アメリカの人身売買報告書はTPPの影響で弱められた?

米国務省が毎年発表する「人身売買報告書」。世界各国の人身売買の実態や政府の対策をまとめたもので、先月発表された2015年版では、マレーシアとキューバの評価が引き上げられた。
Reuters

[ワシントン 3日 ロイター] - 米国務省が毎年発表する「人身売買報告書」。世界各国の人身売買の実態や政府の対策をまとめたもので、先月発表された2015年版では、マレーシアとキューバの評価が引き上げられた。

しかし、実際には同省の人権専門家は、両国の状況は改善されていないとの結論を下していた。それを覆したのは、国務省の高官らだ。

ロイターは、首都ワシントンや他国の首都にいる10人以上の関係者に取材。そこから浮かび上がってきたのは、中立の立場で同報告書を作成する国務省人身取引監視対策部の判断が、上級外交官によってたびたび却下され、戦略的に重要な国の評価を引き上げるよう圧力を受けていた実態だ。

複数の関係筋によると、人身取引監視対策部の専門家たちは、17カ国の評価ランクで異なる判断を下していた。彼らの意見が通ったのは、そのうちわずか3件だけ。これは、人身取引監視対策部が設置されて以降の15年間で最悪な割合だという。

その結果、マレーシアやキューバや中国だけでなく、インドやウズベキスタンやメキシコといった国々の評価も、人身取引監視対策部の専門家たちが下したよりも良い評価にされた。

国務省当局者らは、評価は政治的な影響を受けてはいないと主張する。同省のカービー報道官は、ロイターの質問に対し「常にそうであるように、人身取引監視対策部、関連する地域を管轄する局、そして国務省高官らとの間で厳密な分析と議論が行われた後で最終的な決断に至る」と回答した。

しかし関係筋によると、専門家がマレーシアとキューバに顕著な改善が見られないと指摘していたにもかかわらず、7月27日に発表された今年の人身売買報告書では、両国の評価は最低ランクの「Tier3」から「Tier2ウォッチ・リスト」に引き上げられた。

マレーシアの引き上げは、同国も参加し米国が主導する環太平洋連携協定(TPP)交渉妥結への道を開くものだ。米国と国交を回復したキューバは、2003年に報告書に含まれて以降、評価の引き上げはこれが初めてとなる。

一方、中国に対しては、専門家の提言は最低ランク「Tier3」に引き下げるというものだったが、こちらは却下された。もし引き下げられていれば中国は、国連が世界で最悪の人権侵害国とみなすシリアや北朝鮮などと並ぶことになっただろう。

同報告書の作成過程に詳しい人物らによると、議論を呼ぶような案件をめぐっては通常、人身取引監視対策部の評価は半数以上通るという。国務省を直接知るある当局者は「このような結果はこれまで全く見たことがない」と語った。

<報告書の「本領」>

今年の米人身売買報告書は世界188カ国・地域を評価。世界で最も包括的だと自負しているが、人権団体も大方それを認めている。

同報告書では、各国は最低ランクの「Tier3」から、最低限の米基準を満たしているとされる「Tier1」まで4段階で評価される。「Tier3」にランク付けされると、米国からの支援が制限される可能性がある。

しかし同報告書の「本領」は、行動を起こさせるため各国に恥をかかせることにある。多くの国は「Tier3」に格下げされないよう米大使館に積極的にロビー活動を行っている。

オバマ大統領は、人身売買との闘いが「現代で最も大きな人権課題の1つ」だとし、米国は「先頭に立ち続ける」と明言している。

だが関係筋によれば、そのような目的のため2001年に設立された人身取引監視対策部は、外交的に最も重要な国々への独立した評価を下すことがますます困難になっているという。

人身取引監視対策部による提言があまりに多く却下されているため、一部の議員から調査を求める声が一段と高まる可能性が出ている。マレーシアの評価引き上げに関して7月8日にロイターが報じたことを受け、引き上げの正当性を疑問視する多数の議員らはケリー国務長官に書簡を送り、深刻な懸念を表明した。

関係筋によれば、最後の決断が下された会議には、ブリンケン国務副長官やシャーマン国務次官らを含む国務省トップの一部が出席していた。

国務省はこれら当局者によるコメントの提供を差し控えた。

<TPPと国交回復>

米人身売買報告書をめぐり、国務省内部でかつてないほどの不和が生じていることは、同省がマレーシアの評価を引き上げる方針だという前述のロイター報道の後で明らかになり始めた。

同国では今年に入り、タイとの国境近くで人身売買の被害者とみられる多数の遺体が埋められているのが発見された。また、複数の人権団体は、パーム油や建設、エレクトロニクス産業で強制労働が続いていると報告している。ついこの4月には、ユン駐マレーシア米国大使が人身売買の取り締まり強化を求めていた。

米当局者たちは、マレーシアの評価引き上げに政治的配慮が働いたとする見方を否定している。人身取引監視対策部を監督する立場にあるセウォール国務次官は記者会見で、マレーシアの引き上げがTPP交渉と関係しているかとの質問に「ノー」と答え、引き上げは人身売買問題への取り組みを評価する基準に基づくものだと説明した。

マレーシアの評価が最低ランクの「Tier3」のままだった場合、オバマ大統領が進めるTPPの障壁となった可能性がある。TPPは同大統領の「アジア重視」政策に欠かせない一部を担っており、6月にはTPP妥結に不可欠とされる、米大統領の貿易促進権限(TPA)法案が成立したが、同法案には報告書で最低ランクに分類される国との通商協定を禁じる条項が盛り込まれている。

議会筋や国務省当局者らによれば、人身取引監視対策部の専門家たちは、マレーシアで人身売買に関する有罪判決が減少しているとして、同国の評価を「Tier3」にとどめることを提言。強制労働を撲滅する同国政府の取り組みの一部は、約束だけで行動を伴っていなかったと強調したという。

キューバの評価をめぐっても対立したが、報告書では国務省西半球局の意見が優先された。人権団体や報告書作成の内部事情に詳しい人物らは、とりわけ米国とキューバの歴史的な国交回復で注目が集まる中での不相応なキューバの評価引き上げは、報告書の信頼性を損ないかねないと指摘する。かつて国務省に勤務していた人物は、キューバは近年、引き上げの「ボーダーライン」にいたと明かした。

中国もまた、摩擦の対象だった。人身取引監視対策部の専門家たちは、中国が労働教養制度の廃止や、北朝鮮など近隣諸国から来た人身売買被害者を適切に保護するとの約束を遂行していないとして、同国を最低ランクの「Tier3」に引き下げることを求めた。しかし結局、世界第2位の経済大国である中国の評価は「Tier2ウォッチ・リスト」にとどめられた。

<信頼性>

上級顧問として人身取引監視対策部の設立に携わったローラ・レデラー氏は、同部の職務は「人身売買の防止や人身売買業者の訴追、被害者の保護や支援に対する取り組みの進捗によってのみ各国を評価し、ランク付けすること」だと語った。

しかし、過去15年にわたって人身取引監視対策部に勤務した当局者らは、米国と外交上あるいは通商上、微妙な関係にある国々は、現地の大使館や国務省内の他の部署から圧力を受け、特別な扱いを受けることがあると認めた。

例えば、主要な米国の貿易相手国であり、麻薬密売や移民問題でも協力が必要とされるメキシコがそうだ。ワシントンとメキシコ市の当局者によれば、メキシコの評価をめぐり、人身取引監視対策部が最低ランクを求めたにもかかわらず、「Tier2」に据え置かれたという。

今年の報告書をめぐるこうした議論は、人身取引監視対策部のリーダー不在の中で行われた。責任者は昨年11月に辞任し、オバマ大統領が次期責任者を指名したのは今年7月半ばになってからだった。

リーダー不在によって、人身取引監視対策部が政治的影響に一段とさらされやすくなったと、レデラー氏は指摘する。

また、2015年報告書が受けた信頼性へのダメージは、長期にわたり影響を及ぼすとの声も一部から聞こえてくる。

人身取引監視対策部に2年前まで約10年間務めたマーク・テイラー氏は「このように有害な政治的影響を受ければ、たった1年でも信頼性は失われてしまう」と述べた。

(Jason Szep記者、Matt Spetalnick記者、翻訳:伊藤典子、編集:宮井伸明)

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