文化庁は4月24日、有形・無形の文化財をテーマや地域ごとにまとめた18件を、「日本遺産」として初認定した。織田信長が発展させた岐阜市が「『信長公のおもてなし』が息づく城下町」として認定されたほか、四国4県が共同で申請した「四国遍路」など、40都府県の自治体から申請があった83件から18件が選ばれた。文化庁は2020年までに、100件程度に増やす計画だという。
■日本遺産とは?
日本遺産は、厳しい保全体制と普遍的な価値の説明が求められる世界遺産とは異なり、観光資源の掘り起こしや地域活性化などを狙いとするもの。これまでの文化財がここの遺産ごとに「点」として指定されていたのに対し、日本遺産は点在する遺産をストーリーだてして関連付けし「面」の遺産とすることで、地域の魅力をより強くブランド化して発信することにつながるとした。
認定されると、ガイドの育成費用や外国語のパンフレットの作成費用を、文化庁が補助する。ロゴマークは「にほんごであそぼ」や「GOOD DESIGN AWARD」のロゴ作成で知られるデザイナーの佐藤卓氏が手がけた。
面としての申請をしてもらうにあたり、文化庁は一つの自治体で完結する「地域型」と、各地の遺産をひとまとまりにする各地の遺産をひとまとまりにする「ネットワーク型」の2つのタイプを想定した。「日本一危ない国宝鑑賞」として認定された鳥取県三朝町の申請は地域型。水戸市、栃木県足利市、岡山県備前市、大分県日田市の4市が共同で申請した「近世日本の教育遺産群」はネットワーク型にあたり、水戸藩校だった「旧弘道館」や、日本最古の高等教育機関とされる足利学校跡、庶民教育の場だった旧閑谷学校、私塾の咸宜園跡で構成される。
■なぜ日本遺産がつくられたのか?
文化庁は当初、世界文化遺産へ登録を目指す「暫定リスト」から「日本遺産」を作成し、海外に売り込むことを検討していた。しかし、海外からの誘客や地域の活性化につなげるため、暫定リストに載っていないものも含めることに方針を転換したと、朝日新聞デジタルは伝えている。
この理由について、下村博文・文部科学相は2014年6月、世界遺産に登録された富岡製糸場の補修費が、今後20〜30年で100億円かかることなどを挙げ、文化財保護という視点だけでは海外からの観光客訪問は長続きしないことなどを挙げている。
例えば、富岡製糸場も、これまでの世界遺産もそうなのですが、どちらかというと自然遺産のように、その存在そのものが世界遺産だというような、そういう位置付けではなくて、いかにそこに付加価値、つまり、この富岡製糸工場という建物が100年以上前からあって、すばらしいということのハードの問題もありますけれども、それ以上にソフトの問題で、当時、明治5年ですけれども、フランスからトップの技術者を養成し、そして、当時のヨーロッパの倍ぐらいの規模の製糸場を造ったという大胆な近代化に向けた改革だけでなく、旧来の日本の養蚕のノウハウを導入しながらミックスして、結果的にはその後、この生糸においては世界でトップの生産高になったり、あるいは、貿易輸出の80パーセントを占めるようになったということは、単に諸外国の物まねではなくて、日本独自のオリジナリティーもミックスしながら、同時に人材養成等をしながら、今日に至ったと。それが世界遺産としても評価された部分だと思いますが、そういうコンセプトは日本国内でいろいろと作っていく必要、あるいは作れる可能性は十分あるのではないかと思います。
(下村博文文部科学大臣記者会見録(平成26年6月24日):文部科学省より 2014/06/24)
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