日産自動車は2月21日、「フェアレディZ」の父として知られる北米日産初代社長の片山豊さんが、2月20日に死去したと発表した。105歳だった。心不全のため東京の病院で亡くなったという。
社員から「Mr. K(ミスターK)」の愛称で親しまれた片山さんは、1909年に静岡県で生まれた。慶応大学を卒業後、日産自動車に入社。1954年の東京モーターショー(全日本自動車ショー)初開催に尽力したり、自動車ラリーにダットサンを参加させてクラス優勝に導いたりするなど、日産車を世界にアピールした。
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1960年にアメリカ勤務を命じられた片山さんは、中古車販売店を一軒ずつ巡り、小型車ダットサンを置いてもらうことからスタート。きめ細かい対応で代理店を広げ、北米日産の屋台骨を築いた。
さらに片山さんが「誰でも気軽に、爽快にドライブできるスポーツカーを」との思いで提案した『ダットサン・240Z(フェアレディZ)』が1970年に爆発的な人気に。アメリカにおける輸入車売り上げで、日産が1位(当時)を達成する原動力となった。この功績をたたえ、1998年に片山さんはアメリカの自動車業界で殿堂入りを果たした。
片山さんにとって、自動車は単なる機械ではなかった。生前の片山さんの言葉を紹介しよう。
「人間は、何千年にわたって馬と行動をともにしてきました。同じ屋根の下で暮らし、家族のように接した。クルマはそんな馬の代わりですから、人間にとって大切なものであるはずです」。
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