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中国・ロシアと陸続きの北朝鮮には、平壌に向けて2本の国際列車が通っている。1本は北京発、もう1本はモスクワ発だ。
このうち北京発の列車は、夕方に北京を出発し、翌日未明に瀋陽を経て、朝に国境の街・丹東に到着する。
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丹東の名物は、鴨緑江をはさんだ対岸の北朝鮮だ。朝鮮戦争(1950-53)のときに空爆で破壊された鉄橋「鴨緑江断橋」が観光名所になっている。橋の途切れた先端から北朝鮮側を望むと、動いていない観覧車のようなものが見える。
列車は、この橋の横に架かる鉄橋「中朝友誼橋」を渡っていく。
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丹東駅は、花束を持った人々でごった返していた。朝鮮族(中国在住で中国籍を持つ朝鮮民族)が、北朝鮮の親戚を訪ねる際に金日成主席や金正日総書記の銅像に捧げる花だという。
国際列車の発着場は2階にある。金属探知機のゲートをくぐり抜けて出国審査を済ます。出国審査官に北朝鮮のビザとパスポートを預かられた。
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ホームに出るとすでに列車が待っていた。緑色の客車は新義州止まり。白い客車は国際列車で、双方の車両は施錠され乗客が行き来することはできない。
丹東駅を午前10時に出発した列車は、平壌に着くのは午後7時(中国時間午後6時)。距離にして約200km。新幹線なら1時間かからない距離だが、約8時間かかる。
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乗客は車内の指定された席に荷物を置いたあと、いったん外に出るように言われる。係官が1人ずつ名前を呼んでパスポートを返し、再び車内に入れるようになる。
鉄橋を渡って北朝鮮側の街・新義州(シニジュ)に着くまで約10分。ここで入国手続きと荷物検査のため、約3時間停車する。新義州で緑色の客車は切り離され、新たに平壌行きの長い客車が連結される。緑色の車両は朝鮮人専用のようだ。
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外国人車両と朝鮮人車両の間には食堂車があり、新義州を出ると営業を始める。唯一のメニューの定食は、国内通貨で700ウォン、人民元で50元だった。ビール(ハイネケン)は20元。
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外国人車両と朝鮮人車両の間は施錠されている。新義州を出ると、平壌まで外国人車両から途中下車はできない。しばしば係官が見回りに来るが、外国人観光客が写真を撮りまくっていてもとがめる様子はない。
新義州と平壌を結ぶ「平義線」は農村地帯を延々と走っていく。平壌近郊を除き、ほとんどの区間は単線だ。かつては複線だったが線路を撤去した橋桁の跡が残っている。至る所で、線路を歩く人を見かける。
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やがて高い建物が多くなり、線路も複線になって首都・平壌に近づいたことを実感する。平壌駅はライトアップされており、並び立つビルは「朝鮮の心臓」というネオンとともに、心臓のオブジェが脈打っていた。
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