選挙前になると盛んに報道される「争点」。ともすれば、テレビや新聞各社の「世論調査」で浮かび上がる有権者の関心とは重ならないことがある。こうしたズレはなぜ生じるのか。また、私たちは「世論調査」をどう活用できるのか。政治学者、東京大学先端科学技術研究センターの菅原琢准教授に聞いた。
■選挙の「争点」は誰が決めるのか?
――2012年12月の総選挙では、「争点」とされた「反原発」「脱原発」あるいは「エネルギー政策」が、あまり有権者の投票行動に影響しなかったように思えます。総選挙直後に行われた朝日新聞による世論調査でも、「原発などエネルギー問題」より「景気や雇用」や「消費税や社会保障」への関心が高かったという結果が出ています。マスメディアが報道する「争点」や政党が広報する「重視する政策」と、世論調査とのズレはどうして起こるのでしょうか?
菅原准教授(以下、菅原):「争点」と呼ばれているものは、メディアが政界の中でわきあがってくるものを抽出したり、願望を投影してぶち上げるものという印象です。有権者とはあまり関係なく、メディアが作っていると言ったら言い過ぎでしょうか。そもそも、いろいろな考え、立場の有権者がいて、さまざまな要素を勘案して投票先を決めているのに、ひとつの政策、論点で投票が行われるという想定で「争点」を決めよう、見つけようとしているのは変ですよね。
ただしこれは、単純にメディアが悪いという問題でもないでしょう。社会に問題や論争があり、それが政党間の議論や対立を通じて可視化されてくるようなものが争点なのだと思います。ところが、現代の日本では政党のカラーが明確でなく、政策的な対立も明確になりにくい構造となっています。政党が有権者のいろいろな立場や問題関心を代表しておらず、主に政治家の選挙の都合で結成されていることが、この問題の背景にあります。有権者から見れば、どの党が自分の味方をしてくれるのかがわからないのです。
こういう状況であるために、メディアは政党に代わって争点を探し、打ち出す役割を担っているのかもしれません。しかし、そのメディアも争点をうまく抽出できているようには見えません。そのことは世論調査にも示されています。
『Journalism』2011年1月号の拙稿「スケープゴート化する世論調査」でも指摘しましたが、メディア世論調査ではそのときそのときに起きた事件に引きずられ、有権者が大して興味関心を抱いていないような質問を繰り返しています。典型的な例としては、小沢一郎氏に関する質問で、起訴されたことをどう思うか、氏が説明責任を果たしているかといった、国の政策やわれわれの生活とは一切関係ない、一部政局マニアくらいしか気にしないような質問を延々と採用していました。
一方、有権者が関心を抱き、選挙の際に重視するのは、経済政策や景気、年金など社会保障です。これは印象論でなくメディアの世論調査でこのような結果が出ています。しかし、これらに対する評価や方向性に関する質問はまったく多くありませんでした。
それで、もっとこうした論点を世論調査で聞くべきではと記者の方に言ったことがあるのですが、景気などが上位に来るのは当たり前で面白くないといった反応でした。でも今やアベノミクスで経済や景気の問題が政治の中心に来ていますよね。言い換えると、世論調査を行う側の人たちが世論を捉えられていなかったわけです。
■「世論調査」の質問に自分も答えてみる
――もし、有権者が世論調査を活用するとしたら、どういうことが考えられますか?
菅原:世論調査は自分以外の他の人の意見の分布を知らせてくれるものです。しかし、それに価値を見出せるかは人それぞれでしょう。自分自身は、世論調査に表出するような他人の意見を気にする必要はないと考えています。自分の意見がたとえ少数意見だったとしても。
中には、自分の意見が少数派だった世論調査結果を捉えて、マスコミの偏向だ、陰謀だ、捏造だと声を上げる方もいらっしゃいます。でも、誰も世論調査に従って意見を決めているわけではないので、世論調査を攻撃て味方が増えるわけではないでしょう。そんなことをするより、その結果に受け入れたうえで、他人を説得していけばよいのではと感じます。
多くの人におすすめしたいのは、世論調査の質問に実際に答えてみるということです。そのとき、何が問題とされているのかわかりますし、それに対してまったく自分の意見が準備できていないことなどが自覚できます。それでも何かしら答えていくと、自分の考えも徐々に明確になっていくかもしれません。政治の理解度、政策に対する自分の立ち位置に気づくきっかけとして使うのはよいのではないでしょうか。
でもときには、「なぜこんなことを質問するんだろう」という疑問がより強くなるでしょう。もっと大事な問題があるだろうと考えるわけです。この場合は、政界やメディアと自身との距離を認識することにつながります。もっと自分が重視する問題を取り上げてくれと、政治やメディアに訴えてもよいのではないでしょうか。
ネットでは、多くのメディアが自社の世論調査の質問を公開していますから、各社を比較して眺めてみてもよいでしょう。そうすると、たとえば同じ問題を違った質問で聞いていたり、結果も大きく違ったりするのを見つけることができるでしょう。
私が世論調査について話題にするとき、よくそういう例を挙げたりしています。たとえば内閣改造後に読売新聞や日経新聞で内閣支持率が急上昇したのに朝日新聞などではあまり変化がなかったり(『世論の曲解―なぜ自民党は大敗したのか』)、同じ日の調査なのに消費税率引き上げについて朝日新聞は賛成49%、読売新聞は必要66%となっていたり(「世論調査の楽しみ方『東京人』2010年9月号)、維新の会に投票する人の割合が朝日新聞の近畿地方調査で5%、毎日新聞全国調査で28%だったり(「世論調査政治と「橋下現象」―報道が見誤る維新の会と国政の距離」『Journalism』2012年7月号)、消費税引き上げ法案について64%の人が当時の国会会期中に修正して成立するのが望ましいと読売新聞調査で答えているかと思えば、会期中に成立させるべきだとする人が朝日新聞では17%しかいなかったり(「増税法案の「世論」が矛盾する理由」『Voice』2012年8月号)、という感じです。
それぞれの文献の中で解説していますが、こうした数字の違いは質問文や選択肢の違いなどから発生しています。こうした質問に、自分だったらどう答えるか考えてみるのは面白いかもしれません。
■「正しい質問」と「誤った質問」の違いとは
ただ、ときどき、こうした質問文の違いを捉えて、「誘導質問による世論操作だ!」と非難する人もいます。たとえば東京人で紹介した消費税の質問では、朝日新聞は「消費税の引き上げに賛成ですか。反対ですか」と聞き、読売新聞は「財政再建や、社会保障制度を維持するために、消費税率の引き上げが必要だと思いますか、そうは思いませんか」というように増税の目的、用途を提示しています。こうしてみると、読売新聞は財政再建や社会保障といったものをちらつかせて、消費税増税を許容する世論なるものを作っているように見えるかもしれません。でも、この読売の調査で必要と答えた多くの人たちは、「誘導」されたのでしょうか?あるいは、目的も何も挙げずただ単純に賛否を聞いた朝日新聞は正しい質問を採用しており、「正確な世論」を提示したのでしょうか?
政策というのはそれが提示された理由や条件などが背後にあり、文脈があるものです。一方、多数の人は個々の政策について日ごろ理解し判断しているわけではありません。消費税引き上げは社会保障費の増加により日本の財政が悪化して検討されてきたわけですから、こうした前提を意識していない人に意識してもらって回答してもらおうというのは理解できます。逆に、何の前提も置かずに質問することは、そういった情報を与えないという意味で誘導と捉えられるかもしれません。
私の考えでは、これが正しい質問でこれが誤った質問だ、というようなものはありません。情報を提供するということが誘導ならすべての質問が誘導であり、消費税に関する質問を世論調査に入れること、世論調査を行うこと自体が誘導じゃないでしょうか。
それより、先の大きく異なる数字を提示した質問はいずれも正しい質問、正しい回答の分布だと理解したほうが、有権者の政治意識を理解するのには有効ではないでしょうか。回答分布が質問の仕方で大きく変わるのは、それだけわれわれの意見が固まっておらず、聞き方や与えられる情報によって回答が変わりうるということを意味します。実際に回答してみると、こっちだと肯定的に答えるけどこっちだと否定的に答えそうだなと感じることがあるでしょう。でもそれがわれわれです。だから、どちらの質問も間違いというわけではない。みんながよくわかっていない問題、難しい政策に関する質問ほど、質問等の差によるこうした回答分布のブレは大きくなるでしょう。
個人的には、先の読売新聞の消費税の質問は、財政再建など目的への意見と、消費税という手段への意見が混ざっていて、分析には用いにくいなという認識もあります。でも、こういう聞き方で見えてくるわれわれの政治意識もあるわけです。
そのうえで、より大きな問題は、こうした世論調査の手法や質問文ではないと考えています。よりわれわれが批判的に見るべきは、報道の仕方です。たとえば先に挙げた維新の会の投票予定割合の例では、小さい数字であれば小さく報道し、大きな数字だった場合には幹部に取材したり、社説に用いたりと、大きな扱いとなっていました。意図しているかどうかはともかく、結果的に「橋下現象」を自ら作ろうと頑張っていたわけです。
さきほど述べたように、われわれの意見、世論調査の数字にはブレがあり、固まっていないのに、まるで意見が固まっているかのように捉え、報道することは多いです。さらにこれを利用して、このように選択肢を作ればこっちの数字が大きくなって報道しやすくなるだろうといった悪用もあるでしょう。でも、そうした例も、質問と回答を確認し、可能であれば他社と比較していけばだいたいわかるわけです。
■東京都議選の世論調査からみえるもの
――マスメディアの世論調査で、何か気になる課題はありますか?
菅原:いくつかありますが、今度の参院選にも関連することでひとつ紹介しておきたい数字があります。参院選前の東京都議選(6月23日投開票)では、各メディアが選挙前に世論調査を行っていました。その中で6月15-16日に読売新聞が行った調査で、自民党の候補者に投票すると答えた人が38%にも上っていました(都議選「自民に投票」38%…民主、第3極苦戦)。質問文は「今回の都議選では、どの政党、あるいは、政治団体の候補者に投票しようと思いますか。次の中から、1つだけ選んで下さい。」です。
ところが、この間、ハフィントン・ポストにも転載された自分の分析でも述べたように、自民党の絶対得票率(有権者に占める自民党投票者の割合)は15.4%に過ぎませんでした。この分析中に呟いたように、東京都の有権者を母集団として歪みなく抽出しているなら、38%ではなく15.4%以下の数字になる可能性が高いでしょう。一方、朝日新聞では「投票先を決めたと答えた人に「どの政党の人か」と聞き、決めていない人には「もし今日投票するなら」と2段階で聞いた数字の合計」で22%となっていました(都議選「自民に投票」22% 朝日新聞世論調査 )。やはり絶対得票率に比較して大きな数字ではありますが、読売新聞のこの数字はちょっと大きすぎるように思います。相対得票率36.0%よりも大きいからです。
他社の世論調査と選挙結果の数字との比較で、何らかの失敗していることは確かですが、なぜこのように著しく大きな数字が出たのかは今のところわかりません。紙面で質問等を確認してみましたが、選択肢を提示する方式で、その中に「棄権する」が含まれていなかったことがひとつの要因ではあると思います。しかし、他党の数字は相対得票率を大きく下回っています。
ただ、このように極端でないにしても、世論調査と選挙結果とはズレることがあります。現在の参院選の情勢報道では、自民党が圧勝することになっていますが、たとえば投票率が予測よりも高くなれば、大きく結果が変わってくる可能性もあります。1998年参院選では、投票率が都市部を中心に大幅に上昇し、予測では堅調だった自民党が、3人区以上で1議席も獲得できず大敗しました。このときは、投票時間が20時までになったり、不在者投票要件が緩和されたことが投票率を押し上げたと考えられます。
このように予測しきれない要素、条件が出現すれば、選挙情勢と結果は大きくかい離することになります。時間のズレもあるため、世論調査による予測には限界は当然あるのです。読者の中には、自民党が圧勝しそうでつまらないから選挙に行かないといった人もいるかもしれませんが、蓋を開けてみるまではわからないので、選挙情勢調査を言い訳にせず、投票に行ってみるのもよいのではないでしょうか。
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◆菅原琢(すがわら・たく)
1976年生まれ。東京大学法学部卒。同大学院法学政治学研究科修士課程、博士課程修了、博士(法学)。東京大学先端科学技術研究センター特任准教授を経て現職。専門は政治過程論、日本政治。著書に『世論の曲解』(2009年、光文社新書)、『「政治主導」の教訓』(共著、2012年、勁草書房)、『日本の難題をかたづけよう』(共著、2012年、光文社新書)、『平成史』(共著、2012年、河出ブックス)などがある。2013年5月現在、朝日新聞論壇委員(政治担当)、PHP研究所『Voice』政治時評担当。