「森の案内をしながら、世界をかき混ぜていく」三浦豊さんの"森ツアー"が口コミで人気を集める理由

「三浦さんが案内する森はおもしろい!」「森は生きているんだということがよく分かった」参加者たちが口々にそう語る。

「三浦さんが案内する森はおもしろい!」「森は生きているんだということがよく分かった」参加者たちが口々にそう語る。

森の世界へと誘う“森の案内人”、三浦豊さんの森ツアーだ。京都在住の三浦さんは、あるとき、約5年かけて日本の森をという森を片っ端から歩いたのだという。今は「森を歩く喜びを、いろんな人と分かち合いたい」と、全国のおすすめの森を歩くツアーを企画し、案内を行っている。

毎朝7時に、自ら撮影した森や木の写真を投稿するFacebookページも人気で、「いいね!」している人は約4万人に上る。今では森ツアーの参加者のほとんどがFacebookで三浦さんを知った人だという。

三浦さんは、なぜ森に魅了されているのか。森と林の違いとは何か。現代の私たちが森を歩くことの意味とは? 彼の案内する森の世界を、のぞいてみよう。

■僕は「森にとってのパシリ」

――森ツアーでは、単なる「ガイド」ではなくて、興味深いフレーズで説明されているのに引き込まれました。例えば、銀杏(イチョウ)は「2億年前から日本に存在していて、恐竜と同期です」、樅(モミ)の木を「しっかり下積みをしている奴で、こんなに小さくても20歳」と表現されていましたね。

やっぱり、森を「感じてほしい」んです。「知ってほしい」という表現だと弱くて、エモーション(感激、感動)というか。ただ知識を伝えるんじゃなくて、どうしたら参加者に共感してもらえるかを意識して、言葉やエピソードを選んでいます。

木には、各々特徴があって、好きな場所や得意な場所に生えています。例えば、森でよく欅(ケヤキ)が斜面に生えているんですが、それが得意な場所なんですよ。「斜面はまかせて!」と生えている感じ(笑)。

偉そうに教えることはしたくなくて、僕は「森にとってのパシリ」でいいんです(笑)。「森好き」の、それ以上でもそれ以下でもない。事実、“あいつら”はスゴいわけで。

――森や木のことを“あいつら”“彼ら”と紹介しますね。森のスゴさとは何でしょうか。

森のなかの木々は、それぞれみんな生きている。常に新鮮で、そのよどまない感じがスゴいんです。

木が死んで倒れたら、それを栄養にして別の木が生まれ、人の手が入らなくても自然と循環していきます。その営みが荘厳だな、と。

「森には寿命がないけれど、木はいつか必ず死ぬもの。死んで倒れたら、そこに光が入るようになって下から小さい木が生長し、世代交替していきます」

(森ツアー中、三浦さんの言葉より)

――樹齢や特徴など、森ツアーで語られる知識は独学ですか?

本で読んだ知識もありますけど、半分は自分で歩いた実体験からきています。森に行くと、知識を拾える。経験則ですね。

樹齢は、木を見ればだいたい分かります。木は、種類ごとに生長する速さが違うんです。その速さと、生えている場所の環境、つまり土や日光の当たり具合などを総合的に見て判断しています。

今も、一年のうち半分くらいは全国の森をウロウロと歩き回っています。

■アスファルトに生える草木のたくましい営みに寄り添いたい

――森を歩き始めたのは2004年だそうですね。

森や木にはじめに関心をもったのは、上京し、東京で過ごしていた大学時代です。建築を専攻していました。東京は刺激的で楽しく、よく街歩きしていたんです。

あるとき、アスファルトとタイルで覆われた地面のすき間から草が生えて、どんどん立派な茂みへと生長していくことに気付きました。「自然は常に芽吹こうとしている。なんと偉大な力なんだ!」と。

――世界観が変わった瞬間。

もうガラリと変わりました。「なんや、あれは!」って思って。その力と仲良くなりたいし、“彼ら”の営みに寄り添える仕事をしたい! と思いました。

当時は、街で木を植えるとか、街に草原のような空間ができることが表現としておもしろいと思って。それで、地元である京都の日本庭園の世界から始めようと、大学卒業後に一度、ある造園会社に就職したんです。

――歴史のある世界ですね。森について理解を深めたのはその後ですか?

実は、就職して一年が経とうとした頃、突然足の病気にかかったんです。手術を受けることになり、仕事が続けられなくなってしまいました。

足のリハビリをしながら、今後の人生について悩み、模索しました。人が心をこめて、長い年月をかけて作り上げる「庭」という空間の世界はすばらしいのですが……もともと僕個人が寄り添いたかったのは、アスファルトやコンクリートなどのすき間から出てくる草木だったんです。

でも、庭の世界では、それは整えるもの。生えてくるものを歓迎するわけじゃない。僕が魅せられたのは、自然の世界のほうだったんです。

撮影:三浦豊

「このツアーのように景色を見ていくと、街の道路も、僕には森に見えてくるんです」

■自然な営みの森と、人為的な林

――それで、全国の森を歩き始めたんですね。

はい、約5年かけて、北海道から沖縄まで2000カ所以上の全国の森を回りました。

日本の森がおもしろいのは、植生(そこに生育している植物のこと)の豊かさですね。日本って、氷河期に氷河に覆われなかったエリアがあって、太古の土が残った。いまだに混ざっているんですよ。

これはすごいことです。土には種や栄養分が含まれていますから。土って、1センチほどの厚みの土ができるのに、100年以上かかるんです。

――日本の森のおもしろさを、肌で感じたんですね。

森に、ものすごく可能性も感じました。現代社会において、僕らで共有したいようなすばらしいものを考えたとき、森はものすごい力を持ってるよな、と。

森には、自然に生えた木もあれば、人が植えた木もあります。その木の種類や大きさで、森の変遷が分かる。すると、昔の人々の行動や意図が見えてくるんです。想像力をかきたててくれます。

さらに、木々は芽吹きや息吹に満ちていて、今も森は生きている。エッジというか、歴史をたずさえた先端なんです。その生命力はすごいし、美しい。

でも、森を身近に感じている人は意外に少ない。例えば、高尾山は大人気で人がたくさんいるけど、高尾山のようなすてきな森は他にもいっぱいあるのに、そこには人がいない……。

そう考えたとき、強烈に「さみしいな。森に人が全然いいひんな……」って思いました。都会に人がいっぱいいて、いびつになっているというか。そんな想いや、僕が森を案内することをおもしろがってくれた友人たちのおかげもあって、森の案内を始めたんです。

■自然な営みの森と、人為的な林。

――ちなみに、森とはどんなものを指すんですか。林との違いは何でしょうか。

「森」っていう活字を、よーく見てみてください。「木」が3つあって、上が横長の形をした「木」で、左下がやや縦長の「木」、右下がふつうの「木」になっているんですよ。これ、「あるところに違う形の木が生えている」っていう意味なんです。

さらに、「森」という言葉の語源は「盛り上がる」。草原とは違って、森って盛り上がっている。昔は、山のことを「森」って呼んでいたみたいね。勝手に、もれなくいろんなものが生えているのが、森。

対して林は、「生やす」からきている。人が植える前提なんです。ある機能上の目的のために、特定の種類を広範囲に植えているのが、林。防風林、砂防林とか。つまり、森は自然の営みによるもので、林は人為的なもの。

だから、例えば「林を守る」「林の手入れ」という言葉は成立するけど、「森の手入れ」は、僕はちょっと違和感がある。そう考えると、「林が荒れている」ならまだわかるけど、「森が荒れている」っていうのも受け入れがたいよなぁ、って(笑)。

「今、縄文時代以来の“森の時代”が始まっています。約2400年ぶりに!」

■「おもしろい時代だ!」と肯定したい

――森ツアーでおっしゃっていた「縄文時代以来の“森の時代”の到来」について、詳しく教えてもらえますか?

僕らは今、良きにつけ悪きにつけ、昔に比べたら木を切っていないんです。弥生時代から切りまくっていたのに、今は里山などの木も切らなくなりました。切りまくっていた昔は、禿げ山や草原がいっぱいあったんですよ。

でも、切らなくなって、人の生活と木の営みが直結しなくなった。つまり、エネルギーシフトが起きたんやね。そうして木を切らなくなったことで、地面に落ち葉がたまって、土が肥えて、さまざまな種類の木が生えてきて……と循環し、森が戻り始めているんです。

僕はワクワクしているんやけど(笑)、そのことをポジティブに言う人がほぼいない。森って、「荒れている」「放置されている」などと、問題点ばかり指摘されているんです。

それを僕は、肯定したい。まず森が戻り始めていることに寄り添って、「いろんな種類が生えてきた、ウォー!」と(笑)、その芽吹きを楽しみたいかな。

■世界をより良くするための、森。

――森を案内する活動の延長線上に見ているものは、何ですか。

森は、目的じゃない。僕のなかにあるのは、「僕たちが生まれ育った日本を良くしたい! もう一回ここを見直そうよ」という想い。

森ツアーに来てくださる方たちは、本当にすてきな人ばっかり。森で出会うと、日常生活では出会わなかったような人どうしがすぐに仲良くなってしまうのがおもしろいです。

――森ツアーの参加者が「これまでは森や山をただ歩いていたけれど、どう見ればいいのか、森の見方を知ることができた」「生きている木が周囲に与える影響や、森が生きているとはどういうことなのか分かった」と話していました。

それまで接点のなかった人たちが、森を通じてごちゃ混ぜになっていく。森の可能性はすごいんです。

――三浦さんは森の案内をしながら、世界をかき混ぜていく。

はい。森より大きい枠組みとして「場所」も意識していて。僕のなかでは、「いい場所は何か」という問いが続いている。いい「場所」がいっぱい生まれる感じが楽しいなって。森を通じて、世界をより良くしたい。

そのほかに、自分のもっている知識や経験をシェアするような仕組みも考えているところです。惜しみなく出し、シェアしていって、森を大事に思う仲間を増やしたいです。

いつかみんなでお金を出し合って森を買えたらいいなとも思っています。森に敬意をもって接しながら、社会に「森はこんなにいい空間なんだ」と示したい。きっと実現すると思いますよ。僕のなかに、キラキラとそのイメージが浮かんでいます。

三浦豊(みうら・ゆたか)

1977年、京都府生まれ。日本大学芸術学部卒業後、造園業勤務を経て、2004年より全国の森を巡る旅を始める。その旅に一区切りがついた2010年より、全国の森を案内する「森の案内人」として活動を開始。森ツアーの情報は公式サイト「森の案内人 三浦豊」へ。2015年8月4日より、木や森の知識を紹介する有料サイトをスタート予定。詳細は8月4日に表記される公式サイトのトップページのバナー「forest forest」を参照。

(文・写真 小久保よしの

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