1945年8月7日、広島に原爆が投下された翌日、世界では新しい爆弾(原爆)に関する報道がトップ面で伝えられた。しかし日本では、原爆が投下されたことが暫くの間伏せられていた。
1945年8月7日午前1時30分(現地時間6日午前11時30分)、当時のアメリカのトルーマン大統領は「広島に投下された新型爆弾は、原子爆弾である」との声明を、世界に向けて発表した。広島に原爆が落とされてから16時間経ってからの発表だった。
すぐにアメリカ、イギリスをはじめとする世界のメディアが、トルーマン氏の声明を大々的に報じた。しかし、そのほとんどは連合国の国々によるものであったため、アメリカによる原爆投下を批判するものではなかった。
ニューヨーク・タイムズは8月7日、1面から10ページにわたる特集を組んだ。トルーマン氏の声明全文のほか、イギリスのチャーチル前首相(当時)の声明、原爆の威力、アメリカの陸軍士官学校が原爆開発をリードしたことや、原子力兵器は戦争を早期に終結させるといった内容のオピニオンなどが、原爆を支持するような表現で、紙面に盛り込まれた。
イギリス紙のマンチェスター・ガーディアン紙(現ガーディアン紙)は、「アメリカとイギリスは、20億ドルが投じられた史上最大の科学上の賭けで、ドイツとの競争に勝利した」とするトルーマン氏の声明を紹介。「われわれは日本のどの都市であれ、これまで以上に迅速に破壊する態勢をとっている」とし、日本が降伏しなければ「空から破壊の弾雨が降り注ぐものと覚悟すべき」と警告する内容も合わせて報じた。
ほかにも、「日本に原子爆弾」という簡単な内容の記事から、「原爆、ジャップを激震」というような刺激的な見出しの記事まで、各紙がトップニュースで広島への原爆投下を報じた。
これらの報道に対し、連合国のメディアに原爆投下への批判がなかったわけではない。一握りではあったが「残忍な行為だ」との意見も出ていた。フランス人の作家・アルベール・カミュが主筆を務めた『コンバ(Combat)』紙では、8月8日の社説に原爆への批判が掲載された。
世界がこんなもんだということは、こんなにちっぽけなものだということは、ラジオ、新聞、通信社が原爆について報じる大合唱のおかげで、昨日からもう世の中の誰もが知っているだろう。数々の熱にうかされたような記事のおかげで、どんな中都市でさえもサッカーボールほどの大きさの爆弾によって、完璧に破壊される可能性があるということがわかった。
アメリカやイギリス、フランスの新聞が、原爆について過去から未来まで、開発者のことや費用のこと、平和的使命、破壊効果、政治的影響などについて、素晴らしい論文を掲載しては拡散させていく。しかし我々は、次の一言で要約しよう。“機械文明は、既に『野蛮』というものの最終段階に到達した”と。(中略)
もし、日本が広島の破壊によって圧力に屈して降伏するのであれば、それは喜ばしいことには違いない。しかし我々は、科学技術力をもった大国が小国をねじ伏せるような国際関係ではなく、対等で公平な国際関係を目指すことが重要であり、それ以外の結論を求めるべきではない。
(コンバ紙「社説」より 1945年8月8日)
一方、トルーマン氏の声明発表を知った日本軍の大本営は、「新型爆弾」によって広島が「相当の被害」を受けたことだけを7日午後3時30分に発表するにとどまった。「アメリカによる虚構の謀略宣伝」との見方や、「国民の心理に強い衝撃を与える」などの理由から、原子爆弾であることは隠すべきだと判断したためだ。
大本営発表を受けて、日本の各紙も8日から広島の状況を詳しく報道しはじめたが、後に軍部の調査によって、投下された爆弾が原爆であることが確認されて緘口(かんこう)令が緩められるまで、各紙の表記は「新型爆弾」に統一されており、原爆の文字は見られなかった。