憲法改正 自民案の36条から、拷問禁止の「絶対」が消える?【争点:憲法改正】

自民党が目指す憲法改正については、9条改定による「自衛権」の明記や「国防軍の創設」、96条での憲法改正の提案要件の緩和などが注目されているが、それ以外にも私たちにとって非常に重要なポイントがいくつもある。36条の「拷問及び残虐な刑の禁止」の改正案もその一つだ…
Man with deep depression in the corner of a room
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自民党が目指す憲法改正については、9条改定による「自衛権」の明記や「国防軍の創設」、そして96条での憲法改正の提案要件の緩和などが注目されているが、それ以外にも私たちにとって非常に重要なポイントがいくつもある。36条の「拷問及び残虐な刑の禁止」の改正案もその一つだ。

現行憲法では「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」となっているが、自民党の改正草案では「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する」となっている。ポイントは「絶対に」という言葉が外された点。

■日本国憲法で唯一の「絶対否定」

現行憲法で「絶対に」という激しい否定の言葉が使われているのは103ヶ条ある条文の中でここだけ。なぜここまで強い表現を使ったのだろうか。

その背景には、戦前・戦中の特別高等警察、いわゆる「特高」による過酷な尋問や拷問が多く行われたことへの反省がある。よく知られている事件として、劣悪な環境で働かされる労働者を描いた『蟹工船』の作者で、当局の政治弾圧を批判した小林多喜二が特高警察の拷問で殺された例などがある。このような公務員による拷問や残虐な刑罰を二度と起こしてはならないという考えから、36条で「絶対的な禁止」を定めている。

また、「絶対に禁止」ということは「公共の福祉」のためであっても例外を認めないということを意味し、他の人権条項とは性質が異なっている。

■「絶対に」が抜けるとどうなる?

36条の改正理由について、自民党の「日本国憲法改正草案Q&A」を読んでも説明は見当たらない。では、改正が実現されればどのような影響が出るのか?

弁護士で伊藤塾塾長の伊藤真氏は著書の中で、

「『絶対に』をはずせば、当然のことながら規範力は低下します。一定の条件があれば例外が認められるとの解釈につながる可能性があります」

『赤ペンチェック 自民党憲法改正草案』 大月書店 (2013/05/31)

と説明している。

また、早稲田大学法学学術院(法学部、大学院法学研究科)の水島朝穂教授は6年前のブログで、

近年、「テロとの戦い」のなかで、欧米諸国では、「拷問の蘇生」傾向が生まれ、「許される拷問」が議論されている。ドイツでは、法哲学者W・ブルガーが、「拷問」(Folter)という言葉をあえて使わずに、「人命救助の証言強要」(lebensrettende Aussageerzwingung)という巧妙な言い回しで、実質的にこれを許容する議論を展開している。

(1) 無辜の人の生命(時には肉体的同一性)に対する、(2) 明白で、(3) 直接的で、(4) 著しい危険が存し、(5) 危険が、確認された犯罪者によって引き起こされており、(6) その犯罪者が、危険を排除しうる唯一の人物であり、(7) そのことが義務づけられていて、(8) 肉体的強制の適用が情報を得る唯一成果の確実な手段である、という8要件がクリアされれば、限定的に拷問が許されるというのだ。さらに、裁判官の「拷問令状」のような規制のもと、かつ医師の立ち会いを行うという条件付で、拷問を実施することを認める議論もある。

日本でも、早晩、憲法36条の「絶対的禁止」という言葉の「限定」解釈が始まるかもしれない。

クオンネット 第16回 刑事手続と人権(2) 拷問と死刑--36条(水島朝穂-憲法から時代をよむ)2007年11月19日稿

と予測し、

心しておくべきことは、ダムが決壊すれば、下流は大被害を受けることである。「人間の尊厳」や「絶対禁止」という強固な「ダム」に無数の「例外の穴」をあけていくうちに、「許される拷問」のレヴェルを越えて、「拷問を適用する権利(義務)」が語られるようになることが危惧される。

(同上)

と指摘している。

■「例外の穴」をあけないために

日本国憲法は、拷問を「絶対に」禁じている(36条)のはもちろん、自白を証拠として利用することにも制限しています。まず、そもそも、証拠として使えるかどうかということでは、「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」と規定しています(38条2項)。

市民のための裁判用語解説 「自白」について

日常生活と「拷問」という言葉は非常にかけ離れたものかもしれない。しかし、何らかの理由で身柄を拘束され、取り調べを受けるような状況に置かれたとき、自分の人権を守ってくれるはずの憲法に「例外」ができていたら――。

36条から「絶対」という文言を外す理由があるのならば、はっきりと説明する必要がある。もし明確な理由がないのならば、あえて外す必要はないと思うがどうだろうか。

☆みなさんのご意見、コメント欄にお寄せください。

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