"死ぬまで生きよう、どうせだもん。"
「おしかけヘルパー」と"ワケありクセあり"高齢者との交流を描いた、安藤サクラ主演の映画『0.5ミリ』が11月8日、有楽町スバル座他で公開された。脚本・監督を手がけたのは、安藤サクラの実姉・安藤桃子さん(写真)。社会の居場所をなくした高齢者にスポットをあてた本作は、8年におよぶ祖母の介護が原体験となって誕生したという。
四国の高知県を舞台に、世代を超えた人々の交流を通じて描きたかったことは何か。日本人の4人に1人が65歳以上となった現在、私たちは高齢化社会をどう生きるべきか。撮影をきっかけに「高齢先進県」高知に移住した、安藤さんに話を聞いた。
■ハードボイルドな人情ドラマ、映画『0.5ミリ』
映画は、片岡家で昭三の訪問ヘルパーをしていた山岸サワ(安藤サクラ)が、昭三の娘・雪子から「おじいちゃんと寝てあげてほしいの。お金は沢山払うから」と頼まれるシーンから始まる。"添い寝"だけという条件で依頼を受けたサワは、片岡家で雪子と、その子供マコトと夕食を囲んだ後、昭三の布団へ向かう。
その夜、サワは予期せぬ事件に巻き込まれ、仕事を失い、寮を追い出され、引き出したなけなしのお金も紛失する。そんな彼女は、生活のために偶然出会った高齢者の家に「おしかけヘルパー」として入り込むことにする。
駐輪場で自転車をパンクさせようとする茂(坂田利夫)、書店で女子高生の写真集を万引きしようとする真壁義男(津川雅彦)......。クセのある年老いたおじいちゃんたちは、突然現れたサワに困惑するが、次第にサワとの日々を通じて、再び"生"の輝きを取り戻していく――。
―—『0.5ミリ』で描きたかったことは何でしょうか?
今の社会に必要な"ニューヒロイン"というか"ニューヒーロー"を、安藤サクラで生み出したかったんです。「介護」をひとつのテーマにしてはいますが、エンターテインメント作品として撮りたかった。
サワ(写真)は、数々のおじいちゃんを、まるで雑巾を振り回すように操って(笑)、手の平で転がす、見たことのないキャラクター。天使でも悪魔でもなく、ときには詐欺師のようであり、赤ちゃんのような顔をするときもあり、大人の女性のときもある。魔法使いであり、フーテンのサワちゃんでもあります(笑)。現代のメリーポピンズといってもいいのかな。
一言で、彼女は何かといえば、「どんな人とでも、ニュートラルにコミュニケーションがとれる人」。これは、自分自身の理想でもあります。介護の世界だけではなく、これから先の社会で、みんなが求めていく人ではないでしょうか。そんな、どんな人でも本気で関わり合えるニューヒーローを描きたいと思いました。
(c)2013 ZERO PICTURES / REALPRODUCTS
——介護をテーマにした作品が誕生したきっかけは?
やっぱり、祖母の介護が原体験ですね。家族で8年間、祖母を在宅で介護して、最終的に自宅で看取りました。その体験で感じたのは、「介護」と単語ひとつで括られることへの違和感です。
実際に、介護を経験されている方々と話していると、結局「介護」は、それぞれの家族の話だとわかります。さらにいえば、親子の話でもあり、孫とおばあちゃんの話でもある。
家族がひとりいなくなるのは、それだけですごく悲しい。でも、ニュースに目を向けると、世界中で戦争や紛争が起きていますよね。そこには数えきれないほどのドラマや、個人の喜怒哀楽があるんだと感じられるようになりました。
自分の個人的な体験は、社会問題と直結しています。例えば、老人ホームよりも在宅介護での虐待件数のほうが多いというニュースを見て「そうだとしたら、表面化していない虐待も数えきれないほどあるかもしれない......」と想像できます。
いろんな社会の問題が「戦争」「いじめ」「介護」と、単語ひとつで一括りにされていて、会話をしても「戦争大変だね。日本は平和でよかったね」「介護、高齢化社会ってイヤだね」で終わってしまう。本当は無数のドラマがあるのに、伝わらないことに「怒り」や「悲しみ」を感じて。映画監督として、この湧き出てくるものと向き合って、作品にぶつけようと思いました。
——小説『0.5ミリ』を書いてみていかがでしたか?
介護をテーマに、まず映画のシノプシス(あらすじ)を書いてみたら、個人的に吐き出したい感情があまりに多くて......。初めて小説を書いてみました。
映画と大きく違って、小説はある意味、説明をしなければいけないメディア。自分と1対1の世界なので、とっても自由。殺そうが生かそうが、宇宙に行こうが自由です。もちろん、搾りだす苦しみもありましたけど(笑)、楽しかったですね。
祖母の介護は原点でしたが、当たり前と思っていた「人は生まれて、死ぬ」ということについて、あらためて考えさせられました。介護の経験があったからこそ、その先の家族のつながり、血のつながり、人種の違い、人とのコミュニケーション、もっといえば、社会の仕組み......そういうところまで想像力を働かせることができたと思います。
書きながら、祖母の話をもっとちゃんと聞いておけばよかったと思いました。同時に、生き字引である戦争体験者が、もう少ししたらいなくなっちゃうと気づいて焦りましたね。
——執筆にあたり、実際に年配の方を取材されたんでしょうか?
今回は「戦争」もテーマのひとつなので、作品を書くにあたり、老人ホームに通いました。インタビューするというよりは、おじいちゃんやおばあちゃんと、一緒に過ごそうと思いましたね。
私自身は戦争を体験していない世代ですが、戦争を体験した人と会話をすることで、想像できることがあると思います。戦争を体験した真壁義男先生のエピソードを書いたのは、私が20代のときでした。
義男先生の話は、元海軍のおじいさんと自分の対話が基になっています。その方の思いの後ろには、生涯で出会うこともない人や、もう亡くなられた人たちの思いも濃縮されていると感じました。この出会いを大切に、きちんとつなげていきたいと思いました。
映画には、義男先生が7分間ひとりで戦争について語る大事なシーンがあるんですが、これは実際に、おじいさんが急にインタビューのように語りはじめたときの言葉をそのまま使っています。長かったので一度編集してみましたが「絶対、切っちゃだめだ」と思い、そのままにしました。サワちゃんの質問も、私自身の言葉で一言一句変えていません。
映画では、義男先生役の津川雅彦さんが、その世代のたくさんの方々の思いを、どーんと背負って演じてくださいました。現場での7分間は、忘れられない時間です。
(c)2013 ZERO PICTURES / REALPRODUCTS
——作品から、年配の方に対するリスペクトを感じました。
私の場合、人生において、おじいちゃんやおばあちゃんと子供たちが関わっているときって、すごくカラフルで「豊か」だと感じるんですね。同世代の集まりも、それはそれで楽しいけれど、急にさみしくなることがあるんです。
よく考えてみれば当たり前のことなんですが、祖母と関わって思ったのは、自分よりも長く生きているというだけで、尊敬すべき対象だということです。どんな人生であろうが、私たちが見たことのないことを経験してきた人なのですから。
出来上がった『0.5ミリ』を観て感じたのは、サワと片岡家の子供マコト、この世代の近い2人だけシーンの、妙にグレーで曇り空というか、味気ないような不安な感覚です。一方、サワがおじいちゃんと触れ合っている時間は、とっても豊かでした。
これこそが、私たちが気づかないところで、本来の暮らしのなかで感じていたものなんじゃないかと思いました。日本には長屋の文化もありますが、ほんの少し前まで、家族におじいちゃんやおばあちゃんがいて、子供がいて、いろんな世代の老若男女が一緒に住んでいましたよね。
もちろん、母子家庭や老夫婦だけの家庭もありますが、コミュニティがちゃんと存在していて、近所の子供を叱ることもあれば、隣のおばあちゃんに怒られることもあって......。常に、老若男女に関わって、野良猫や野良犬がいて、いろんな生きものが一緒に暮らしたんだと思います。
今の社会を、何か物足りないと感じている人がいるとしたら、これが「鍵」なのかなと思います。そんな人との関わり合いかたを、私は撮影した高知の人たちから学びました。高知の人は、サワみたいな人ばっかりだったんです(笑)。
——安藤さんの考える「鍵」について、聞かせてください。
日本にはもともと、お年寄りと子供たちの両者を敬う文化がありました。だから、この両者にまつわるお祭りや行事が多いんですね。
私も調べて知ったことですが、子供は"生"の入り口に近くて、老人は"死"の入り口に一番近い人たちで、だからこそ日本人は、神様に近い存在の両者を大切にしてきたという考えかたがあるんですね。その両者の間にいる世代が、"和"を保つ存在として、社会の仕組みづくりを担ってきたんです。
今の社会では、そのお年寄りと子供のつながりが失われつつあって、すると真ん中の世代がどうなっているかというと、20代の死因の約半数が自殺。先進国や世界を見ても、こんな国はほとんどありませんよね。
このバランス崩壊の解決策は、両者をちゃんと結ぶことなんじゃないかと思うんです。この映画は、おじいちゃんとサワの交流を描いているように見えて、すべて社会の仕組みを描こうとしているんです。
10代のマコト(写真)は、とにかく食べます。本を読みながら、口に、お寿司、唐揚げ、全部をつめこんでもぐもぐ食べて、全くコミュニケーションをはかろうとしていません。食べることで、あの世代の「雑さ」みたいなもの、無意識で生きている世代の苦しみみたいなものを表現しようと思いました。
だからといって、マコトが繊細でないわけではなくて、繊細だからこそ自分の扉を閉めているわけです。あの母親だから教えてもらえなかったことがたくさんあって、バトンタッチしてもらえていない世代です。だけど生命力は、同じように持っていて最終的に爆発します。マコトは、あの世代ならではの苦しみを体現しています。
どんな子供も生まれたときには天才で、無限大の力を持っている。それを型にはめるのは、まわりの大人ですよね。そのなかで、おじいちゃんたちが私たちに与えてくれることって、たくさんあると思いました。サワは、両者を自然につないでバトンタッチしていく、ニューヒーローです。
片岡マコト(左)と山岸サワ(右) (c)2013 ZERO PICTURES / REALPRODUCTS
——サワを安藤サクラさんが演じたから、自然に両者がつながったように感じました。
絶対的にそうだと思います。サワは、私にとってこの時代に一番必要な人ですが、このキャラクター自体は、安藤サクラがいなかったら生まれなかった。サクラが、こういう人かどうかは、また別の話ですが(笑)。
サクラが演じたサワちゃんは、すごくニュートラル。お年寄りに対して、人と人として敬意を持って自然に向き合えているんですね。マイノリティとか、最近は何かとカテゴリー分けをしますが、彼女はいい意味でボーダレスです。
そしてサクラは、生命力のかたまり。生命力の強い人は、不安がなくて、やっぱり信頼が置けますよね。ひとつの作品で同じ人とは思えないほど、生命力がどんどん溢れてくる。また今回、一緒に映画を作り発見したのですが、予想以上に自然界に感じる母性のようなものを持っていて、その海のような母性に飛び込んで、私も大きく泳げました。
姉として「誰も見たことのない安藤サクラを撮るぞ!」と思って撮影に挑みました。その中でも私が好きなのは、予告編にもある、朝食を作りながら、茂じいさん(坂田利夫)に「おはようございます」といって振り返るときの顔ですね。昭和的の美しさがありますよね。
あと、画面には写っていないんですが、大切な顔がありました。ワンシーン、ワンカットの義男先生が、戦争について話すシーン。画面には義男先生しか写ってないですが、本番撮影中、目の前に座り込んでいたサワの顔がとても大切です。カメラに写っていなくても映画には全てが出る。だからこそ、あの義男先生があるんです。あのときの顔は印象的でした。
——映画を撮影した高知の街はいかがでしたか?
映画では、なるべく色を大切にしたいからこそ、原色を避けて撮ったりするんですが、最近はどんな田舎の原風景を撮影しても、自動販売機や看板があって、どこでも原色が入ってくるんですよね。
そんななか今回の高知は、光の粒子が大きくて、生命力でキラキラしていて、透明感に溢れている。高知は、日差しが強くて、冬でも看板も2カ月で退色するんですね。数カ月前の化粧品のポスターも、レトロな昭和の色合いになるんです(笑)。
——撮影をきっかけに高知に移住されたんですね。
高知に住んで、いつも頭に浮かぶのはGoogleマップです。地球があって、世界地図があって、日本列島があって、四国があって、高知があって、自分のいるところがある——。日本は、世界の縮図なのかも、と住んでいて思います。
日本のように、こんなにひとつの国のなかに違った文化があって、それを保っている国は本当に珍しいと思います。街ごとにアイデンティティが残っている、北から南まで食文化も県民性も全然違う。どこよりも個性的なキャラクターを持っているのが日本人だと思います。
そんななかで、四国は日本の島ですけど、なかでも高知は、四国山脈と太平洋によって四国からも遮断されています。横に長い高知のなかでも、街ごとに人も景色も、キャラクターが違うんです。そんなふうに、地理的に遮断されていたことが、今になっていい方向になっていると感じます。
——独自の文化が残る高知、どんなことが参考になりますか?
高知には、経済成長を求めて走ってきて、壁にぶつかっている今の日本社会に対する、答えの糸口が隠されているんじゃないかと思います。
所得の上昇が、幸福度に結びつかないことが、研究でも明らかになっていますが、高知の人は、県民所得が全国最下位でも、つらいことや苦しいことがあっても、今生きていることに誇りを持っていて、とっても楽しそうなんです。人生は楽しむために生きていると教えてくれます。
これまでは、日本であれば東京がトップランナーで、地方がその背中を一生懸命追いかけてきました。日本だけでなく世界中が立ち止まって、Uターンせざるをえなくなったときに、東京が後ろを振り返ったら......今まで一番後ろで一生懸命ついてきていた、高知や沖縄が「あれ、先頭立っちまってる!」と(笑)。
高知は、「高齢化先進県」で高齢者率も全国トップレベルですし、"ネガティブ"と捉えられる問題が盛りだくさんですけど、それは社会が決めた基準ですよね。東京という目標がなくなった今、高知は、経済界をはじめ「自分たちの文化を残していくぞ、独立国家やき!」と独自のやりかたでポジティブに転換しようとしています。
正しいなと思います。各県の幸福度を調べても、幸せを感じる心がなければ、現実的ではないですよね。これから先は、世の中も経済も、今までのように明るい方向にはいかないかもしれません。けれど、それは「人が幸せと思えるか」とは関係ないんだと思います。
——最後に、映画についてメッセージを一言、子供とお年寄りをつなぐ世代にもメッセージをお願いします。
いろいろお話しさせていただきましたが、とにもかくにも、「楽しい映画」だということを伝えたいです(笑)。
人はひとりで生きられません。血が流れているのと同じくらい変わらない事実として、生きものとして私たちはそういうふうにできているんだと思います。
赤ちゃんも、生まれてきて誰にも触られなかったら、自分が存在しているとわからないですよね。人は、誰かと肉体的に精神的にも触れ合わないと、自分の宇宙が消滅してしまう。存在意義がなくなってバーチャルになってしまうんではないでしょうか。
人と人が関わることは不可欠です。じゃあ、どうやって人と関わるのかというと、ほんとにちょっとでいいから、一歩踏み出すことだと思います。ときには、イヤな結果になることもあるけど、やっぱり、あえて「摩擦を起こせ!」と叫びたいですね。
安藤桃子
映画監督。1982年3月19日東京生まれ。高校時代よりイギリスに留学、ロンドン大学芸術学部を次席で卒業。その後ニューヨーク大学で映画作りを学び、監督助手として働く。2010年4月、監督・脚本を務めたデビュー作「カケラ」が、ロンドンのICA(インスティチュート・オブ・コンテンポラリー・アート)と東京で同時公開され、その他多数の海外映画祭に出品。国内外で高い評価を得る。11年に初の長編小説「0.5ミリ」を刊行。自身の小説を映画かした本作は第2作目。監督業や執筆業、音楽コラムの連載など、多岐にわたり活動。本作撮影をきっかけに高知に移り住み、高知市観光プロモーション映像制作や、映画館プロジェクト等を実施するなど、観光特使も務めている。