2013年12月15日、新生国家南スーダンの首都ジュバにある大統領警備隊の兵舎で銃声が鳴り響いた。対立する部族出身の兵士たちがお互いに銃を向けあったのだ。
戦闘がどのように始まったのかについては今も議論が続いている。ディンカ族出身のサルバ・キール大統領は、ヌエル族のリエック・マチャル元副大統領によるクーデター未遂だと非難した。マチャル元副大統領はキール大統領の謀略だと主張した。
しかし、この戦闘は民族間の殺戮へと発展した。数日の間に国中で暴力が席巻した。1年たった今、キール大統領とマチャル副大統領にそれぞれ忠誠を誓った兵士たちが、大量殺戮、失踪、拷問、レイプの責任を問われている。人権団体は世界で最も若い国、南スーダンを「生き地獄」と表現した。
2014年10月16日、45歳のアメルさんは、ミンカマン避難所から食料の配給を受けていないと語り、お手上げの様子を見せた。(Alissa Everett/Humanity United)
何十年にも及んだ内戦の末、2011年に南スーダンがスーダンから独立を勝ち取ったとき、希望は空よりも高かった。世界で最も若い国の誕生は「南アフリカでのアパルトヘイト終結以来、アフリカで最も希望あふれるニュースだった」と、アフリカで活動するジャーナリストのジェームス・ベリニ氏はナショナル・ジオグラフィックの記事で述べた。国際オブザーバーは南スーダンがその莫大な資源を戦争による荒廃から立ち上がるのに使うことを希望していた。「南スーダンは膨大な、しかしまだ実現していない農業の潜在力がある」。2012年の世界銀行による報告書によると、70%の土地が農業に適していることに注目している。この新しい国は莫大な石油埋蔵量があり、独立後の政府の収入の98パーセントを石油が担っていた。
夢は瞬く間に覚めていった。「政治的エゴの抗争が民族間紛争に変わった」とイギリスの新聞「ガーディアン」は1月に報じた。12月上旬、人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は報告書で、暴力が「南スーダンの2つの主要部族に深い溝を作り、これから続く何十年もの間、この国を混乱させる可能性がある」と述べた。
1年が経ち、国際赤十字は南スーダンが「忘れ去られた国」となる危険があると警告する。これが、この国の暴力にもっと注目するべき理由だ。
南スーダン 2014年 (Alissa Everett/Humanity United)
■ 少なくとも5回失敗した停戦
キール大統領とマチャル元副大統領は1月、5月、6月、8月、そして11月と停戦協定を結んだ。しかし、停戦は数時間のうちにことごとく破棄されている。明らかに機能しなかった。
人権活動家で法学者のデヴィッド・アブラモウィッツ博士は「この和平交渉はアフリカ政府間開発機構(IGAD)の仲介で行われたが、加盟国の中には紛争当事者の一方を擁護し、南スーダン政府への経済制裁を拒否した」と述べた。アメリカ政府はキール大統領とマチャル元副大統領の双方に制裁措置をとったが、ロイターによると、ヨーロッパ諸国から国連に要請した武器禁輸措置は「過度に南スーダン政府を弱体化させる」として国連安全保障理事会で否決された。ある政府高官は取材陣に対し、「我々は武器禁輸措置のリスクは認識しているが、一方で大量殺戮が1年も続いており、武器が過剰に供給されている」と述べた。
ハリエ・メンケリオス国連特使は、「和平プロセスは困難を極めているのは間違いない。南スーダンは希望と絶望、勇気と疑問の間を揺れ動いている」と述べた。2014年はじめに停戦は破れたが、スーダンの外務大臣はワシントンで行われたアメリカ政府との会談で「和平は間近に迫っている」と述べた。
■ 少なくとも5万人が殺害されている
世界の紛争解決を目的として政策提言を行うNGO「国際危機グループ」(ICC)は12月上旬、南スーダンで少なくとも5万人が殺害されているが、信頼のおける情報が不足しており、死者数は10万人に上る可能性もあると推定した。
殺戮の規模はすさまじく、キール大統領とマチャル元副大統領双方が残虐行為に加担している。特に衝突が発生た当初の数カ月間で老人、障害者や子供を含めた民間人を標的とした攻撃が繰り広げられたとヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘している。
AFP通信によると、南スーダンの武装集団は明らかに深刻な事態を招いているが、それでも病床で患者を撃ち殺し、集団レイプし、教会で民間人を殺害し、沼地に避難民を追い込んで機関銃を掃射している。ヒューマン・ライツ・ウォッチはキール大統領とマチャル元副大統領の双方が戦争犯罪を行い、人道に対する罪が問われると述べている。
アフリカ連合(AU)は南スーダンで行われている戦争犯罪に関する初の調査委員会を開催したが、人権活動家らはAUが情報を開示しないことを批判している。
■ 190万人が難民化している
国連によると、絶え間ない暴力により、200万人近くが自分の住む地域から逃げているという。彼らは国中の学校、キャンプ、国連基地に非難している、そして45万人以上が国外に避難している。
ボル、南スーダン、2014年10月14日
■ 10万人が国連の保護のもとで生活している。
戦闘が始まった当初、南スーダン人の多くが国連平和部隊の基地に避難した。現在、約10万人が基地内の移動キャンプで国連の保護のもと生活している。
国連は紛争調停で大きな役割を果たしている。間違いなく国連発足以来、最大規模の介入は南スーダン政府との緊張を高め、国連職員への暴力と発展した。国連は南スーダン国内に国連の保護領を設置するという噂を打ち消さなくてはならなかった。
南スーダン国内にいる難民の生活環境は過酷で、多くの人が喫煙して時間をつぶしている。ボル、南スーダン、2014年10月14日。
■ 2015年、250万人が飢饉に襲われる可能性がある
この紛争で国内の食料生産は停滞している。貧困根絶の国際協力団体「オックスファム」は、食料危機が目前に迫っていると警告する。推計によると、国民の3分の1が食料支援を必要としている。南スーダンで活動する人道団体の報告によると、2015年に栄養失調や飢饉が大幅に拡大する可能性があるという。「多くのコミュニティでは、自分たちの財産を売って、野生の果物や植物を食べ、家畜をつぶしてやっと2014年を生き抜いている。2015年にはさらに困難な事態となる」と、オックスファムは報告書で述べている。
遊牧の牛飼いが頻繁に大きな人口集中地の周りにキャンプを設営する。Mingkaman、南スーダン、201410月16日
■35名の救援活動従事者が殺害される
人道援助団体は大規模な飢饉を避ける努力を続けている。国連平和維持活動に携わるエドモンド・ムール氏は夏に「南スーダンでの人道援助活動は、一つの国としては、史上最大の規模となっている」と述べている。
しかし人道援助団体はどうしようもない現実の壁に直面している。国内の多くの支援が必要な場所にたどり着くことすら困難だからだ。救済団体は政府が活動の妨害を行っていると非難している。また、援助団体の財源は底をつきかけている。そして南スーダンは救援活動従事者にとって、シリア、アフガニスタンと並び、危険な国のワースト3に入る。
救援の手は、雨期の間の大規模な洪水、紛争と予想できない国土に阻まれ、援助を必要とする人になかなかたどり着けない。ほとんどの救援物資はヘリコプターから落とされる。油や生命を脅かすほどの栄養失調に苦しむ子供のためのサプリメントなど、壊れやすい援助物資はヘリコプターで運ばれている。ミングカマン、南スーダン、2014年10月17日。
■約1万2000人の子供が、武装集団によって労働させられている。
紛争は子供たちに大きな負担をもたらしている。国連児童基金(UNICEF)は75万人の子供たちが国内で家を失い、32万人が避難民として生活しているという。そして約1万2000人の子供が武装集団によって労働させられていると報告している。
救援団体「ワールド・ビジョン」がまとめた南スーダンの難民の子供たちに報告書の執筆者、ジェシカ・ブーケット氏はハフポストUS版の取材に対して語った、「子供たちはさらなる暴力に怯えながら暮らしている。彼らは故郷から離れた2回目のクリスマスを迎えた。2015年はどこに行くのかわからないという悲しみが漂っている」。
国連難民機関の南スーダン活動募金は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)やワールド・ビジョンのウェブサイトまで。
南スーダンのボル難民キャンプ。ある少女が新しい避難テントに家財道具を移動する家族を手伝っている。2014年10月14日(Alissa Everett/Humanity United)
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
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