雲の中にたたずむ静かな村は、四国の中ほどにある。麓から村の一番上までの標高差は約390メートル。歩くと約40分かかる山道を登ると、そこは桃源郷だ。
徳島県三好市東祖谷(いや)にある落合集落。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された村は、甲子園で有名な県立池田高校から、車で約1時間の場所にある。麓から上へ伸びる山道には昔ながらの茅葺きの家が点在。地元NPOが運営する古民家を利用した宿泊施設「桃源郷祖谷の山里」が、下界の人間を受け入れている。
「祖谷に戻ると、世間から離れて、雲の上の世界に入ったような気持ちになります」
そう語るのは、東洋文化研究家のアレックス・カーさん(63)。7月5日のNPO法人の報告会での一幕だ。1970年代初頭に、誰よりもはやく祖谷の魅力を発見したアメリカ人が、今では古民家再生を通じて、落合という限界集落の再生をプロデュースしている。日本で暮らして50年。アレックスさんの目には、今の日本の地方がどう映るのか。
アレックス・カーさん(2015年7月5日 東京都で撮影 / HuffPost Japan)
「コンクリート張りの田舎に、誰が帰りたいの?」
アレックスさんが祖谷にやってきたのは、1971年の事だった。日本全国をヒッチハイクした夏、最後に辿り着いたのがこの村だった。村に惚れ込み、1972年に慶応大学の留学生になっても、学校をサボって祖谷に通いつめた。
それから約2年後。大学生だったアレックスさんは、父の友人から金を借りて祖谷の土地を買った。苔とシダに覆われ、腐って雨漏りのする屋根の古民家込みで、38万円。それでも「まあ、なんとかなる」と、自分の城を手に入れ、小さな竹笛を意味する「篪」(ちい)という字を採って「篪庵(ちいおり:草の家)」と名づけた。「当時の自分にとっては大金だった」としながらも「江戸時代からの古民家が、まったく価値もなく、捨てられていた」と、アレックスさんは振り返る。
1978年、屋根の葺き替えの時のアレックス・カーさん(中央)
しかし、篪庵の屋根の問題は深刻だった。1988年に2度目に屋根を葺き替えた時には、仕事の日当を含めて1200万円くらいかかったという。なぜそこまでお金をかけて家を直したのかとの質問に、アレックスさんは「草屋根の魅力に抗し切れない」ことが理由だったと、自著で述べている。
イギリスの屋根をみても、南洋諸島のシュロの葉で葺かれた家を見ても、そのような家はみな、ほっとさせます。草屋根の家は人工的なものではなくて、苔とか椎茸のように土から自然に生えたものに見えます。その安心感は古代に遡って深く人類の心の中に秘められてきたものだと思います。その意味で日本が完全に茅葺文化を捨てたのは本当に罪なことだと思います。「コストが高い」とか「維持が大変」とかいわれていますが、コストも耐久性に関してもトタン屋根とほぼ変わりありません
『美しき日本の残像』(2000年:朝日新聞出版)より
「日本は過去の文化や自然環境を、ポイっと歴史のゴミ箱に捨てた。何千キロもある海岸の30パーセント以上がコンクリートブロックに変わり、電線が張り巡らされ、山に巨大な送電のための鉄塔が建てられた。信じられない程の無神経さ」だと、アレックスさんは『美しき日本の残像』のなかで指摘する。
「公共工事などでせっかく残っていた美しい田舎が粗末にされた。コンクリート張りの田舎に、誰が帰りたいの?大きな道路を作ったり、山を一面コンクリートにしたことは文明です。経済発展ですね。しかし、こういうことをしてしまったところは、経済は永遠に、ダメになっていく。美しいところに限ってのみ、経済的な未来が明るい」
アレックス・カーさんが語る祖谷の魅力
イタリア、フランス、過疎は日本の問題だけではない。
「これほど立派な茅葺屋根は、日本にはもうほとんど残っていない。だから守っていかなければいけない」
アレックスさんらは、そう訴え続けてきたが、なかなか耳を貸す人は少なかった。転機になったのは、2004年から始めた京都の京町屋10軒を再生して宿泊施設に変える事業だったという。古民家を再生し観光客に別荘として貸し出す「レンタル・ヴィラ」が、ヨーロッパやバリ島などで産業として成り立っているのをヒントにした。
しかし、町屋再生事業も、始めた当初は反対する声が多かったという。「日本人は古い旅館よりもホテルを好むから、受けない」というのだ。ところが、いざ始めてみると、お客はやってきた。「そして、今度は周りも真似するようになった」と、アレックスさんは笑った。
篪庵の改修や、町家再生事業などを経て、今では古民家再生の第一人者となったアレックスさん。代表を務める徳島のNPO法人「篪庵トラスト」では、三好市からの委託を受けて2010年から落合集落にある古民家の再生、地域活性化事業の企画・運営を手がけてきた。現在、落合集落では篪庵を含めて9件の古民家の茅葺民家を改修し、古民家ステイとして運営している。茅葺き屋根などの外観や囲炉裏といった日本古来の伝統に、ウォシュレットや床暖房、IHのシステムキッチン、Wi-Fiといった現代の機能性を取り入れた点が、篪庵流古民家の特徴だ。
古民家のあたたかさに快適さを兼ね備えた今どきのくつろぎを求めて、首都圏や海外から、祖谷の山里に多くの人がやってくるようになった。「それでも年間の半分は、施設がまだ埋まらない」と、三好市の担当者は課題をあげる。
「祖谷は素晴らしい場所ですが、冬には水道が凍ってしまう高地でもあり、宿を休業しなくてはならいこともありました。現在、さらなる施設の改善を行っています。また、みなさんの旅行の中に、どうやってこの山里を含めるかということも課題です。市街地まで1時間かかったり、年間30万人が訪れる国指定重要有形民俗文化財『祖谷のかずら橋』にも車で30分ほどかかったりする。みなさんの旅のなかで、街全体を見てもらうためにどのようなプランが立案できるかを練っているところです」。
村の人々の高齢化も懸念の一つだ。市の担当者によると、市全体の高齢化率が38.8%と全国平均の20%強よりも高い。落合集落ではさらに高齢化率が上がり、「60歳代でも若手に入る」状態だという。祖谷の山里では施設の清掃や料理の手配などを地元の人に任せているが、若い人の力も必要だという現状があり、篪庵トラストでも北海道出身の若手スタッフらが移住して切り盛りしている。
過疎の問題は決して日本に限ったことではないと、アレックスさんは指摘する。世界中の過疎化する地方で、希望となる産業の一つが観光なのだと、アレックスさんは主張した。
「人口減少学という学問があるほど、世界でも過疎の問題が深刻になっています。日本より深刻なのはイタリア。ロシアも日本も追い越した。中国でも過疎化が進んでいます。イギリス、スコットランド、オーストリア、世界中で色々な成功例、失敗例があります。
そんななかで、やはりさびれていく地方の都市の最後の希望は、観光なんですね。イランのテヘランでも国際会議をやって議論しています。アメリカと和解して今後イランは開けて行くと思います。そんなときにやっぱり、世界から観光で、人を呼び込みたいと思っているんですね。
ヨーロッパの農村や漁村は、過疎と戦う中で、観光によって地域社会をつくってきた歴史があります。観光の力は、結構すごいんですよ」
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