憲法9条を改正すべきかーー。
安倍晋三首相が憲法9条改正に言及したという記事を、ハフポストに掲載したところ、18日13時の時点で、52件のコメントをいただきました。
このうち、憲法9条の改正に賛成とコメントした方が18人、改正には反対としたかたが7人いらっしゃいました。
賛成とする意見には、大きく分けて2つありました。1つは「自衛隊を軍隊として認めるべき」とする意見。もう1つは「集団的自衛権の行使または集団安全保障の必要性」からの意見です。
■「自衛隊を軍隊として認めるべき」という意見について
現在自衛隊は、軍隊と認められていません。憲法9条の第2項で「戦力」の保持を禁止しているからです。しかし、自衛隊の存在は違憲とはされていません。これは、日本は独立国である以上、主権国家としての我が国固有の自衛権を否定するものではないという解釈が成り立つからとされるためです。これらの理由から、自衛隊は、「軍隊ではないけれども自衛のための必要最小限の組織」という存在です。
この点を指摘したコメントが寄せられました。
解釈によってこじつけられている自衛隊員が、日本を背負ってくれている。
憲法に日本軍を明文化して、もっと堂々と自国を防衛していただきたい。
自衛隊の存在も違憲となりそうな条文のまま解釈によってその活動を拡げてきたが、このままではどこまで解釈を拡げるのか、周辺国への脅威になりかねない。
これに対して、軍隊は必要ないという意見がありました。
軍隊など持たなくても、近隣諸国との平和を維持し、世界の平和に貢献することはいくらでもできるはずですし、むしろ軍隊を持たない方がうまくできるでしょう。9条を変えて軍隊を持っていったい何をしたいというのでしょうか?
軍隊とした場合、少子化の進む日本で安全保障が確保できるのかという指摘もありました。
また、国防軍にし戦争への道を開くと、国防軍への志願者は減るだろう。現在でも自衛隊は定数を満たしていない。少子化はますます進む。ではどうやって国防軍の人員を満たすか。それが「徴兵制」であることは明白である。
国内では軍隊ではないとされる自衛隊ですが、海外からは既に、自衛隊は軍隊とみなされているようです。1990年10月18日の衆議院本会議で、当時の外務大臣であった中山太郎氏は、下記のように話しています。
「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の厳しい制約を課せられております。通常の観念で考えられます軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として取り扱われておりまして、自衛官は軍隊の構成員に該当いたします。」
国際法上は軍隊として扱われるという点は、9条改正に賛成とされた2つ目の理由、「集団的自衛権の行使または集団安全保障の必要性」とも関わります。
■集団的自衛権の行使または集団安全保障への参加の必要性
集団的自衛権とは、同盟国が攻撃されるなどした場合に、自国の安全保障上不可欠な国の求めに応じて共同軍事行動を取ること。集団安全保障とは、地球規模の皆のために武力を行使することです。
教室の例で例えると、友達のAさんがBさんに殴られそうになったから、あなたがBさんを守るというのは集団的自衛権。これをAさんとBさんだけの問題だとせずに、クラス全体の問題だとして解決を図るのが集団安全保障という考え方です。
これまで政府は、日本は主権国家である以上、国際法上は集団的自衛権や集団安全保障への参加の権利を有してはいるが、憲法9条下においては、日本が直接攻撃されていないにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは許されないとしてきました。
この点を改正したほうが良いのではないかというのが、9条改正に賛成するかたたちの2つ目の理由です。
今現在でも、自衛官達は危険な任務についています。
例えば平和維持活動PKOにおいても、自らの武器使用の制約が多く、他国の軍に守られながらの活動をしていたり、襲撃があった際にも、一刻を争う状態の中、武器使用に照らしいちいち考えて行動しなくてはいけなかったり、色々な規定が他国の軍に比べて多く、それが、手かせ足かせとなっています。その中で命をかけて任務についています。
どう考えても今のままでの憲法、法律での、国防、防衛、国際貢献には無理があり、現場の自衛官にも負担を強いていると思います。
足りないところだらけで、それを補うには、まずは憲法に明記する事が第一、その次に、細かい部分を法律で決めればいいと思います。
制約の部分を明確に書くべきとの意見もありました。
私は制約された自衛権を認めた上で《制約》の部分を明確に書き込むべきだと考える。例えば
「国防軍の海外派遣は法律の定める人道的平和維持活動に限定され、国際連合による要請並びに国会の事前承認を必要とする」
このような条文であれば、イラク戦争のようなケースの場合、日本は国防軍(自衛隊)を海外に派遣できない。
解釈改憲は危険すぎる。平和主義を徹底する為にこそ9条に改正が必要だと考える。
いっぽう、集団的自衛権の行使、集団安全保障への参加に反対する意見もあります。
その点(集団的自衛権の行使)をもっと前面に押し出して民意を問わねば、国民を欺くことになる。
集団的自衛権は、イラク派兵に代表されるように、理屈をつけて他国の地で人を傷つけることになるので私は反対。
アメリカが地球の反対側のイラクで戦争する口実も、大量破壊兵器を開発保持する(実際はなかったけど)フセイン政権からの自衛だったわけで、
この改正案だと、実は某同盟国の利害に過ぎない目的の為に地球の裏側みたいなところで戦争する事だって、国防軍の仕事ってなりますよね。
また、自衛隊の方たちの考えが聞きたいという意見も出ています。
改憲について、現役の自衛官とそのご家族はどのように考えているのでしょうか。
仮に改憲がなされた時に、戦地に赴くのは彼等です。
確かに、中国の軍拡や北朝鮮の核開発といった問題がある中で、現行の憲法では問題があるかもしれません。
しかし、兵役がなく自国防衛の精神が強いとは言い難い私たち一般市民が、彼等のこれからの待遇を決めるということに、もう少し慎重に考える必要があるようにおもいます。
集団的自衛権については、14日にハフポスト日本版で掲載した「集団的自衛権「現行憲法でも行使可能」自民党・石破茂幹事長が討論番組で発言【争点:憲法改正】」という記事でも取り上げましたが、こちらにも下記のようなコメントが上がっていますので合わせて紹介します。
集団自衛権については、憲法に直接的な集団自衛権を禁じる記述がないのですから、憲法で規程する範囲外と捉え、禁じられてはいないと解釈すべきです。
法律を拡大解釈することで禁止する範囲を広げることは、法律の恣意的運用となるもので、厳に慎まねばなりません。
集団的自衛権が憲法の条文に直接記述されていないことを理由に禁じていないと解釈するならば、それ以前に戦力不所持の記述があるにもかかわらず戦力を持っていることを否定しなれなければなりません。
解釈論で禁止範囲を広げるべきではないという意見には賛同しますが、集団的自衛権に関する解釈は説得力が弱いと思います。
集団的自衛権を考える場合には、同盟国との協力のあり方も考えたほうが良いのではないかという意見も出ていました。こちらも2つの記事からコメントを紹介します。
日米安保条約をどうするか、ということまで語らないと、
本当は正しい議論にならないように思います。
米軍の庇護のもとにあって、国防軍、と言うのと
米軍キャンプをすべて日本から撤退させたうえでの、国防軍、と言うのとでは
全く意味が異なります。
本当に9条を改正して、国防軍を作りたいのなら、
日本はアメリカの軍事的庇護から脱します、くらい言わないと、
本当の意味での改正にはならないでしょう。
恐らく、今回、集団安全保障体制の必要性が唱えられている背景には、中国の東シナ海や南沙諸島への進出という問題があると思います。
対象となる国は、フィリピンでしょうが、このような方法では、中国に対抗するには不十分です。
中国側は、「ほら、言ったとおりでしょう。日本が、軍事力を増強するのは、中国封じ込め政策という時代遅れの考え方を実行するためです」と反論するでしょう。
実際、仮にフィリピンと軍事協力を行ったとしても、日本の軍事力では中国の調査船や護衛船、それに無人航空機が、フィリピンの領海を侵犯するのを防ぐことはできません。
相変わらず、尖閣列島の領海にも侵入したり、国際海洋法で認められる交通権を主張して、軍艦が領海を侵犯するでしょう。
このような中国の「海洋覇権」に対抗するには、圧力を受けている全ての国が協力し合うことが重要になります。
フィリピンだけなら、古臭い「封じ込め政策」ですし、韓国とともに日本の軍事大国化を批判することもできます。
集団安保よりはるかに有効な手段は、まず、韓国を中立化し、次いで、西側による圧力という批判を無効にする方法を用いることです。
それがベトナムとの政策協力だったのです。
ベトナムが中国の威嚇に屈服しないように、助け合えれば、中国側は、深刻な問題を抱え込むことになったのです。
なぜなら、西側の圧力ではなく、共産圏の同盟国が中国を批判し始めるからだからです。
実際、ベトナムの無言の抗議は、中国に対する他の共産圏の批判を招いたために、中国は、慌てて秘密の緊急幹部会を開き、対策を協議したほどです。
このようなベトナムへの支援を行ったり、韓国を中立化したりする政策を展開するほうが、自衛隊を動かしして、中国にドヤ顔をされたり、韓国を刺激したりするより、はるかに優れた政策だと思いませんか?
集団的自衛権に関しては、安倍首相が第1次安倍内閣のときに、内閣総理大臣の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置し、日本の集団的自衛権の問題と憲法の関係整理および研究を行っています。この懇談会は5回の会議が開かれて報告書が作成されましたが、安倍首相の辞任により手渡されないままとなっていました。
安倍首相は第2次安倍内閣において、この安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会を復活。今年2月8日に第1回目の会合が開かれ、その際に、2008年にまとめられた報告書が、安倍首相に手渡されています。
報告書では、安倍首相によって指示された4つの事例について、どのような法整備をして行くかという点がまとめられています。4つの事例とは、(1)公海における米艦の防護、(2)米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、(3)国際的な平和活動(PKO)等における武器使用、(4)同じ国連PKO活動などに参加している他国の活動に対する後方支援のことですが、これらを行うためにどのような法制が必要なのかがまとめられていますが、石破氏の考えと違い、現在までの政府見解による憲法解釈ではこれらを行うことは難しい都の内容になっています。
以上、9条改正に賛成する方たち考え方を中心に、反対意見も含めて関連するコメントを紹介しましたが、以降では、反対、または賛成反対を表明していないながらも、議論の余地があると指摘のあったコメントを紹介します。
まずは、今回の安倍首相の発言に関する意見です。タブー視されていた憲法の議論を行うことができて良いという意見もありました。しかし、憲法改正に触れたことを既成事実と捉えられては困るというものが出ています。
憲法9条という、改正(or 改悪)に意見が分かれる部分を、この選挙期間に堂々と出してきたことは、評価すべきだと考えます。方法論的な96条の話だけで、うやむやにしてもよかったのでしょうし。ただ、残り1週間を切った時点で、その内容の是非まで議論を尽くすことは到底出来ず、「9条改正を示した上で、選挙に勝ったのだから、これが国民の意志だ」という論調には、自民党にも、9条改正を支持する人にも、なって欲しく無いですね。
このようななし崩しで、憲法が現実にあっていないから変えるなどという事があって良い物なのでしょうか?
改憲するのであれば、真正面からこのことに向き合ってこなかった私達自身が、反省し、真摯に議論を尽くして後の世代に胸を晴れるような改憲を行いたいものです。
自衛隊のままでも困っていないのではないかとする意見もありました。
現行憲法で国民は何も困っていないので、改憲に関わる膨大なリソースは全て無駄だと考えるからです。直近に取り組むべき課題は数多くあり、また、今この時も困窮している日本人は数多く実在するのですから、その方々を救済することが遥かに優先順位が高いと思います。
また、世界でも珍しい憲法の内容を、もっと世界に広げるべきではないかとする意見もありました。
今、日本ほど国力があって、軍隊を正当と認めない憲法を持っている国は、他にはありません。
日本は、憲法9条に合わせる方向で、
国民主権、民主主義の憲法に合わせる方向で努力し、
世界の先頭に立って、「コミュニケーションによる世界平和」実現に向かうべきだと思います。
前文の最後に書いてある、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」という一文について、その意味を考えたことがある人がどのくらいいるのでしょうか。憲法は法律とは違うものですが、そこを混同している人が多いのではないでしょうか。
憲法を作った人も現実とは違うことは十分認識したうえで、理想の国家を目標として考えられたものだと思います。
憲法は現実にあわせるのではなく、何百年かかろうとも、「日本国民」が(ここも日本国ではなく、国民が主体であることが重要です)達成すべき目標・理想として制定されているものととらえることができます。
だとすると、今は日本国民のみならず、世界の人々がおろかであるゆえに武装しなければならないかもしれないが、それは憲法の理想をあきらめる(=改憲)することにはつながりません。
むしろ現実と違うからこそ、維持することに意味があると思うのです。
中には辛辣に、「関心の無さ」に連れて触れているコメントもあります。
「アメリカが守ってくれるんだから考える必要なんてないじゃん」
と殆どの国民は目を反らし続けてきたのではないだろうか。
それをいい事に、政治家は選挙が遠ざかるたび改憲・違憲と騒いでいたように見える。
それこそ、選挙公約を蔑ろにしてまで。まさに機能不全そのもの。
一度国民が結論を出す時期に来ている。そう強く思う。
SATOOGAWAさんの指摘されるよう、9条だけでなく全文も含めて我々の国のあり方を議論する時期に来ているのかもしれませんね。
憲法9条に関する意見は引き続き募集します。ご意見をお寄せください。