きな責任があります。
私たちは自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去をこの胸に刻み続けます。だからこそ我が国は、いかなる紛争も法の支配を尊重し、力の行使ではなく平和的、外交的に解決すべきだという原則をこれからも固く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは20世紀において、戦時下に多くの女性たちの尊厳が、未来が深く傷つけられた過去をこの胸に刻み続けます。だからこそ我が国は、そうした女性たちの心に常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ女性の人権が傷つけられることのない世界にするため、世界をリードしてまいります。
私たちは経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去をこの胸に刻み続けます。だからこそいかなる国の恣意にも左右されない、公正で開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界のさらなる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に医療と教育の機会を提供するため、いっそう力を尽くしてまります。
私たちは国際秩序への挑戦者となってしまった過去をこの胸に刻み続けます。だからこそ我が国は自由、民主主義といった基本的価値をゆるぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と力を携え、積極的平和主義の旗を高く掲げ、これまで以上に貢献してまいります。
戦後80年、90年、さらに100年に向け、そのような日本を国民の皆様とともに作り上げていく決意であります。
以上が、私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えています。冒頭、私は提言を歴史の声として受け止めたいと申し上げました。同時に私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは果たして「聞き漏らした声がほかにもあるのではないか」と常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来への知恵を学んでいく。そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えます。
【質疑応答】
――(幹事社)国内外に伝えたいメッセージとは。過去の村山、小泉談話と違う形で「侵略」などのキーワードに言及したのはなぜか。
戦後70年という大きな節目に当たり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を大きく振り返りながら、その教訓を胸に刻み、戦後80、90、100年に向けどのような日本をつくりあげていくのか、それを世界に向けて発信したいと考えました。作成に当たっては国民の皆様とともに日本が目指すべき国家像を描くという意味で、できるだけ多く国民と共有できるような談話をと心がけました。より幅広い国民とメッセージを共有するという観点からは、一部だけを切り取って強調するよりも、談話全体としてのメッセージを受け取っていただきたいと思います。
先の大戦における国内に対するおわびの気持ちは、戦後の内閣が一貫して持ち続けてきたものであると考えます。そうした気持ちが戦後50年においては村山談話、60年の小泉談話にも受け継がれてきた。こうした歴代内閣が表明した気持ちを、私の内閣でもゆるぎないものとして引き継いでいく。そのことを今回の談話の中で明確にしました。
次に「侵略」という言葉についてですが、今回の談話は「21世紀構想懇談会」に有識者の皆様が共有した報告書に基づいて作成しました。「中には侵略と評価される行為もあった」とあります。だからこそ談話においては「事変、侵略、戦争」といった言葉を挙げながら、「如何なる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならないと、先の大戦の深い悔悟の念とともに誓った」と申し上げました。先の大戦における日本の行いが、侵略という言葉の定義にあてはまればだめだが、あてはまらなければいいというものではありません。この事実を率直に反省し、これからも法の支配を尊重し、不戦の誓いを堅持していくことが今回の談話の最も重要なメッセージであると考えます。その上で具体的にどのような行為が侵略になるか否かについては歴史家の議論にゆだねるべきと考えます。これが私たちが過去から学び、反省すべき点であると考えます。
――(幹事社)2009年、月刊誌の対談で村山談話について「まさに踏み絵。個人的な歴史観にいつまでもしばられることはない」と述べている。今回の談話の整合性については。
村山談話については全体として引き継ぐと申し上げてきた。同時に私は政治は歴史に対して謙虚であるべきと申し上げてきた。「21世紀構想懇談会」を開き、学者、歴史家を始め、有識者にお集まりいただき、大きく世界を、時代を超えて俯瞰しながらご意見をいただきました。視座の異なる有識者の皆さんが最終的に一定の認識を共有できました。私は報告書を歴史の声として受け止めたいと思います。その教訓を胸に刻み、日本がどのような国を作り上げていくべきか、談話としてまとめたものです。その上でこれからも聞き漏らした声があるのではないかと、常に謙虚に歴史の声に耳を傾け、未来への知恵を学んでいく。そうした姿勢を持ち続けていきたいと思います。
――「未来の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とあった。ドイツのワイツゼッカー大統領の「過去に盲目な者は現在も盲目になる」「私たちが犯していないことまで非難されるいわれはない」という発言に通じるような気がするのですが。
戦後70年が経過しました。あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、その先の世代に、未来の子供たちが謝罪を続けなければいけないような状況、そうした宿命を背負わせてはならない。これは今を生きる私たちの世代の責任になると考えます。その思いを談話の中にも盛り込んだところであります。
しかしそれでもなお、私たち日本人は世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合わなければならない。敵だった日本に善意や支援の手をさしのべて国際社会に導いてくれた国々の寛容に感謝すべきで、世代を超えて忘れてはならない。同時に過去を反省すべきです。よりよい未来を切り開き、アジアそして世界の繁栄に力を尽くす大きな責任があると思っています。そうした思いもあわせて盛り込んだものです。
――談話の効果と期待について。今年中に中国を訪問して習近平主席と3回目の首脳会談を行う可能性は高くなると考えますか?
中国の皆さんには戦後70年にあたっての我が国の率直な気持ちを、ありのまま受け止めていただきたいと願っています。習近平主席との2度の首脳会談を通じ、戦略的互恵関係にもとづく関係改善で一致しています。日本と中国は地域の平和と繁栄に大きな責任を共有しています。両国の経済関係は非常に密接で、今後も様々なレベルで安定的な関係を発展させ、国際社会の期待に応えていきたい。首脳会談も機会があればしていきたい。対話のドアは常にオープンです。
――談話を受けて改めて安保法案について。識者発言に「軍事をめぐる中国を脅威とみるかどうかで賛否が分かれる」と割れる。このような認識の違いをどうご覧になっていますか。
70年前、私たち日本人は二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓いを立てました。今後も決して変わることはありません。今回の平和安全法制は戦争を未然に防ぐためのものです。まずもって外交を通じて平和を守ることが重要であることは言うまでもないことです。今後も積極的な平和外交を推し進めてまいります。その上で万が一の備えも怠ってはなりません。特定の国を想定したものではありません。今回の法制によって日本が危険にさらされたときは、日米同盟が完全に機能する。このことを世界に発信することで紛争を未然に防ぐ力はさらに強くなっていく。日本が攻撃を受ける可能性はより低くなっていく。国民の皆様のご意見、ご批判にも真摯に耳を傾けながら、理解が深まるように努力を重ねていきます。
――歴史認識の問題で国民の間でも意見が分かれている。あえて総理がこめた、国民に受け取ってほしいメッセージとは?
まず今回の談話は、より多くの皆様に賛同していただいているものを作成していきたいと考えました。その上において、アジアの国々始め、多くの国々に未来への夢を紡ぎ出していく場にしていきたい。今回の談話を作成するにあたって、「国策を誤り」といった抽象的な用語に終わらせることなく、どのように進路を誤ったか、別の教訓を具体的にくみ取らなければならないと考えました。そして21世紀懇談会を設けて、具体的な作業をお願いしたわけです。
世界に耳を向ければ、残念ながら紛争は絶えません。ウクライナ、南シナ海、東シナ海、世界のどこでも力による現状変更の試みは絶対に許すことはできない。貧困やテロの問題は深刻さを増している。70年前の歴史から学べる教訓を発信していくことは、世界に対しても現代的な意義を持つと考えています。
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