天皇陛下の80歳の傘寿(さんじゅ)の誕生日を祝う一般参賀が12月23日、皇居で行われた。陛下は東日本大震災や伊豆大島の台風被害などに触れ、「被災者のことを思いつつ、国民皆の幸せを願って過ごしていくつもりです」とあいさつされた。47NEWSなどが伝えた。
この日1日、陛下は安倍晋三首相らによる祝宴や、各国の大使を招いた茶会など、夜まで多くの祝賀行事に出席される。
陛下は午前中に計3回、皇后さまや皇太子ご夫妻らとともに宮殿・長和殿のベランダに立ち、集まった人たちに、にこやかに手を振った。昨年より1800人多い2万3750人が訪れたという。
陛下は冒頭「80歳を迎え、皆さんの祝意を受けることに深く感謝します」と集まった人たちに謝意を伝えた上で「今年は大きな台風が(伊豆)大島を襲い、また少なからぬ地方が風水害の被害に苦しみました」と各地の被災者を気遣った。
(47NEWS 「天皇陛下80歳で皇居一般参賀 『被災者思い、幸せ願う』」2013/12/23 11:43)
23日は夜まで祝賀行事が続く。午前中には、宮殿で皇太子ご夫妻を始めとする皇族方や、宮内庁職員らからの祝賀をお受けになった。午後には安倍晋三首相ら三権の長らによる祝宴、各国の大使を招いた茶会などが祝賀行事が続き、ゆっくり過ごされる間もないようだ。
天皇陛下お誕生日行事一覧 平成25年12月23日(月)
午前 9:00 御代拝 天長祭の儀
同 9:30 両陛下 祝賀及びお祝酒 侍従長始め侍従職職員
同 10:00 天皇陛下 祝賀 長官始め課長相当以上の者,参与及び御用掛
同 10:05 皇后陛下 祝賀 長官,次長(職員総代),参与
同 10:20 両陛下お始め 一般参賀
同 10:30 天皇陛下 祝賀の儀 皇太子同妃お始め皇族各殿下
同 10:30 皇后陛下 祝賀 皇太子同妃お始め皇族各殿下
同 10:40 両陛下 お祝酒 皇太子同妃お始め皇族各殿下,元皇族,御親族
同 11:00 両陛下お始め 一般参賀
同 11:05 天皇陛下 祝賀 宮内庁職員及び皇宮警察本部職員
同 11:30 天皇陛下 祝賀 旧奉仕者会会員(元宮内庁職員及び元皇宮警察本部職員)
同 11:40 両陛下お始め 一般参賀
同 11:50 天皇陛下 祝賀 堂上会総代(3名)
午後 0:55 天皇陛下 祝賀の儀 内閣総理大臣,衆・参両院議長,最高裁判所長官
同 1:00 両陛下お始め 宴会の儀 内閣総理大臣等
同 3:00 両陛下お始め 茶会の儀 各国の外交使節団の長及びその配偶者
同 3:30 両陛下 茶会 元参与,松栄会会員,元側近奉仕者,元御用掛
同 4:40 両陛下 茶会 御進講者等御関係者
同 6:00 両陛下 祝賀 愛子内親王殿下,佳子内親王殿下,悠仁親王殿下
同 6:30 両陛下 お祝御膳 皇太子同妃両殿下 秋篠宮同妃両殿下 黒田様御夫妻
(宮内庁「天皇陛下お誕生日に際し(平成25年)」)
傘寿を迎えられた陛下。MSN産経ニュースによると、記録が確かな推古天皇以降では、在位中に傘寿を迎えたのは昭和天皇だけという。
宮内庁によると、記録が確かな推古天皇以降では、在位中に傘寿を迎えたのは昭和天皇だけ。陛下は後水尾(ごみずのお)天皇(第108代)に次いで、長寿歴代3位の陽成(ようぜい)天皇(第57代)と並ばれる。
(MSN産経ニュース 「『国民と共に』強いご意志 科学者としてのご意欲も衰えず」 2013/12/23 07:00)
■天皇陛下、記者会見全文
誕生日を迎えられるのに先立ち、陛下は皇居・宮殿で記者会見をし、80年の道のりを振り返り最も印象に残っていることとして「先の戦争」を挙げられ「夢を持って生きていた多くの人々が若くして命を失ったことを思うと本当に痛ましい限りです」などと述べられた。
「天皇という立場は孤独とも思えるもの」と明かされた陛下は、皇后さまとの結婚を「私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」と振り返り、「皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」と語った。
天皇陛下の80歳の誕生日にあたっての記者会見全文は次の通り。
――問1 陛下は傘寿を迎えられ、平成の時代になってまもなく四半世紀が刻まれます。昭和の時代から平成のいままでを顧みると、戦争とその後の復興、多くの災害や厳しい経済情勢などがあり、陛下ご自身の2度の大きな手術もありました。80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事や、傘寿を迎えられたご感想、そしてこれからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせ下さい。
天皇陛下
80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を,守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人との絆(きずな)を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています。
傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地で様々に我が国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。既に80年の人生を歩み、これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが、年齢による制約を受け入れつつ、できる限り役割を果たしていきたいと思っています。
80年にわたる私の人生には、昭和天皇を始めとし、多くの人々とのつながりや出会いがあり、直接間接に、様々な教えを受けました。宮内庁、皇宮警察という組織の世話にもなり、大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝しています。
天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。
これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います。
――問2 両陛下が長年続けられてきた「こどもの日」と「敬老の日」にちなむ施設訪問について、来年を最後に若い世代に譲られると宮内庁から発表がありました。こうした公務の引き継ぎは、天皇陛下と皇太子さまや秋篠宮さまとの定期的な話し合いも踏まえて検討されていることと思います。現在のご体調と、こうした公務の引き継ぎについてどのようにお考えかお聞かせ下さい。
天皇陛下
「こどもの日」と「敬老の日」にちなんで、平成4年から毎年、子どもや老人の施設を訪問してきましたが、再来年からこの施設訪問を若い世代に譲ることにしました。始めた当時は2人とも50代でしたが、再来年になると、皇后も私も80代になります。子どもとは余りに年齢差ができてしまいましたし、老人とはほぼ同年配になります。再来年になると皇太子は50代半ばになり、私どもがこの施設訪問を始めた年代に近くなります。したがって再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。この引継ぎは体調とは関係ありません。
負担の軽減に関する引継ぎについては、昨年の記者会見でお話ししたように、今のところしばらくはこのままでいきたいと思っています。
――問3 今年は五輪招致活動をめぐる動きなど皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが、陛下は皇室の立場と活動について,どのようにお考えかお聞かせ下さい。
天皇陛下
日本国憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と規定されています。この条項を遵守することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています。
しかし、質問にあった五輪招致活動のように、主旨がはっきりうたってあればともかく、問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。今度の場合、参与も宮内庁長官始め関係者も、この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていくつもりです。
関連質問
――問 質問させていただきます。先日,陛下は皇后さまとインドを訪問され,日印の友好親善を更に深められました。53年ぶりとなったインド公式訪問の御感想をお聞かせ願うとともに,国際友好親善に際して陛下が心掛けていらっしゃることについても併せてお聞かせ下さい。
天皇陛下
この度のインドの訪問は、インドとの国交60周年という節目の年に当たっておりましてインドを訪問したわけです。
インドを初めて訪問しましたのは当時のプラサド大統領が日本を国賓として訪問されたことに対する答訪として、昭和天皇の名代として訪問したわけです。当時は、まだ国事行為の臨時代行に関する法律のない時代でしたから、私が天皇の名代として行くことになったわけです。
当時のことを思い起こしますと、まだインドが独立して間もない頃、プラサド大統領は初代の大統領でしたし、これからの国造りに励んでいるところだったと思います。ラダクリシュナン副大統領は後に大統領になられました。それからネルー首相と、世界的に思想家としても知られた人たちでしたし、その時のインドの訪問は振り返っても意義あるものだったと思います。
そして、私にはそれまでヨーロッパと中国の歴史などは割合に本を読んだりしていましたが,その間に横たわる地域の歴史というものは本も少なく、余り知られないことが多かったわけです。この訪問によって両地域の中間に当たる国々の歴史を知る機会に恵まれたと思います。
今度のインドの訪問は、前の訪問の経験がありますので、ある程度、インドに対しては知識を持っていましたが、一方で、日本への関心など非常に関心や交流が深くなっているということを感じました。
ネルー大学での日本語のディスカッションなど日本語だけで非常に立派なディスカッションだったように思います。また、公園で会ったインドの少年が、地域の環境問題を一生懸命に考えている姿も心に残るものでした。
そういう面で、これからインドとの交流、また、インドそのものの発展というものに大きな期待が持たれるのではないかという感じを受けた旅でした。
(宮内庁「天皇陛下お誕生日に際し(平成25年)」)