『精霊の守り人』『獣の奏者』の作家・上橋菜穂子さんに聞く創作の源泉 国際アンデルセン賞受賞の舞台裏から新作『鹿の王』まで

『精霊の守り人』や『獣の奏者』などの人気作品で知られる作家、上橋菜穂子さんが、子どもの本に貢献した作家や画家に贈られる「国際アンデルセン賞」の作家賞を受賞。その創作の源泉についてロングインタビューした。
猪谷千香

『精霊の守り人』(偕成社)や『獣の奏者』(講談社)などの人気作品で知られる作家上橋菜穂子さんが、子どもの本に貢献した作家や画家に贈られる「国際アンデルセン賞」の作家賞を受賞した。この賞は1953年に創設され、『ムーミン』のトーベ・ヤンソンや『長くつ下のピッピ』のアストリッド・リンドグレーンなども受賞、世界中の児童文学に大きな影響を与えてきた。その選考水準の高さから「小さなノーベル賞」ともいわれている。作家賞を日本人が受賞したのは、1994年のまど・みちおさん以来2人目で、授賞式は2014年9月にメキシコシティ(メキシコ)で開催される。

国際アンデルセン賞を主催する国際児童図書評議会(IBBY、本部=スイス)は受賞者発表のリリースで上橋さんについて次のように講評している。

上橋菜穂子は、「世界中の人々は、物語を紡ぐことへの愛を分かち合っている」という信念を持ち、文化人類学の視点から、ユニークなファンタジー小説を書いている。名誉と義務、宿命と犠牲の物語は、新鮮で、まさしく日本的である。作品の舞台は、どこか中世の日本を思わせるが、彼女自身の手で生み出された世界である。土地の風景や神話の創造のみに甘んじることなく、身分制度の在り方に触れ、また霊的・倫理的領域が互いに及ぼす影響を描いている。彼女の作品の中では、世界は単なる空間ではなく、別の次元に属する世界がつながり合い、関わり合う。異なるファンタジー世界を創り出す卓越した力を持つ作家であり、作品には、知を備えた全ての生き物や自然に対する慈しみと深い敬意が表れている。

(日本語訳は国立国会図書館国際子ども図書館より引用)

世界で最高の評価を得た上橋さん。上橋さんの代表作である『精霊の守り人』は、バルサという30歳の女用心棒が、精霊の卵を体内に宿した皇子チャグムを守るために奮闘する物語で、本編と番外編を含めると全12巻の長編だ。また、双璧をなす代表作『獣の奏者』は、苦難に立ち向かいながら、人には決して慣れない孤高の獣と対峙する少女エリンの運命を描いた物語。こちらも本編や続編、外伝を含めて全7巻のシリーズとなっている。文化人類学者でもある上橋さんが、圧倒的な筆力で描く物語世界に多くのファンが魅了されている。ハフィントンポストでは上橋さんにロングインタビュー、国際アンデルセン賞受賞の喜びから、文化人類学と物語の関係、今秋に刊行される最新作『鹿の王』(KADOKAWA)まで、その創作の源泉について訊ねた。

■発表前は緊張でおにぎりを半分しか食べられず

−−この度は、国際アンデルセン賞の受賞、本当におめでとうございます。

ありがとうございます。去年の今ごろ、国内候補になったと伺って、6月までにいろいろな資料を集めて下さいと言われて、出版社の方たちにお願いして、IBBYに提出するファイルを作っていました。でも、私は、少しも可能性を感じていなかったので、「国内候補? はあ、ありがとうございます」ぐらいの感じで、その後は忘れていました。そうしたら、今年1月か2月ぐらいに、『狐笛のかなた』(理論社)の編集者の方と一緒に食事をしていた時、「発表、そろそろじゃないですか?」と言われて。発表がいつかも知らなかったんです(笑)

それからある日の朝、携帯に何回も着信がありました。JBBY(日本国際児童図書評議会)の方から6人の最終候補リストに残っていますという連絡でした。これは日本人としては20年ぶりとかなんとか言われて………。でも、その時も彼女が興奮するほど私は興奮していなくって、「ああ、そうすか」と(笑)。絶対にありえないと思っていましたので。

−−どうして、そこまで「ありえない」と思っていらっしゃったのですか?

私の本は長編なので、本当に読み込んで頂かないと、海外の審査員の方々には判断がつきかねるかなと思っていました。審査員は審査員長を含めると11人いらっしゃったのですが、日本人は1人も入っていなかった。スペイン人の方が審査委員長で、他の委員はアメリカ、イタリア、イラン、オーストリア、韓国、キューバ、スウェーデン、トルコ、ベネズエラ、ロシアだったんですね。

これは、難しかろうなと。他の候補者の中には、すごく有名な方が多かったですし。なので、もう忘れようと思っていたのですが、発表日が近づいたら新聞記者さんから「発表があったころにお電話してもいいですか?」と言われて、「ごめんなさい、だめでした」って言うのはいやだなあと。いろんなことを言われるうちに、だんだんやきもきしてしまいました(笑)

−−イタリア・ボローニャで3月に開催されていた児童書の見本市「ボローニャ・ブックフェア」で受賞者の発表があったそうですが、受賞の第一報はどんなふうに飛び込んできたのでしょうか?

私は自宅にいたのですが、さすがに緊張して夕飯はおにぎり半分しか食べられず………。でも全然、電話がなくて。『獣の奏者』の担当者の方も現地に行っていたのですが、彼女は何パターンも私に送るメールを用意していたらしいです。発表が始まったら、よく裁判で長い判決文を先に読んで最後に判決を言うみたいに、受賞者名発表の前に、審査理由をずーっと述べていたそうです。でも、途中で「カルチュラルアンソロポロジー」(文化人類学)という言葉が出てきた。「もしかしたら?」と思っていたら、名前を呼ばれたそうです。彼女はスマホで、「おめでとうございます」という一文を送ってくれました。

あわてて私も電話を返して、「本当に私?」って聞いたのですが、彼女も「そ、そうだと思います」って(笑)。別の編集者の方からも「お名前が呼ばれましたと思います」って連絡がきて、やっと確信できました。でも、世界は狭いなあと思ったのは、電話の向こう側から歓声が聞こえてきたんです。発表で会場が盛り上がっているのを感じられたのがうれしかったです。会場で「上橋はどこにいるんだ?」と探していたみたいですけれど。受賞の可能性があるよって言ってくれてたら、ボローニャまで行っていたのに(笑)

−−授賞式は9月にメキシコであるそうですね。やはり、ノーベル賞みたいに燕尾服、ロングドレスの正装で授賞式に出席されるのでしょうか?

それが、うわさ話だとすごく気楽な会みたいです(笑)。フランクな感じらしく、驚かないでねと言われました。ウィキペディアでは「受賞者にはデンマーク女王から直接金メダルが授与される」とありますが、ガセのようです。でも、漫画みたいな話なのですが、女王陛下からはサイン本のご依頼があったので、悩みながら筆ペンでサインを書いていました。「Her majestyと書かないといけないの? 礼儀作法が心配」ってIBBYに問い合わせたら、「そんなに心配しなくていいですよ」と。やっと今は受賞のお祭り気分になりました。でも、まだ、今でも手賀沼(千葉県)のあたりに住んでいるタヌキにだまされている気がします。朝起きたら、私の頭の上に木の葉が乗ってたらどうしようって(笑)

−−なぜ手賀沼のタヌキなのですか?(笑)

私の勤めている川村学園女子大学のキャンパスは我孫子(千葉県)にあって、近くに手賀沼があるんです。車を運転していると、前を横切るものがあって犬かと思ったら、タヌキなんですよ。体が丸っこくて。

国際アンデルセン賞のパンフレット。一番新しい受賞者として上橋さんの写真が

■物心ついたときから、物語を書きたかった

−−タヌキのしわざではないと思います(笑)。あらためて、国際アンデルセン賞を受賞した上橋さんが、作家になられるまでのお話を深くお伺いしていきしたいと思います。物語を書きたいと思われたのは、いつごろからだったのでしょうか?

いつから、という記憶がないくらいから昔からだったんです。「物心ついた時から」というほかないという感じで、小さいころから呼吸するかのように物語がそばにありました。体が弱く生まれたものですから、父も母も寝床で物語をよく読んでくれましたし、父方の祖母は「口頭伝承」という、人が口から口へと伝えてきた物語の宝庫のような人でした。おばあちゃんの話は人も獣も石ころも、あまり差がないような話だったから、小さいころからそういうことが自然と頭の中にあった気がします。

−−その当時は、どのような物語がお好きでしたか?

お気に入りは色々ありました。『王さまの剣』(ウォルト・ディズニー、講談社)という絵本を覚えていますね。アーサー王の話で、伝説の剣エクスカリバーが刺さっていて、それを普通の男の子が抜いてしまうというシーンが忘れられなかったです。あとは、おばあちゃんに教えてもらった、猫に育てられた子どもの話とか……。

むかしむかし、あるところに、農家のお嫁さんが赤ちゃんを産んだけれども、忙しいので畑のうねのところに赤ちゃんを置いて野良仕事をしていた。ところがふっと目をやると、どうしたこと、赤ん坊がいない。村じゅうの者が探したけれど見つからなかった。何年も経った後、猟師が山に入ると、大きな猫がよちよち歩きの子どもを育てているではないか。『おのれ、化け猫め!』猟師は猫を撃ち殺してしまった。

『物語ること、生きること』(上橋菜穂子、構成・文=瀧晴巳、講談社)

それから、母方の祖母の田舎が長野県の野尻湖で、いとこたちが夏休みになると集まっていました。古い家なんですが、ある時、天井のところが開いていた。上に何かあるのかなあと見てみたら、屋根裏部屋があった。おじが昔、勉強部屋に使っていた場所でしたが、誰かが降りてくるのではないかと思って、すごく怖かった。でも、ある明るい日、大人たちがいなかった時に思い切って、はしごで上に登ってみたら、おじの机が残っていて、横に本棚があって、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』(岩波書店)があって、ほこりをふーふー払って、没頭して読んだのを覚えています。

−−最初に書いた物語の記憶はありますか?

小学校に上がるころでした。初めて自分で書けるようになった文字が、上橋の「う」でした。それから、ひらがなが書けるようになってから書いたのが、「たろうのだいぼうけん」でした。こう、ノートがありますよね。片方のページに「たろうのだいぼうけん」。もう片方のページに半ズボンの男の子の絵を描いて、終わりました(笑)。そんなことをやっていたのを思うと、本当に「物心ついた時から物語を書きたかった」というしかないですね。

■歴史の物語に感じていた「悲しさ」や「虚しさ」

−−中学生のころには数百冊以上もの本が本棚にあったとお伺いしています。どのような本を読まれていたのでしょうか?

中学高校になると、さまざまな本と出合っていきますが、一番大きな出合いは、ローズマリ・サトクリフの『第九軍団のワシ』(岩波書店)です。これは、ローマ軍団百人隊長だったマーカスが、行方不明になった父の汚名をそそぐため、ローマ軍の旗印だったワシを求めて過酷な旅をする物語。それからJ・R・R・トールキンの『指輪物語』(評論社)ですね。

−−ファンタジーを多く読まれていたのでしょうか?

ファンタジーだと意識したことはなかったです。それよりも多かったのは、歴史関係の本でした。小学生のころ、ハンス・バウマンが書いた『ハンニバルの象つかい』(岩波書店)という本を父に買ってもらって読みました。ハンニバルがローマを攻めるときに象でアルプスを越えたあのストーリーです。バルバラ・バルトス・ヘップナーの『コサック軍シベリアをゆく』(岩波書店)も、すごく面白くて大好きでした。野尻湖はナウマン象の化石が有名ですが、相沢忠洋さんの『岩宿の発見』(講談社)や、ハインリッヒ・シュリーマンの『古代への情熱』(新潮社)とか、遺跡発掘の物語に燃えたこともあったし。大きな流れとしての歴史にものすごく興味がありました。

興味とともに、なんとも言えない悲しさと虚しさをいつも歴史を読む時に感じていた。だからこそ、いつも歴史ものを読んでいた気がします。というのも、私は小さいところから、死ぬのが怖かった。今も怖いですけれども。その怖さの理由は二つあって、一つは愛している人たちから離れなければいけない別離の怖さ。もう一つはすべてが無になってしまう怖さ。ありとあらゆるものが消え去ることが、小さいころから怖くて怖くて仕方なかった。同時に、その虚しさを抱えてみんなどうして生きていられるのだろうかという気持ちにもなりました。自分がまだ気づいていない何かで、この虚しさが救われることがあるのかなと思ったりもしました。それを知りたい気持ちがどこかにあったから、すでに滅びたり、消え去ったりしてしまった物事の中で生きていた人の話を読むことに、興味があったのかもしれません。

−−物語がお好きで作品を書きたい方は、国文学専攻へ進むというイメージでしたが、大学では史学科へ入学されました。なぜ、国文学を選ばれなかったのでしょうか?

小説は好きなのですが、昔々から脈々と伝わってきた「物語」の良さを残しているようなものに心を惹かれますし、今まで自分が知らなかった未知の巨大な世界、「いま、ここ」の向こう側にある、私自身の枠を超えたところにあるものを知りたかった。そういうものを感じさせる物語を書きたかったのです。

文学や小説は人について深く描くことに力を注ぎますが、その一方で、「人の背景として」世界があり、主人公の存在がすごく大きいというイメージが私にはあるのです。だけど、私は先に世界が気になる。その世界の中に、大勢の人々、すれ違うことすらない人々がいて、たくさんの生きものもいて。もしかしたら、私が気づかないような微細なものもいたり、目に見えないものもいる。その中に、偶然生まれ落ちた人というものがいて、そういう人が歩いていく世界。その世界は過ぎ去ってしまった多くのものの果てにあって、その人もまた過ぎ去って、やがて膨大な時があるような、その中間点にいる私。そういうものを感じさせてくれる物語に心惹かれていました。

■自分の知らない世界に出合い、経験する学問、文化人類学

−−史学科では文化人類学を学ばれていますが、なぜそちらの道に進まれたのでしょうか?

ちょっと遡ると、文化人類学という言葉は知らなかったけれども、高校時代にサトクリフを読んでいたら、ケルトの若者とローマの若者が出会うわけです。文化も歴史もまったく違う。片方は先住民、片方は征服者。でも、一対一で出会っていくうちに、お互いを知ろうとする気持ちが生まれて、他者を見ることによって自分を客観視していく。そこをどきどきしながら読んでいました。

それから、『ゲド戦記』(岩波書店)を書いたアーシュラ・K・ル=グウィンのお父さんは有名な人類学者で、お母さんはシオドーラ・クローバーといって、『イシ―二つの世界に生きたインディアンの物語』(岩波書店)という、アメリカ先住民のヤヒ族最後の一人を描いた作家。『イシ』を読んだ時も、とても興味を覚えました。人は開拓者精神のことを格好良く「フロンティアスピリッツ」などといいますが、その影で先住民が追い詰められ、自分の言語が話せる最後の一人になってしまう、そんな経験がした人がいた。それも、決して遠い過去の話ではないことに、ゾクゾクする感覚を味わっていました。

文化人類学には、大学の史学科に入って初めて出合いました。それまで自分が知っていた世界史は、もちろんアジア史なんかも入っていたのですが、それでも集中して勉強していたのは西洋の歴史。歴史学として確立し、学問として学ぶ方法も西洋からくる。でも、その他の世界も広がっていて、私はそれについて何も知らないと思った。

文化人類学は、そういうものを知ることができる学問で、さらには本で読んだ知識だけではなくて、フィールドワークをして、自分自身で出合い、感じて、日々の生活をともにしながら、経験によって悟っていくものを大切にする学問。そこにすごく心惹かれました。私は自分を狭い世界に生きている子どもだと思っていたので、経験していくことに憧れたんです。そういうことでしか得られないことがあると思って。それで、文化人類学への道へ入っていきました。

−−文化人類学を学ぶ一方、初めて長編作品を仕上げたのも、学部生のころだったそうですが、作品も書き続けていらっしゃったのですか?

いっぱい書いていました(笑)。ただ、構想が壮大な割に、それをコントロールする力がなかった。私は浮かんで来るのがいつも場面なんです。スクリーンでも絵でもなく、すごく生々しい、現実のようなもの。匂いも風も手触りもあります。バルサの声も、私には聞こえる。そういうものがふっと浮かぶ。でも、浮かんでも物語として動かしていく力がなかった。

高校生の時、「天の槍」という物語を旺文社の文芸コンクール小説部門に応募して佳作を頂いたことがありました。一人の石器時代の若者が、獲物を倒すだけの話なんですけど、それを書けたのは、そのワンシーンだけを非常に詳しく描写できたからです。でも、当時は長編を動かすような力は全然なかった。だからこの間、親友に「菜穂子さ、あんた下手だったよね」って(笑)。「決してうまいとは思わなかった。途中までしか書けなかったりしたよね」と言われました。作家もどきの作品を書く高校生はいましたが、私はまったくできませんでした。でも、大学生になって、1000枚を超える長編を仕上げることができた。これは恥ずかしかったのでその親友と弟にしか読ませなかったけれど、うれしかったですね。

−−その時、出版社に売り込もうとは思われなかったのですか?

当時、どうやって作家になれるのかわかりませんでした。公募ガイドが初めて出てきた時代。公募を見たら、枚数が200枚とかそのぐらいで、1000枚の長編なんて誰が読んでくれるのかわからない。これは無理だろうなと思いました。

■アボリジニと出会い、物事がひっくり返る体験

−−大学院修士課程時代に書かれた540枚の物語が、初めて偕成社の編集者の方に見出され、27歳の時に『精霊の木』という作品で作家デビューを果たされました。ただ、一方で博士課程に進み、研究者として生きていく決意もされています。そして、オーストラリアの先住民アボリジニの研究の道に入られた。なぜ、作家としての人生だけでなく、文化人類学も志したのでしょうか?

物語を書きたいという気持ちは一番にありました。ただ、物語書く時に、よくある話が嫌だった。あのままだったら、よくあるストーリーを行ったり来たりするのではないかという恐怖があった。私なりの何かを見出したいと思って、フィールドへ出て行きました。そうすると、本当に頭の中で想定していたのとまるで違うことに出会っていくわけです。アボリジニと一緒に暮らしながら、ステレオタイプの物事がひっくり返っていく経験をしていくと、ステレオタイプを作っていきたくなる人間の習性も見えてくる。それも怖い話だなと思っていて………。先住民は特に、イメージを作られてしまう人たちですし、自分たちのイメージを意識せざるを得ない人たちでもある。そういうことをたくさん、経験しました。

−−先住民が自分たちのイメージを作らざるを得ないというのはマイノリティという立場に否応なく置かれているからでしょうか?

そうです。マジョリティは日々の生活の中で、「私はどのような人間であるか」といちいち考えなくても済む人たちではないかと思うんです。でも、マイノリティの人たちは、マジョリティの中にいると、「私はどういう存在なのか」を否応なく考えてしまう。そうすると、自分の輪郭を作っていく時って、差異が輪郭を形作っていきますから、その差異を考えるでしょうね。他者の視線からも考えさせられるし、自分自身も考える。それを常に作業としてやらざるを得ない人たちだなと。

日本人も海外にいるとそうなりますよね。聞かれることは、「日本だと、どうですか?」と、常に差異を意識させられる。私も意識させられる自分とともに、アボリジニと出会って、考えていくことはよくありました。自分という存在を形作っていくようなそれは、物語を作っていくようなもの。神話すら作っていってしまう。『精霊の守り人』でそんなことを意識していたわけではないけれども、先住民も為政者も歴史を物語化してしまい、それぞれの物語をお互いに創造するうちに、過去の歴史に対する認識が変わっていってしまうということをリアルに体験していたので、それが物語に滑り出てきてしまいました。

−−最初、アボリジニ研究がご専門だと知った時に、『守り人』シリーズにしても、『獣の奏者』シリーズにしても、作品にアボリジニのモチーフが出てこないことが不思議でした。

作品には絶対に出しません。先住民の研究をしている方ならおわかりなると思うのですが、彼らの文化は彼らの財産なんです。個人の著作権ではなくて、ある人々が共有する文化に対する権利、というような意識もあるのです。日本ではコピーライツ、著作権は個人のものという感覚ですが、本来、その文化自体が財産なので、誰が使用してよいかは、センシティブにならざるを得ません。

アボリジニの場合も、彼ら自身の文化は彼らのもので、経済的にも大事なもの。外から来た人間がそれを使ってお金を稼ぐことは、絶対にやってはならないことで、そういうことは、すごく気にしました。例えば、アボリジニでは、「ドリーミング」という生命の起源や天地創造を語る行為がありますが、「ドリーミング」は語ってよい人がいる。その人にそのドリーミングを語る権利があるかないかは、とても大事なことなんです。

ですから、自分の書く物語の中で、そのまま彼らの文化は絶対に使いません。ただ、例えば、『獣の奏者』の中で、エリンのお母さんは「本来だったらこの半族の男と結婚するはずだった」と書いていますが、半族がアボリジニしかなかったら書かなかった。でも、ある程度普遍性があるから書いていいかなと。そこまで気にしながら書いています。

■物語が頭に浮かぶ瞬間とは?

−−実際に物語を書かれる時は、どのように頭に浮かんでくるのでしょうか?

一番わかりやすい事例で話しますと、車を運転している時に、いきなり崖の上に立っている女性が浮かんできたりするのです。こういうふうに竪琴を弾いているんです。崖の下から吹き上がってくる風に髪の毛がふわあっと上がっているのが見える。こうやって一心に弾いている。何をしているんだろうなと思うと、峡谷があって崖の向こう側にたくさんの目があって、たくさんの獣がいて、それを眠らせようとしてるんだなとわかる。

でも、そこからどう考えても次のストーリーには行かないんです。だから、ほっぽる(笑)。でも、頭の片隅にはずーっとあるんでしょうね。何年も経ってから、今度はバーミヤンでお昼ご飯を食べながら養蜂家の人の本を読んでいたら、絞ったはちみつが真っ赤だったという話が出てきた。これは何のはちみつなのかと探してみたら、野ばらが咲いていたと。その時に「あれ? はちみつってなんだろう」と思った。花の蜜だと単純に思ってたけど、蜂の体を通るんだろうなって。

その瞬間、小さい女の子が「はちみつって何だろう」ってつぶやいている姿が浮かびまして。それに対して、「お前、おもしろいことを言うな」と話しているおっさんの姿が浮かんでくる。2人は親子ではない。それから、この女の子があの崖の上に立つ女性になるなと。それともうひとつ、その時に蜂のことが頭にあります。蜂は見事な統一性をもっている群れ社会です。それに対して人間も群れ社会なんだけど、人の社会と何が違うのだろうと考えました。

この3つが揃った時に「書ける」と思った。今度、書き始める時に浮かんでくるのは、小さな女の子が家の中で寝ていて、雨が降っている音が屋根にパタパタ当たる音がして、遠くに雷が鳴っている音がして。お母さん、早く帰ってこないかなあと待っていると、戸が開くんです。外の闇の方が、家の中より明るいことってありませんか? 外明かりでお母さんの輪郭が見えて、お母さんの影が入ってくるんですね。手を洗ってくる音が聞こえてきて、お母さんがお布団の脇に入ってくる。その時、甘くて変な匂いがしたんです。「あ、これはお母さんが今まで触っていた生きものの匂いなんだ」と思ったら、その瞬間に浮かんでくるのは、洞窟の中に水がたまっていて、お腹のこのあたりまで水に入っていて、何かの生きものに触っているお母さんの姿。お母さんが触っている生きものが、闘蛇(作中に登場する獣)なんです。そのとき、あ、お母さんはその獣の医術師なんだ、と、感じるんです。

−−今、まさに『獣の奏者』を読んでいるような気持ちになりました。その生々しいシーンが私も目に浮かんできます。

そういうふうに説明するしか方法がないんです(笑)。きっと、頭の中では同時進行でいくつかのことが動いているんですね。たとえば、崖の上にいる女性は私には悲しげに見えた。なぜ、対岸にいる獣を眠らせないといけないのか、そうか、あの獣は何かすごい破壊的な力を持っているんだなと。彼女は、一心にそれを鎮める人なんだなという悲しみが浮かんでくる。蜂の社会と人間の社会が違うと思った時にも、私の心の中には悲しみが浮かびました。でも、蜂の社会の不自由さも感じる。個というものが個としてありえない悲しさ。物語がそれに自然に沿っていくんでしょうね。

■物語の吸引力はジャンルや文化圏を超える

−−実は、『精霊の守り人』も『獣の奏者』も、児童文学というジャンルで語られることに違和感をずっと覚えていまして、個人的にはその枠を超えたもののように感じています。

すごく語弊があることで困るのですが、私は児童文学を愛しているんですよね。ただ、感覚としては、高校生のころにサトクリフもトールキンも大好きでしたが、児童文学だと思って読んでなかった。でも、後から知るとそれらは児童文学と分類されているもので、岩波少年文庫だったり、アーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』(岩波書店)だったり、フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』(岩波書店)だったり。そういうものがなぜかみんな子どもの文学だと言われる。なるほど、私が好きなものはそういうものなのかなと。

ただ、サトクリフやル=グウィンの物語などを、たとえば、「子どもにもわかりやすいように、やさしく噛み砕いた物語」というイメージで捉えると「ん?」となるわけです。私の場合は「児童文学」とか「ファンタジー」とか、レーベルの枠を最初に考えて、物語を書くのではなく、物語が先にあります。自分の心の中に生まれてきてしまって、語りたくてどうしようもない、広がっていくものに手綱をつけて走って行ってできあがるわけですが、その物語を子どもたちが喜んで読んでくれるのでれば、児童文学でも「はい」、大人の文学と言われれば、「はい」。誰が読んでも「はい」。うれしいことに、子どもから、上は80代までファンの方がいてくださって、講演会などでは、高校生大学生の男の子なんかも、講演会なんて来そうにない方たちが来てくださいます。と思えば、いい年のビジネスマンの方が恥ずかしそうにサイン会に並んでくださる。ありがたいことです。

物語って面白くて、子どものころに私が好きだった物語は、大人になってもやっぱり同じような吸引力を持ち続けるし、そういうものってきっと「子どもと大人」とか「日本と海外」というような壁をぶっ飛ばしてしまうんじゃないかなと。今回のアンデルセン賞で一番うれしかったのは、私自身が好きで好きで書いているこういう物語を、11カ国もの違う文化圏の審査員の方たちが読んで、同じように面白いところは面白いと思ってくださった。文化人類学をやっているとよく思うことがあって、人類は思っている以上に違うし、思っている以上に同じだったりする、それが今回の受賞に現れてきた感じがします。

これだけの審査員の方たちがああいう審査評を書くということが不思議です。多様なもののネットワークとしてこの世界をとらえているとか、自然に対する深い尊敬の念があるとか。そういうことで評価してくれるということが、この世界が単なるランドスケープではなくて、多様なもののネットワークだということが、彼らにとってもやっぱり面白いものなんだと。それがすごくうれしかったです。

■気になる次回作『鹿の王』とはどんな物語?

−−ファンとしては次回作にますます期待をしているところなのですが、次はどのような作品になるのでしょうか?

この3年間、私はすごいスランプに陥ってまして。大きなシリーズを2つ終えて、出しきった感じがあって、年も取って体調も悪くて疲れていたんですが、ある時、ウィルスに関する本を読んだんですね。これがめちゃめちゃ面白くて。面白いという感覚がそのころなかったというのが、スランプの一番大きかったことだったんですが、その本は面白かった。

読んでいるうちに、人間の体って森みたいだなと思ったんです。腸の中には「フローラ」(花畑)っていうぐらいに腸内細菌がたくさんいて、それが消化活動をたすけていたりするし、免疫活動にも大きく関わっている。考えてみると、私たちを作っている細胞の一つ一つの中にミトコンドリアがいて、これもまた、ミトコンドリアがいてくれなかったら、私たちは生きていられないし。そうかと思うと、ある時、私たちの身体は老化して、私たちを殺していくわけです。

私たちが体として感じている自分は何なんだろう。すごく多様なものが命として存在し、それらにとって私たちの体は世界であり、宇宙ですよね。そして、私たちはそのひとまとまりとして、この世界の中で生きている。それが面白いなと思って、『鹿の王』という物語を書きました。これは、ある病にかかったが生き延びた男――ウィルスが体に入ってしまって、変化してしまった男と、その病を治そうとする男――病の外側から病を見ている男の、ふたりが主人公なんです。病を生きる男と、病を診る男と、民族問題が大きく関わってくるタペストリーのような物語を書きました。9月に出版されます。

今、すでに書き上がっているんですが、この物語は医学と地衣類に大きく関わるんですね。トナカイや鹿が出てくるのですが、地衣類を食べることが大きなポイントになるんです。地衣類は菌類と藻類の共生体でして、そのあり方をしっかり知りたくて、国立科学博物館の研究者の方にご協力頂いて、それが出てくる描写の部分を監修して頂きました。

医学に関する描写も大量に出てきます。異世界の医学なのでいろんな制約はあるのですが、その描写にたとえば治療のシーンとか、いろんな薬を作るシーンとか、免疫活動に関することなどがあって、間違っていると大変なので、医者をしている従兄に何回にもわたって、免疫グロブリンについて教えてもらったり、確認したりしながら書きました(笑)。それから、国立民族学博物館の教授で、トナカイの放牧民について詳しい友人がいるので、トナカイの生態や遊牧民の生活にちょっとでも違和感がないかを聞きました。これらをもう一度反映させて、きれいにします。1000ページを超えているので自分でも読むのに2日間はかかりますが(笑)

−−新作、楽しみに待ちたいと思います! ありがとうございました。

【上橋菜穂子さん略歴】

作家・文化人類学者。1962年東京都生まれ。立教大学博士課程単位取得(文学博士)。川村学園女子大学特任教授。1989年に『精霊の木』でデビュー。『月の森に、カミよ眠れ』で日本児童文学者協会新人賞を受賞。全12巻からなる「守り人シリーズ」では、『精霊の守り人』で野間児童文芸賞新人賞・産経児童出版文化賞ニッポン放送賞、『闇の守り人』で日本児童文学者協会賞、前2作と『夢の守り人』で路傍の石文学賞、『神の守り人 来訪編・帰還編』で小学館児童出版文化賞を受賞。2002年に巌谷小波文芸賞受賞。『狐笛のかなた』で野間児童文芸賞を受賞。その他の代表作に『獣の奏者』シリーズなどがある。

「守り人シリーズ」は、これまでにアメリカ、イタリア、スペイン、ブラジル、フランス、中国、台湾で翻訳出版。『精霊の守り人』英語版はアメリカ図書館協会がすぐれた翻訳書におくるバチェルダー賞を受賞。『闇の守り人』英語版も同賞のオナー作品に選ばれた。『獣の奏者』は1、2巻がフランス、ドイツ、スウェーデン、タイ、韓国、台湾の6カ国で出版されている。

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