「全聾(ろう)の作曲家」と呼ばれてきた佐村河内守(さむらごうちまもる)さんが2月12日未明、直筆の謝罪文を公表した。謝罪文には、3年ほど前から聴力が回復し、耳のそばではっきり話してもらえば、人の言葉も聞き分けられるときがあると書かれていた。朝日新聞デジタルなどが報じた。
(佐村河内さんは)「三年前くらいから、耳元で、はっきり、ゆっくりしゃべってもらうと、こもってゆがむ感じはありますが言葉が聞き取れる時もあるまでに回復していました」として、約3年前から聴力が回復していたことを告白した。
代理人弁護士によると、佐村河内さんは、聴覚障害2級の障害者手帳を取得している。謝罪文では、3年前くらいまでは聞こえていなかったことは真実だと述べた上で、「専門家によるきちんとした検査を受けてもいいです。その結果二級ではないと判定されたのなら手帳は必ずお返しいたします」としている。
(朝日新聞デジタル「佐村河内氏「3年前から聞き取れるときも」 謝罪文公表」より 2014/02/12 03:14)
佐村河内さんは自身の作曲活動について2月5日、十数年前から別の人物に作曲を頼むようになったと発表。翌日6日、大学講師の新垣隆(にいがき・たかし)さんが「私がゴーストライター」と告白していた。その際、新垣さんは佐村河内さんについて「耳が聞こえないと感じたことはない」と話していた。
しかし佐村河内さんは、自伝で「35歳のとき、私は全聾になった」としており、2月4日にも「全く聞こえない」と話していたという。佐村河内さんは謝罪文の中で、「最初から聞こえていたのではないか」と弁護士に質問されたことにも触れ、3年前くらいまでは聞こえていなかったことは真実と釈明している。
実は最近になって、前よりは、少し耳が聞こえるようになっています。三年前くらいから、耳元で、はっきり、ゆっくりしゃべってもらうと、こもってゆがむ感じはありますが言葉が聞き取れる時もあるまでに回復していました。但し、それはかなり体調に左右されるので、体調が悪い時は耳元ではっきりゆっくり話してもらっても聞き取れないこともあります。しかし2月4日に初めて弁護士さんに会った時は、今も全く聞こえないと言ってしまいました。
私としては、新垣さんに作曲してもらったことがバレることによって起きることで頭がいっぱいで、耳のことも聞かれたのですが、怖くて本当のことを言えませんでした。音楽的経歴のこともそうですが、他の噓のことを話すと、引き受けてもらえないと思ったのです。(中略)
2月9日になって、耳のそばではっきり話してもらえば人の言葉も聞き分けられる時があることを告白しました。そうすると、弁護士さんからは、最初から聞こえていたのではないかとも質問されましたが、それだけはちがいます。全然聞こえなくなって聴覚障害の認定を受けていたことと、3年前くらいまでは、聞こえていなかったことは、真実です。
(朝日新聞デジタル「佐村河内守さんの謝罪文(全文)」より 2014/02/12 03:19)
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