「S660」ホンダの26歳若手社員は、なぜ軽スポーツカーを開発したのか?

4月2日に販売開始したホンダの軽自動車枠のスポーツカー「S660」。その開発責任者は、弱冠26歳の青年だという。一体、なぜこんな思い切った車を作ったのか。東京・青山にある本田技研工業の本社で直撃してみた。

中学生のころ、いつか欲しかった車があった。それが、1991年に発売されたホンダ・ビート。軽自動車のオープンスポーツカーだった。結局、夢はかなわなかったが、少年のころの憧れを思い出させる自動車が4月2日に発売された。

その名は「S660」。ビートが生産中止してから19年ぶりとなるホンダ製の軽スポーツカーだ。エンジンを運転席の背後に置く「ミッドシップ」という方式は、ランボルギーニ・カウンタックなどの往年のスーパーカーと共通している。

この「豆サイズ・スーパーカー」の開発責任者は、26歳の若手社員だという。なぜこんな思い切った車を作ったのか。4月13日、東京・青山にある本田技研工業の本社でインタビューしてきた。

ホンダ本社1階のショールームに展示されたS660の前でポーズを取る椋本陵さん

■「どうせだったら実車を作ろうぜ」

「小さいころから車が大好きで、ミニ四駆をやったりプラモデル作ったり、ずっと車に慣れ親しんでいました。小学校のときに、図書室で『本田宗一郎伝』を読んでホンダに興味を持ちました。夢に向かって挑戦する。『バイクを作りたい』という思いでバイクを作り、レースに挑戦したいと思ったら、マン島TTレースに出て優勝する。しまいには車を作ってF1でも勝つ。夢に向かって挑戦していく姿がカッコいいなと思いました。高校生のときにホンダの研究所から求人が来てたんで、これだな、と思って応募したのがホンダに入ったきっかけです」

こう話すのは、S660の開発責任者を務めた椋本陵(むくもと・りょう)さん。研究所の制服である白衣に身を包み、歯を見せながら快活に話す姿は、ごく普通の若者だ。1988年に岡山県で生まれ、笠岡工業高校を卒業後、本田技術研究所(ホンダの研究開発部門)に入社した。

配属されたのは、埼玉県和光市にある四輪R&Dセンターのデザイン部門だった。図面を元に、試作車の原型(モックアップ)を作る「モデラー」という仕事。そこでは自動車を開発する余地はなかったが、転機になったのは、2010年の社内コンテストだったという。

「研究所の設立50周年を記念した新商品の企画コンテストに軽スポーツカーの案を提出したところ、1位になったんです。ご褒美は実物大のモックアップの製作のはずだったんですが、もともとモックアップを作っている部門だったんで、『どうせだったら実車を作ろうぜ』って部内が盛り上がったんです。それで有志で4カ月くらいで、部品を寄せ集めて試作車を作りました。それを本田技研の伊東孝紳社長が『ぜひ乗ってみたい』と試乗したところ、『これは面白いから量産車をやろう』となりました。それで、私が開発責任者であるLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)になることが決まったんです」

まさに、ひょうたんからコマ。社長の試乗会が大きな転機となって、量産車製作に大きく舵を取ることになる。自動車開発の責任者であるLPLには経験者が就任することが多く、通常は40代から50代の仕事だ。当時の椋本さんのように入社4年目で22歳の若手社員が、LPLをやるのは前代未聞だったという。

「正確なところは分からないんですが、『言いだしっぺのお前がやれ』というのがあったかもしれないですね。勢いのある感じを止めずに、というのがホンダの社風であったと思うんです。ただ、私だけでは当然できないので、そこにベテランエンジニアをLPL補佐として配置。プロジェクトリーダー(PL)を社内で公募して、若手を中心とした開発チームでやるという方向性にまとまりました」

ホンダ本社1階にあるショールームで、S660に乗り込んだ椋本陵さん

■「カッコ良さと、楽しさを尖らせたかった」

スポーツカーといえば、大排気量のエンジンを積み、数百馬力のパワーで猛スピードで走るイメージがある。そこをなぜあえて、660cc制限のある軽自動車にしたのだろうか。実は椋本さんには苦い経験があった。入社直後、子どものころにホンダのCMを見て憧れていたS2000を中古で買った。240馬力以上を発する超高性能スポーツカーだが、完全には乗りこなせなかったという。

「乗ってみて分かったんですが、これは失敗したなと思いました。やっぱり19歳の身の丈には合ってなかったんです。その教訓で、自分たちにとって身近で思いっきり乗りこなせる車があるといいと思ってました。高校生のころは、学校までバイクのスーパーカブで通学していたんですが、あれが面白かったんですよ。元の排気量が小さいからエンジン全開にできるし、マシンを振り回す感覚があるんです。エンジンは死にそうな音がするし、ステップもガリガリ削られる。『遅いんだけど楽しい』という感覚がずっと身にしみついてたんで、そういう車があってもいいというのが、発想の原点ですね」

2011年3月の開発スタートから、4年越しで完成したS660。運転手の背後にエンジンがあるため、後席はない。当然、2人乗りだ。トランクはボンネットの中の狭いスペースだけで、ホロ(折りたたみできる屋根)を収納すればいっぱいになってしまう。それでいて販売価格は約200万円と、軽自動車にしては高めだ。

現在、国産乗用車はミニバンやワゴンといった多くの荷物が積める車が売れ筋だが、なぜ対極を行くような車にしたのだろうか。

「S660に込めたのは『車って楽しい』というところなんです。そこが僕は尖ればいいと思っていて、確かに、全部100点の車ができればいいんですけど、当然、バーターの世界なんでどこかが尖ればどこかが引っ込む。じゃあ、この車でどこを尖らせるかというと、一つはスタイリングで、パッと見のカッコ良さ。もう一つは乗る楽しさです。その二つを徹底的に尖らせてやろうと思ったんです。引っ込む部分が居住性だったり、快適性だったりするけど、それはそれでいいんです。今回はカッコ良さと、楽しさという2つが尖ればいいと思っています」

S660の前でポーズを取る椋本陵さん

■「日本の一般道を、とにかく気持ちよく走る」

マーケティングを意識せずに「自動車の楽しさを提案する」というコンセプトが背景にあったことが、この特異な車の開発に至ったようだ。

S660の最高出力は軽自動車の自主規制によって64馬力に留まっている。そのため、「輸出用モデルとして130馬力近くに改造した「S1000」をホンダは準備中……」という憶測記事も、巷の自動車雑誌には書かれている。実際にそうした予定があるのか聞いてみると、椋本さんは苦笑しながらこう言った。

「数字には特に興味ないんです。公道試乗会を開催したところ、それまで『もっとパワーを欲しい』と言っていた方も、『これがベストだな』と意見を変えていました。多分、64馬力でも全開にできないです。まずはこの64頭の馬をきっちり手なずけて、楽しんでいただければなと(笑)。S660は、サーキットに持ち込まないと楽しめない車じゃなくて、家からコンビニ行くだけでも楽しい車なんです。街中を気軽にどれだけ楽しめるかというのもポイントだと思います。一度乗っていただければ、この車のコンセプトである『日本の一般道を、とにかく気持ちよく走る』を、ご理解いただけると思っています」

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