北朝鮮の軍の序列2位にあたる玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長が粛清されたとの情報を、韓国の情報機関・国家情報院が5月13日、韓国国会の情報委員会に明らかにした。
中央日報が、情報委員会委員長のブリーフィングの内容として伝えたところによると、玄氏は4月末に、平壌中心部の軍官学校の射撃場で、軍の将校数百人の前で高射砲で公開処刑された可能性があるという。
国家情報院関係者によると、玄氏は4月24〜25日に開かれた軍の活動家大会で居眠りしていたところを見つかったり、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の指示に反抗して従わなかったりしたことが理由とみられるという。
北朝鮮の労働新聞が4月26日に伝えた「朝鮮人民軍訓練活動家大会」の写真。左端に写っている玄永哲氏がこのとき、居眠りをしていたことを問題視された可能性がある。
玄氏は北朝鮮の朝鮮人民軍で、黄炳瑞(ファン・ビョンソ)総政治局長につぐナンバー2。1966年に17歳で軍に入隊し、2006年から中朝国境地帯を警備する第8軍団長を務めた。2010年9月に大将となる。2012年に李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長が電撃解任されたため、次帥に昇格して後任を務めていた。しかし2012年7月には再び大将に降格され、2013年5月には総参謀長の地位も退いていたが、2014年6月に人民武力部長として要職に返り咲いたことが確認されていた。2014年7月に、故・金日成主席の遺体を安置している金繍山太陽宮殿を、金正恩第1書記とともに訪れるなど、金正恩氏の側近とみられていた。
聯合ニュースの別の記事が伝えた、国家情報院関係者との一問一答(要旨)は以下の通り。
──玄武力部長は指示不履行のために粛清されたのか。
確認しているが、具体的な内容を把握していない。 軍関連の指示を履行しなかったと推定している。
──玄武力部長の処刑は確定か。
処刑と断定することはできない。北朝鮮が発表しないし、記録映画にも引き続き登場しているからだ。
──根拠となる録音や写真資料があるか。
具体的な情報源を明かすのは困難だ。 さまざまなソースから入手した。発表が遅れたのは、クロスチェックと事実かどうかの検証、背景の確認に時間がかかったためだ。
──幹部の間で金正恩第1書記へのリーダーシップに懐疑的な見方が広がっているというが。
金正恩(第1書記)は暴力的な統治方法で幹部の一挙手一投足を監視している。幹部は常に緊張している。幹部たちはプライベートな会話の中で、少し本音を言ったと判断した。そのような状況が多く確認されている。 本音を言っている途中で粛清されたケースが確認できだだけでもたくさんあった。
──不敬罪である可能性が高いと推定したが、謀議などの状況は。
北朝鮮ではそのような動向に及ぶことは難しく、謀議をすると、内部の密告者によって発覚する。それよりは、金正恩への不満を表して逆賊として扱われたものと見られる。無礼とは、唯一指導体制に対する反逆だ。 北朝鮮の体制で、謀議は可能性として常に存在するが、(実際に発生するのは)難しい構造だろう。
4月26日の労働新聞を見ると、訓練活動家大会(4.24〜25)で玄武力部長が居眠りする場面が確認された。視線を下に向けていた。金正恩の演説中に居眠りは許されない。金正恩が公然と居眠りしないように、会議の席上で指示したことがある。居眠りして降格された事例として、チェ・ギョンソン特殊軍団長が、上将から少将に降格されたことがある。キム·ヨンチョルも同じ理由で大将から上将に降格された。居眠りに金正恩が敏感に反応しているようだ。
──ピョン・インソン総参謀部作戦局長、マ・ウォンチュン国防委設計局長の場合は。
2015年1〜2月に解任されたと把握している。ピョンは対外軍事協力について金正恩の指示に従わず、マ・ウォンチュンは、建設関連の指示を履行せずに処罰を受けたとみている。マ・ウォンチュンは平壌の順安空港を金正恩の指示通りに造らなかった。
──マ・ウォンチュンも処刑したのか。
殺さず、革命化教育を受けさせた。ピョンも処刑されなかった。ピョンは金正恩が外国との軍事協力に関する指示を出したことに異議を唱えたとみられる。
──玄部長の粛清は党組織指導部がしたことなのか。
基本的に人民武力部長なので、韓国で言う国防相のようなものだ。軍の保衛司令部と党組織指導部が一緒にやったものと推定している。まだ内部の権力争いや亀裂は見られていない。
──処刑されても記録写真や映画に削除されずに登場したことがあるのか。
李英鎬総参謀長は解任発表6日後に写真が削除された。張成沢は処刑の5日前に削除した。一般的な幹部は、時間がたってから削除する場合もある。対象人物によって異なる。
──金正恩のロシア訪問取りやめは粛清と関連しているのか。
その可能性もある。いくつかの原因が複合的に作用したと見なければならない。金正恩がロシアを訪問する時、核問題の議論を負担に感じたことや、両者の接触とは異なり、キム·ジョンウンの警護の問題もあった。 いろいろ考慮して、最終段階で行かないことに金正恩が決定したと見られる。
──いくつかのメディアでは、金正恩のロシア訪問取りやめは、ロシアが北朝鮮の核保有国の地位を認めていないからだと報道した。
基本的に北朝鮮は核保有国の地位に大きな意味を置いていないとみている。事実上の核保有国だと主張しているからだ。ただ、ロシアと北朝鮮の間には、核問題について意見の相違がみられる。金正恩がロシアを訪問すれば、核問題について話さざるをえないが、そうした点も金正恩には負担になる。回答が理解に苦しんだだろう。
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