9月26日、メキシコの教員養成大学の学生多数がイグアラ市での抗議活動の後、行方不明となった。彼らは警察のワゴン車に乗せられた現場を最後に目撃されて以来、行方はわかっていない。
捜査当局によると、行方不明の学生たちの捜索で多くの墓が発見されたほか、警察が麻薬カルテルに協力し、犯罪行為を指揮する政府関係者もいると明らかにした。
近年、メキシコでの暴力事件は全体的に減少しているが、今回の捜査で、麻薬カルテルが冷酷な暴力事件を起こし、治安部隊が残忍な行動をとり、国の一部を蝕む汚職が横行している実態が再び浮き彫りとなった。
このような現在のメキシコの治安状況を理解するうえで手がかりになる11の数字を紹介しよう。
9月26日にメキシコ市の南200キロに位置するイグアラ市で政府に対する抗議活動を行って以降、行方不明となっている学生の数。
目撃者によると、市外へ向かっていた学生たち43人のうち、いくつかのグループが警察や覆面の武装集団から銃撃を受け、翌朝までに6人が銃殺された。ある学生の遺体は顔の皮膚を剥がされ、両目をくり抜かれていた。数十人の若い男性が、警察のワゴン車に連行されているところを目撃されたが、それ以降、彼らの姿を見た人はいない。
行方不明の学生を捜索する中で見つかった、隠し墓地の数。
DNA検査によって身元確認が行われた遺体は、これまでのところ行方不明の学生たちのものではないとわかった。追加のDNA検査の結果はまだ明らかになっていない。
フェリペ・カルデロン前大統領氏の政権が、麻薬カルテルにメキシコ麻薬戦争を開始して以来、殺害された人の推定人数。
世界の紛争解決を目的とするシンクタンク「国際危機グループ 」(ICG) によると、メキシコでの麻薬カルテルの暴力行為は、カルデロン大統領の前任ビセンテ・フォックス元大統領時代の2004年から増加している。カルデロン前大統領は2006年に就任して以降、軍隊を使って犯罪組織に対する大掛かりな取り締まりに乗り出した。治安部隊は記録的な量の麻薬を差し押さえ、数十人のカルテルのボスを逮捕、あるいは殺害したが、一方で攻撃的な取り締まりは犠牲を伴うことになった。
麻薬カルテルと治安部隊との対立は、数年間に及ぶ激しい流血の惨事へと発展することになった。治安部隊の残虐な戦術は、彼らの正当性を損なわせた。また、攻撃的な取り締まりは、カルテルが麻薬取引で利益を上げることを阻止する一方で、より小規模の犯罪集団が台頭するきっかけとなった。こうした小規模な犯罪集団は、誘拐や強奪など麻薬の密輸以外の犯罪を繰り返している。
カルデロン前大統領の後継者で、現職のエンリケ・ペーニャ・ニエト氏は、大統領就任時にカルデロン氏が行った取り締まりを中止し、麻薬カルテル戦争で軍隊の関与を減らすと述べた。
2012年にペーニャ・ニエト政権が発足してから2014年5月までの間に、行方不明になった、または失踪したとされる人の数。
オソリオ・チョン内務大臣が発表した。また当局の発表によると、カルデロン氏とペーニャ・ニエト氏の任期中に行方不明になったとみられる実際の人数は2万2000人を上回るという。
2013年に報告された殺人事件の数。
メキシコ国家統計地理情報局 (Inegi) が発表した。Inegiによると、死亡の主な要因は銃殺で、刺殺、絞殺が続く。データでは、どれだけの事件が組織犯罪に関係しているかは述べられていない。
この統計によると、メキシコ国民の10万人に19人の割合で殺人事件が発生しているということになるが、これは麻薬カルテルとの戦争が激化していた頃の数値からすれば著しく低下している。当時の割合では10万人に23人の割合で殺害されている。しかし、組織犯罪を調査・報道する非営利団体インサイト・クライムによると、統計には未発見の遺体は含まれていない。
この数値を他国と比較すると、アメリカの2012年の殺人率は10万人中4.7人であった。2012年の統計で最も高い国内での殺人率はホンジュラスで、10万人中90.4人である。
2013年に、家族の少なくとも1人が犯罪の犠牲者となった推定世帯数。
2014年初頭にメキシコ国家統計地理情報局によって行われた自己申告調査による。数値はメキシコ人世帯の40%に相当する。
前述のインサイト・クライムは、調査の数値はメキシコの公式の犯罪統計よりはるかに高いと指摘しており、多数の犯罪が未報告のままだとしている。インサイト・クライムは、データに従えば、2013年は90%の犯罪が通報されていないと算出する。
通報された犯罪と「シフラ・ネグラ」(報告されない犯罪数) との食い違いは、誘拐事件となると特に顕著であると、インサイト・クライムはあわせて報告している。調査によれば、2013年には120,000人が誘拐の被害者となったと推定されるが、報告されたのは1,698件だけである。
2013年に報告された誘拐の数。前年より15%上昇している。誘拐の数は、カルデロン前大統領がカルテルに対して大掛かりな取り締まりに乗り出してから毎年増え続けている。
ロイター通信によると、数値は2007年と2012年の間に155%上昇した。特にメキシコ北東部での割合が高く、2001年と2010年の間で500パーセント上昇した。2012年に女性が最も危険にさらされた州はチワワ州だ。10万人の女性に対し22.7件の殺人が起こっている。
過去6年間に、組織犯罪の関連で殺害された移民の推定数。メキシコからアメリカへ渡る途中に殺害されたとされる。
この数字は移民女性とその家族の研究を行っている団体、「移民女性協会(The Institute for Women in Migration)」が集計した。これには中南米諸国とメキシコの移民の双方が含まれている。またメキシコ国家人権委員会(National Commission for Human Rights)によると、2007年から2012年の間に、少なくとも7万人の移民がメキシコで行方不明になった。
過去10年に報告されたメキシコの警察や軍隊による拷問件数の上昇率。
アムネスティ・インターナショナルのレポートによると、2013年に1500人以上が当局による拷問や虐待があったと申し立てた。これは2003年の申し立て件数から600%増加している。申し立ての内容は殴打、殺害の脅し、性的暴行、電気ショック、窒息死寸前まで苦しめるといったことが含まれる。別の調査では、64%のメキシコ人が、もし当局に拘束されたら拷問を受けるだろうと恐れていることがわかった。
メキシコの連邦裁判所で有罪判決を受けた拷問者の数。
アムネスティ・インターナショナルが発表した数字で、メキシコの連邦司法評議会によると、メキシコ連邦裁判所は2005年から2013年の間に123件の当局による拷問の起訴を取り扱った。そしてこれらの訴訟のうち連邦法に基づき有罪となったのは7件のみである。
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
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